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直感力③🌟「見切る」ことができるか🌟

2018-01-26 12:11:53 | お話
③🌟「見切る」ことができるか🌟


プロ棋士の対局は、長い。

朝9時、10時から始まって、深夜の12時、1時までかかったりすることもある。

二日制の対局もある。

途中、食事休憩が昼と夜に1時間ずつあるが、

それを除いても、1日10時間以上かけてひとつの勝負がつくことも珍しくない。

その中でひとつの場面で長く考えていることーー長考するとことがある。

うっかりすると、1時間とか2時間。

これまでで私は1番長く長考したときは、4時間弱かけた。

しかしそれで素晴らしい手を指したかといえば、

きわめて平凡な一手で、これなら3秒考えただけでも指せたというようなものだった。

逆に、相手に4時間ほど考え込まれたこともあった。

最初の2時間くらいはそれに付き合って、

「どんな手でくるのだろうか」

などと考えたりもしていたが、

長くなり、時間が進むにつれ、およそ将棋とは関係ないことを考えていた。

「3時間あれば日本中どこへでも行けるな」

「お昼ご飯、何食べようかな」

「このまま永遠に指してくれなかったらどうなってしまうんだろう」

といった、本当にたわいもないことだ。

長く考えれば、それだけ思考が深まっていい手が指せるのか、

いい決断ができるのかというと、

必ずしも、そうではないような気がする。

将棋の世界には、

「長考に好手なし」

という言葉もある。

長く考えたからといって、いい手が指せるわけではないのだ。

むしろ、長く考えているのは迷っているケースが多いからで、

創造的に考えていることは少ない。


たとえば、Aという選択肢を選ぶ。

そこから先を何手か読む。

それを選択肢Bにしたら、どのように変わるだろう、といった具合に、

可能性のありそうな手筋を選んで何手か読む。

すると、たいてい30分もすれば、

それぞれの10手先の展開までは到達することができる。

さてそこで、最終的にそのAという選択肢を選ぶのか、

あるいはBを選ぶのかという段階になって、迷ってしまうのだ。

選択、決断をためらってしまい、

踏ん切りがつかずにその決断を放棄してしまう。

そして、もしかしたらとまた違う可能性を探り始めたり、

両方の選択をもう一度なぞったり…

とするうちに、じりじりと時間が過ぎてしまう。

つまり、ある程度の道のりまでは来ているのに、

そこから先を、考えているより迷っている、決断しきれずにいるだけ

というケースが非常に多いのだ。

対局中に、自分の調子を測るバロメーターがある。

それは、たくさん記憶ができているかどうか計算できるとか、

パッと新しい手がはひらめくといったことではない。

そうではなく、「見切る」ことができるかどうかだ。

迷宮に入り込むことなく、「見切って」選択できるか、決断することができるかが、

自分の調子を測るのに分かりやすいバロメーターになる。


「見切る」ことによって選択できる、決断できるのは、調子がいときだ。

すぐに立ち止まり、迷ってしまいがちになるのは、調子が悪いときだろうと思っている。

「見切る」とは、必ずしもこれで勝てるとか、こちらが正しいといった明快な答え、結論ではない。

「分からないけれども、まあ今日はこれでいってみよう」

とか、

「今回はこっちを選ぼう」と、

絶対の自信はなくとも、思いっきりよく見切りをつけることができるかどうか。

それは、直感を信じる力の強さにも通じているのではないか。

直感は何かを導き出すときだけに働くのではない。

自分の選択、決断を信じてその他を見ないことにできる、惑わされないという意志。

それはまさしく直感のひとつのかたちだろう。


私たちはどうしても、目に見えるものに意識をもっていかれてしまう。

目に見える原因、目に見える根拠、目に見える結果。

そして、私たちはともするとそれらにふりまわされ、

自分の選ぶべき行動、進むべき道が分からなくなってしまう。

しかし、どんなにデータを駆使していても、そのデータはいま自分が向き合っている局面のものではない。

そこに気づきさえすれば、何かの判断をする、決断をするときに、

目の前に広がる現象に囚われ、目に見えるものだけを判断材料として、

その選択にのみはまり込んでしまうことなく、

自分自身の中に蓄積されたものに目を向けることもできるのではないだろうか。

それまでの知識や経験などをもとに、自分自身の中に蓄積されたもの。

将棋の実践では、それらを集約し自分で計りながら、指す。

意識的にそうすることもあれば、無意識のうちに湧き上がるものにしたがっていることもある。

そのこと自体も蓄積になるだろう。

それは自分の調子を客観的に見る、大局観につながる力の養成にもなるし、

逆に見切りがつけられない自分、迷っている自分を自覚しながら、それでもさし続ける集中力を養うことにもなる。

そして、その経験は確実に力になる。

将棋のプロに持ち時間が長く、長考することができるようになっているのは、

それに、耐え得るだけの力や、漠然とした決断を受け入れるために必要な "覚悟" のための、

時間を与えられているということなのかもしれない。


(「直感力」羽生善治さんより)

直感力②🌟一瞬にして回路をつなぐもの🌟

2018-01-25 15:10:11 | お話
②🌟一瞬にして回路をつなぐもの🌟


棋士は、若いときには計算する力、記憶力、反射神経のよさを前面に出して対局するが、

年齢を重ねるにつれ少しずつ直感、大局観にシフトして行くのが普通の流れだ。

直感や大局観は、1秒にも満たないような短い時間であっても自分の経験則と照らし合わせて使うものなので、

ある程度の実地経験を積んでからでないと使えないと思っている。

つまり、成功したり失敗したりした経験を消化して栄養となったものが大切な財産なのだ。

通常は、対局中に行うシミュレーションのほとんどが、自分にとって不利、または絶望的な局面だ。

それでも、ひたすら気持ちを切らさずに、細い細い隙間を辿っていく。

するといつの間にか光が射し、開けた道に出る。

もちろん、そうそう、うまくはいかないこともある。

将棋の世界も日進月歩。

近年では多くの定跡、戦型がずいぶんと研究されつくしている感もある。

したがって、基本的な発想自体は私も他の棋士と変わらないはずだ。

ただ、これでいけるだろうと判断する基準が、私の場合少し甘いらしい。

甘いというのでなければ、道幅を広く見てしまうのかもしれない。

相手の人が「通れない」と選択肢から外してしまうような道のほうに、

「こうすれば通れる」とか、

「こうやってつながっているだろう」

という、その先の大きな展開を感じて、その道を選んでしまうのだ。

そのコース選びがすなわち直感に基づくものである。

プロの世界においては、そんなことをすると十中八九、不利になる。

しかし、たとえ不利になろうとも、自分が実際にやってみることによって体得することは少なくない。

同じ種類の過ちを犯さなくなれば、1回ぐらい不利になってもたいしたことではない。

どのコースを行けばいいのか。

それを見極めるためには、記憶を駆使して、データに基づいてその局面での最善手を選んでいくことも必要だが、

ずっと同じ位置で、同じ視線で考え続けても、結局答えの見つからないことが多い。

さらに、よけいな情報を増やして、ーーたとえば相手の読みや棋風なとにまで考えを巡らせると、邪心が入ってしまう。

そして、策士策に溺れるがことく、自滅してしまう。

それよりも、その状況を理解するというのだろうか、

「ツボを押さえる」といった感覚が自分の中に出現するの待つことが大事なのではないかと思う。

その感覚を得るためには、まずは地を這うようなの読みと同時に、

その状況を一足飛びに天空から俯瞰して見るような大局観を備えもたなければならない。

そうした多面的な視野で臨むうちに、自然と何かが湧き上がってくる瞬間がある。

この形はこういう方向でやればいい、こういう方針で、こういう道順で行けばいいと、

瞬時のうちに腑に落ちるような感じとでもいうのだろうか。

考えを巡られることなく一番いい手、最善手が見つけられる。

その場から、突然ジャンプして最後の答えまで一気に行きつく道が見える。

ある瞬間から、突如回路がつながるのだ。

この自然と湧き上がり、一瞬にして回路をつなげたしまうものを直感という。

だから、本当に見えているときは答えが先に見えて、理論や確認は後からついてくるものなのだ。


(「直感力」羽生善治さんより)

直感力①、はじめに

2018-01-24 09:22:26 | お話
①🌟直感力、はじめに🌟


「直感」と「読み」と「大局観」。

棋士は、この三つを使いこなしながら対局に臨んでいる。

一般的に経験を積むにつれ、「直感」と「大局観」の比重が高くなる。

これらはある程度の年齢を重ねることで成熟していく傾向がある。

「習うより慣れろ」と言うところだろうか。

「読み」は計算する力といっても過言ではない。

したがって10代や20代前半は基本的に「読み」を中心にして考え、

年齢とともに、「たくさん読む」ことよりは、徐々に大雑把に判断する、感覚的に捉える方法にシフトしていくのだろう。

すでに「大局観」に関する本は著した。

そこで、本書では「直感」について詳述したい。

混迷の時代が続いている。

ゼロサムゲームでは、どうしても半分の人が勝って、半分の人が負けてしまう。

その上、現状はその半分の人が手にするはずのパイも小さい。

そういう意味では勝者なき競争が、現実問題として目に見えるようにもなっている。

しかし、何を選択し、行動するかには外的要因とは関係のないプリンシプル(原理・原則)があるのではないか。

それを見つけ出さなければならない。

さらに、このような状況下では、勝ち負けとはまた違う基準をつくることが重要なのではないか。

違う基準があれば、余裕やゆとりが生まれ、無駄なの悩みも少しは軽減されるだろう。

たとえば内容を重視すれば、勝つことだけに固執しなくなる。

プロの世界であるから、当然勝負して勝つことが大前提ではあるのだが、

それだけではやがて成長は止まる。

どんな状況でも自分なりにベストを尽くし、結果に責任を持つ。

個性を伸ばし、才能を磨き、成長を続ければ、やがて求めなくとも結果は返ってくるはずだ。

そして、アイデアや発想も、自分が進歩していれば自然に湧き出るようになり、

その中の優れたものを実際に活用できるケースが生じる。

それは、個人にも組織単位にもあてはまることだと思う。

負のスパイラルに巻き込まれないためには、

まず自分の持ち味、個性を大切にして組織の中に埋没しないことだ。

ともすれば、組織は個性を生かすどころかつぶしかねない。

もちろん全ての組織がそうであるわけではないのだが、

個性を大切にしない組織そのものが没落してしまう可能性も高いのだ。

無理に自分を変える必要は全くない。

1人の個性から正のスパイラルを起こせば賛同者が必ずあらわれるし、

どこかで正当な評価を下す人もあらわれるはずだ。

そのようになれば、個人と同じプリンシプルが組織にも働き始めるだろう。

実はそれが、進歩を続ける組織にとって最も望まれることではないか。

そのときに1つの指針となるのが直感だ。

なぜなら直感は、無駄な迷い、思い、考えの無い状態で浮かび上がっているからいるのだから、

次に何をするのか、何を望んでいるのかが如実に現れる。

本書では直感をどのように具体化するかについても述べてみたい。


(「直感力」羽生善治さんより)

劇団四季🌸

2018-01-23 18:47:20 | お話
🌸劇団四季🌸


(劇団で年間300万人が来場しています。驚異的な数字ですね)

🔹ミュージカルや演劇などの観客動員数は年間1000万人と言われ、まだまだ少ない。

他の業界と比べると、プロ野球は年間2000万人で、1球団で200万人集めます。

東京ディズニーリゾートだと年間3000万人。

自分たちが用意した施設で観客を集める分野としてみると弱小でしょう。


(演劇のような不要不急のビジネスで顧客の購買意欲を高めるポイントとは何でしょう)

🔹やはり、お支払い頂いたチケット代を上回る感動を与えたかどうかに尽きます。

体験価値が支払いに見合っていないと次からは来てくださらない。


(動員率は90%を超えているそうですから、体験価値は高いと)

🔹そういう評価は頂戴できているのかもしれません。

2017年は94%で、首都圏、関西圏、中部圏の動員率は99%と、ほぼ満席です。

札幌と福岡が苦戦しているので、少し率を打ちますが。


(良質のエンタメはオチがわかっていても何度も足を運びたくなるものだと言われます)

🔹一回一回の公演をしっかりやる以上のことはないですないのですが、

できるだけ新作の受け入れスピードを早くしたい。

最低でも年一本は新作を上演できたらと思っています。

急いでやったのは『アラジン』。

公演を決めてから10ヵ月くらいで完成させました。

アメリカのブロードウェイでヒットしたミュージカルを日本語に翻訳していますが、

何でも良いわけではありません。

四季では『人生は生きるに値する』という人間賛歌のようなカルチャーを備えた作品に限定しています。

それが四季のブランドを守ることなので。

(そこが経営理念なんですね)

🔹浅利さんが1953年の創設時から大切にしていることです。

劇団は一緒のメディアで、左翼的な政治主張が強い方が多かった。

それを続けていると飽きられると浅利さんは思ったのでしょう。

演劇が本来持っている価値、観劇後のカタルシスや感動を大事にしなければいけないと。

(普遍的なテーマが大事だと。
女性の比率が8割も不変ですね)

🔹女性の方が感度が高いのかな。

ここを何とかしないといけないと思いますが、なかなか。


(浅利さんの退任から3年半。興行収入は安定していますが、何が1番苦しかったですか)

🔹3年半は、まさに浅利さんがいた時と同じように円満に業務を進めるための時間だったような気がします。

カリスマに仕えていると大変なこともありますが、

やはりいてくらると楽です。

ブレずに全体を一貫して見てくださり、指示に従えば間違いない。

しかも指示が具体的なんですよね。

俳優の演技はこうすべし、経営の数字はここを見ろ、技術者がものを作るときはお金をこう使えなど。

こうした実践的テクニックはマニュアルとして残っています。

自分で決めるのは大変でしたが、思想とイズムを継承するのは難しいことではなかった。


(セブン-イレブン・ジャパンに似ています。
創業した鈴木敏文氏が引退した後も好調を続けている点で)

🔹そうですね。四季にも新しい人が入って、演者含めた1,300人のスタッフのうち、浅利さんを知らない者が500人もいます。

イズムの浸透が課題です。

(カリスマはコンセプトや方向感を出すのがうまい。
「近くて便利」、「服を変え…世界を変えていく」、「お、ねだん以上。」とか)

🔹浅利さんも物事の本質をとらえるのが天才的でした。

よくお話ししていたのが

「日本生命は安心を売っている。

トヨタ自動車などメーカーは便利を売っている。

我々は何を売っているのか。

それは "感動" である。

そこに商いの中心があるんだ」

と。


(ビジネスと文化が融合した四季は小売業やサービス業にとって参考になります)

🔹価値はそれぞれなので一般化はしにくいと思います。

演劇の場合、アートと考えることを心の奥底で持ちつつ、

社会に寄り沿わないといけません。

フランスの芸術家にルイ・ジュべという方がいます。

ジュべはこういます。

「恥ずべき崇高さ、偉大なる屈辱」

と。

お客がいない劇場はあり得ない。

文学や音楽、絵画はモノとして残せますが、劇場はすべてコト。

観客と呼吸しながら作る生ものです。

観客がいないと成立しない不思議な芸術なので、

必ずビジネスの側面がついてくる。

だからビジネスの面を偉大なる屈辱と表現しているのかなと。


(四季の今後の成長戦略は?)

🔹今後重要になるのはオリジナル作品の創作です。

これがないと今後生き残れないと思うんですよ。

我々のビジネスモデルは完全な内需型。

外国の作品を日本語に翻訳し、日本人を相手に商売している。

人口減少が進み、マーケットは間違いなくじり貧になります。

外に出て行かなくてはいけないが、日本での上演権を持っているだけなので難しい。

自前のコンテンツが必要になります。

ブロードウェイには長い歴史があり、その果実が今の作品です。

人材も育ち、顧客は世界中にいる。

こうした方式をやらないといけない。

生産年齢人口の減少と観劇人口は同じではありませんが、

40年くらいまでに自前コンテンツを量産できる体制を整えたい。


(インバウンドの増加は影響していますか)

🔹近く、インバウンド向けの施策を始めます。

あくまで実験段階で、方向性までは見えていません。


以上

(「日経MJ」2018.1.19号、劇団四季社長 吉田智誉樹さんインタビューより)

感謝感謝のお金道④

2018-01-22 10:49:18 | お金
感謝感謝のお金道④


最近、よく「今を生きていますか?」と聞かれます。

私はずっとこの質問の意味がわかりませんでした。

「今を生きているに決まっている」と思っていたからです。

でもある日、回転寿司を食べに行ってこんな体験をしたんです。

私は穴子が大好きです。

お皿に二貫乗っている穴子を取り、

「美味しいなぁ」と思いながら食べていました。

一貫目を食べ終え、二貫目に差し掛かった瞬間、私の前にエビが流れてきました。

その時、箸は穴子を掴んでいるのに、私の意識はエビに持っていかれたのです。

そこで気づきました。

「私は今を生きていなかった」と。

一貫目の穴子を食べた時は口の中に広がる旨味を存分に楽しました。

しかし二貫目に差し掛かった時はエビに意識を奪われた。

その瞬間、私は「今を生きている」状態から離れてしまったのです。

そこで得た気づきは「今を生きるということは、行動と意識が同時に存在し、一致していること」ということでした。

たとえば、週末の旅行だけを楽しみに、水曜日会社でイヤイヤ仕事をしているとしたら… 。

行動は「会社で仕事」でも、意識は「週末の旅行」に向いています。

意識と行動が一致していません。

これは「今を生きている」とは言えないのです。

こんな生活を送っていると、だんだん自分の本心から遠ざかって自分をごまかしていく人生になっちゃうんですね。


「金」と「今」は同じ「きん」と読みます。

日本語では音が同じものは同じ働きを持っています。

ということは、お金と仲良くなる秘訣の1つとして、

「今をちゃんと生きること」が大事だと考えられます。

それは、自分がやりたいこのとと実際の行動を一致させること。

思いと行動の一致です。

一瞬一瞬、過去を憂うことなく、未来に不安を抱くことなく、

今の喜びを味わい尽くすことが「今」を生きるってことなのです。


「今」「現在」という言葉を英語に訳すと「present」です。

つまり「今」を生きると決めることで、たくさんのプレゼントを受け取れるゾーンに入っていけるのだと思うのです。

私はそのゾーンを「お金道」と呼んでいます。

たくさんの福沢諭吉さんと出会える道、それこそが「お金道」です。

一人ひとりに必ず「お金道」があります。

それを見つけるのは簡単で、

「今」を生きると決めるだけです。

だからこそ、いろいろな人が「今を生きる」という言葉を大切にしているのだと私は考えています。


(「みやざき中央新聞」H30.1.15 北岡恵子さんより)