💕幸せを感じる人💕
これは福祉用具専門相談員をしていた頃のことですから、もうずいぶん昔の話です。
先輩が担当していた利用者さんのお宅に同行をしました。
利用者さん宅に向かう車の中で聞いた情報は、
利用者さんは女性、(50代前半) 、若年性認知症がかなり進行した状態である、でした。
ご主人がつきっきりで在宅介護をしていて、つい最近引っ越しをした、という話もそこで聞きました。
おうかがいしたお宅は築50〜60年、と思われる古い木造の長屋で、
家の中にある大きな家具は、介護ベッドとテレビだけでした。
お洋服など生活用品は、すべてそのまま床の上に置かれていました。
初めて会った利用者さんは、先輩が話していた通り、認知症がかなり進行していて、まったく会話ができません。
感情がなくなっているため、ずっとテレビを見つめたままでじっとしていました。
声をかけると一応こちらを見るのですが、
その顔は無表情で、すぐにまたテレビの画面に目を移します。
歩行が困難になり寝たきりでしたし、排泄のコントロールもできなくなっていました。
介護サービスを利用し始めた頃は、
まだまだ元気で記憶もしっかりしていたそうです。
先輩が行くと
「〇〇さん、来てくれはったん〜?」
と大喜びしていたらしく、
本当に認知症? と思うくらいしっかりしていたそうです。
私はこの日が初訪問でしたから、先輩とご主人の会話を黙って聞いていました。
「こんなところまで落ちぶれてしもたわ〜。あはは」
「〇〇さん、まだ若いんだから大丈夫ですよ。また仕事を始めたら、もとのようになれますって〜」
事情がさっぱり分からない私でしたが、ご主人は屈託なく笑っていて、先輩のなぐさめは噛み合っていないかも? と思いました。
車に戻ってハンドルを握ると先輩が詳しい話を始めました。
このご夫婦はもとはお金持ちだったのだそうです。
先輩がケアマネジャーと一緒に初めて訪れた家は豪邸で、車庫には外車が停まっていたそうです。
ご主人の腕には超高級腕時計が光っており、
ごっつい指輪(先輩の感想です)もしていて、
ファッションも派手で遊び人風だったと言っていました。
ご主人は会社経営をしていたそうです。
奥さんの介護は自分がする、人任せにしない、とご主人が宣言した時、
ケアマネと先輩は
「こんなお金持ちの、遊び人ぽい人にできるわけないやろ」
「在宅介護がわかってないな」
と思ったそうです。
ご主人の決意を信じていなかったケアマネは、施設に入れる選択肢もありますよ、と話したそうです。
それからは行くたびに、ちょっとずつ生活が変化していったそうです。
まず指輪が指から消え、次に腕時計がなくなり、車庫から外車も消えました。
会社もたたんだそうです。
小さな家に転居して、細々と暮らしていたそうですが、
今回もっと家賃の安い家に引っ越しをした、と言う話でした。
初期の頃のご主人はハツラツとしていて、バリバリ仕事をこなしています! という雰囲気だったのに、
今は背中を丸めてしょんぼりしている、一気に年を取ったみたいだ、と先輩が言っていました。
そうか〜、そういう事情だったのか、と聞いていて在宅介護の厳しさを思いました。
その後、先輩の手がまわらない時に、私が何回か紙おむつの配達に行きました。
行くとご主人はいつも明るくニコニコしています。
それは無理をして作った笑顔ではありませんでした。
ハンコが見つからないと探している時も、
こんなに物が少ないし、探す場所もないのに見つからないのは、おかしいよなぁ?
と素直に笑っていて、ご主人に暗い心の闇はまったくなかったのです。
無表情でじっと座っている奥さんに普通に話しかけ、
返事が返ってこなくても、奥さんが笑わなくても、
ご主人は変わらずニコニコしていました。
一度、配達が夜にはなったことがあって、ご主人は調理をしていました。
玄関を入ったところが台所でしたから、見るつもりがなくても見えてしまいます。
小さなお鍋で具の少ない煮物を作っていました。
そしてこの日も、ハンコがないと明るく大騒ぎをしていました。
紙おむつは対象者であれば自治体から補助金が出るのですが、
ご主人はそれを、ありがたい、ありがたい、といつも感謝していました。
同じ補助を受けているほとんどの人が、
「当然である」という態度で、
配達に行くと、
「そこらへんに置いといて!」
などと面倒くさそうに言っていたので、
ご主人の心根の良さがわかります。
お金がある時は派手にしていて遊び人風だったようですが、
人の真価というのは見た目では判断できず、
困難がきてそこで初めてわかるものなのかもしれません。
そして、ご主人は自分を不幸だとまったく思っていないようでした。
きっとお金持ちだった時に、
「お金があるから自分は幸せ」
と考えていなかったのだと思います。
もし、そう思っていたとしたら、お金がなくなった状態は不幸になるからです。
ご主人の幸せのキーポイントとなっているのは奥さんのようでした。
ご夫婦にはお子さんがいませんでしたから、頼る人もなく、
「自分には妻しかいない」
ということをチラッと言っていたのです。
話ができなくても、笑顔がもらえなくても、
この先ずっとありがとうと言ってもらえなくても、
奥さんがそこにいてくれればそれだけでいい、
と話すご主人は輝いて見えました。
奥さんが自分より先に逝くだろうことも知っているので、
最期のその時までできることはしてあげようと思っていたようです。
人を愛するって、こういうことなのだな〜、
と私はその時しみじみと思いました。
幸せは人によって違います。
人の幸せを基準にしてしまうと、人が持っているものを自分が持っていなかったら不幸になってしまいます。
お金が足りないと不幸、結婚してないと不幸、
子供がいないと不幸、正社員じゃないと不幸、
妻が健康じゃないと不幸、という考えになってしまうわけです。
そうではなく、このご主人のように自分が幸せだと感じていれば、
誰がどう思うと、世間がどう見ようと関係ないのです。
幸せは、他人に認めてもらうわけもらわなければいけない、というものではありません。
"自分が感じる幸せ" それが本当の幸せだと、私はそう思っています。
(「『山の神様』からこっそりうかがった『幸運』を呼び込むツボ」桜井織子さん、あとがきより)
これは福祉用具専門相談員をしていた頃のことですから、もうずいぶん昔の話です。
先輩が担当していた利用者さんのお宅に同行をしました。
利用者さん宅に向かう車の中で聞いた情報は、
利用者さんは女性、(50代前半) 、若年性認知症がかなり進行した状態である、でした。
ご主人がつきっきりで在宅介護をしていて、つい最近引っ越しをした、という話もそこで聞きました。
おうかがいしたお宅は築50〜60年、と思われる古い木造の長屋で、
家の中にある大きな家具は、介護ベッドとテレビだけでした。
お洋服など生活用品は、すべてそのまま床の上に置かれていました。
初めて会った利用者さんは、先輩が話していた通り、認知症がかなり進行していて、まったく会話ができません。
感情がなくなっているため、ずっとテレビを見つめたままでじっとしていました。
声をかけると一応こちらを見るのですが、
その顔は無表情で、すぐにまたテレビの画面に目を移します。
歩行が困難になり寝たきりでしたし、排泄のコントロールもできなくなっていました。
介護サービスを利用し始めた頃は、
まだまだ元気で記憶もしっかりしていたそうです。
先輩が行くと
「〇〇さん、来てくれはったん〜?」
と大喜びしていたらしく、
本当に認知症? と思うくらいしっかりしていたそうです。
私はこの日が初訪問でしたから、先輩とご主人の会話を黙って聞いていました。
「こんなところまで落ちぶれてしもたわ〜。あはは」
「〇〇さん、まだ若いんだから大丈夫ですよ。また仕事を始めたら、もとのようになれますって〜」
事情がさっぱり分からない私でしたが、ご主人は屈託なく笑っていて、先輩のなぐさめは噛み合っていないかも? と思いました。
車に戻ってハンドルを握ると先輩が詳しい話を始めました。
このご夫婦はもとはお金持ちだったのだそうです。
先輩がケアマネジャーと一緒に初めて訪れた家は豪邸で、車庫には外車が停まっていたそうです。
ご主人の腕には超高級腕時計が光っており、
ごっつい指輪(先輩の感想です)もしていて、
ファッションも派手で遊び人風だったと言っていました。
ご主人は会社経営をしていたそうです。
奥さんの介護は自分がする、人任せにしない、とご主人が宣言した時、
ケアマネと先輩は
「こんなお金持ちの、遊び人ぽい人にできるわけないやろ」
「在宅介護がわかってないな」
と思ったそうです。
ご主人の決意を信じていなかったケアマネは、施設に入れる選択肢もありますよ、と話したそうです。
それからは行くたびに、ちょっとずつ生活が変化していったそうです。
まず指輪が指から消え、次に腕時計がなくなり、車庫から外車も消えました。
会社もたたんだそうです。
小さな家に転居して、細々と暮らしていたそうですが、
今回もっと家賃の安い家に引っ越しをした、と言う話でした。
初期の頃のご主人はハツラツとしていて、バリバリ仕事をこなしています! という雰囲気だったのに、
今は背中を丸めてしょんぼりしている、一気に年を取ったみたいだ、と先輩が言っていました。
そうか〜、そういう事情だったのか、と聞いていて在宅介護の厳しさを思いました。
その後、先輩の手がまわらない時に、私が何回か紙おむつの配達に行きました。
行くとご主人はいつも明るくニコニコしています。
それは無理をして作った笑顔ではありませんでした。
ハンコが見つからないと探している時も、
こんなに物が少ないし、探す場所もないのに見つからないのは、おかしいよなぁ?
と素直に笑っていて、ご主人に暗い心の闇はまったくなかったのです。
無表情でじっと座っている奥さんに普通に話しかけ、
返事が返ってこなくても、奥さんが笑わなくても、
ご主人は変わらずニコニコしていました。
一度、配達が夜にはなったことがあって、ご主人は調理をしていました。
玄関を入ったところが台所でしたから、見るつもりがなくても見えてしまいます。
小さなお鍋で具の少ない煮物を作っていました。
そしてこの日も、ハンコがないと明るく大騒ぎをしていました。
紙おむつは対象者であれば自治体から補助金が出るのですが、
ご主人はそれを、ありがたい、ありがたい、といつも感謝していました。
同じ補助を受けているほとんどの人が、
「当然である」という態度で、
配達に行くと、
「そこらへんに置いといて!」
などと面倒くさそうに言っていたので、
ご主人の心根の良さがわかります。
お金がある時は派手にしていて遊び人風だったようですが、
人の真価というのは見た目では判断できず、
困難がきてそこで初めてわかるものなのかもしれません。
そして、ご主人は自分を不幸だとまったく思っていないようでした。
きっとお金持ちだった時に、
「お金があるから自分は幸せ」
と考えていなかったのだと思います。
もし、そう思っていたとしたら、お金がなくなった状態は不幸になるからです。
ご主人の幸せのキーポイントとなっているのは奥さんのようでした。
ご夫婦にはお子さんがいませんでしたから、頼る人もなく、
「自分には妻しかいない」
ということをチラッと言っていたのです。
話ができなくても、笑顔がもらえなくても、
この先ずっとありがとうと言ってもらえなくても、
奥さんがそこにいてくれればそれだけでいい、
と話すご主人は輝いて見えました。
奥さんが自分より先に逝くだろうことも知っているので、
最期のその時までできることはしてあげようと思っていたようです。
人を愛するって、こういうことなのだな〜、
と私はその時しみじみと思いました。
幸せは人によって違います。
人の幸せを基準にしてしまうと、人が持っているものを自分が持っていなかったら不幸になってしまいます。
お金が足りないと不幸、結婚してないと不幸、
子供がいないと不幸、正社員じゃないと不幸、
妻が健康じゃないと不幸、という考えになってしまうわけです。
そうではなく、このご主人のように自分が幸せだと感じていれば、
誰がどう思うと、世間がどう見ようと関係ないのです。
幸せは、他人に認めてもらうわけもらわなければいけない、というものではありません。
"自分が感じる幸せ" それが本当の幸せだと、私はそう思っています。
(「『山の神様』からこっそりうかがった『幸運』を呼び込むツボ」桜井織子さん、あとがきより)