hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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💕幸せを感じる人💕

2018-02-24 08:55:27 | お話
💕幸せを感じる人💕


これは福祉用具専門相談員をしていた頃のことですから、もうずいぶん昔の話です。

先輩が担当していた利用者さんのお宅に同行をしました。

利用者さん宅に向かう車の中で聞いた情報は、

利用者さんは女性、(50代前半) 、若年性認知症がかなり進行した状態である、でした。

ご主人がつきっきりで在宅介護をしていて、つい最近引っ越しをした、という話もそこで聞きました。

おうかがいしたお宅は築50〜60年、と思われる古い木造の長屋で、

家の中にある大きな家具は、介護ベッドとテレビだけでした。

お洋服など生活用品は、すべてそのまま床の上に置かれていました。

初めて会った利用者さんは、先輩が話していた通り、認知症がかなり進行していて、まったく会話ができません。

感情がなくなっているため、ずっとテレビを見つめたままでじっとしていました。

声をかけると一応こちらを見るのですが、

その顔は無表情で、すぐにまたテレビの画面に目を移します。

歩行が困難になり寝たきりでしたし、排泄のコントロールもできなくなっていました。

介護サービスを利用し始めた頃は、
まだまだ元気で記憶もしっかりしていたそうです。

先輩が行くと

「〇〇さん、来てくれはったん〜?」

と大喜びしていたらしく、
本当に認知症? と思うくらいしっかりしていたそうです。

私はこの日が初訪問でしたから、先輩とご主人の会話を黙って聞いていました。

「こんなところまで落ちぶれてしもたわ〜。あはは」

「〇〇さん、まだ若いんだから大丈夫ですよ。また仕事を始めたら、もとのようになれますって〜」

事情がさっぱり分からない私でしたが、ご主人は屈託なく笑っていて、先輩のなぐさめは噛み合っていないかも? と思いました。


車に戻ってハンドルを握ると先輩が詳しい話を始めました。

このご夫婦はもとはお金持ちだったのだそうです。

先輩がケアマネジャーと一緒に初めて訪れた家は豪邸で、車庫には外車が停まっていたそうです。

ご主人の腕には超高級腕時計が光っており、

ごっつい指輪(先輩の感想です)もしていて、

ファッションも派手で遊び人風だったと言っていました。

ご主人は会社経営をしていたそうです。

奥さんの介護は自分がする、人任せにしない、とご主人が宣言した時、

ケアマネと先輩は

「こんなお金持ちの、遊び人ぽい人にできるわけないやろ」

「在宅介護がわかってないな」

と思ったそうです。

ご主人の決意を信じていなかったケアマネは、施設に入れる選択肢もありますよ、と話したそうです。


それからは行くたびに、ちょっとずつ生活が変化していったそうです。

まず指輪が指から消え、次に腕時計がなくなり、車庫から外車も消えました。

会社もたたんだそうです。

小さな家に転居して、細々と暮らしていたそうですが、

今回もっと家賃の安い家に引っ越しをした、と言う話でした。

初期の頃のご主人はハツラツとしていて、バリバリ仕事をこなしています! という雰囲気だったのに、

今は背中を丸めてしょんぼりしている、一気に年を取ったみたいだ、と先輩が言っていました。

そうか〜、そういう事情だったのか、と聞いていて在宅介護の厳しさを思いました。

その後、先輩の手がまわらない時に、私が何回か紙おむつの配達に行きました。

行くとご主人はいつも明るくニコニコしています。

それは無理をして作った笑顔ではありませんでした。

ハンコが見つからないと探している時も、

こんなに物が少ないし、探す場所もないのに見つからないのは、おかしいよなぁ?

と素直に笑っていて、ご主人に暗い心の闇はまったくなかったのです。

無表情でじっと座っている奥さんに普通に話しかけ、

返事が返ってこなくても、奥さんが笑わなくても、

ご主人は変わらずニコニコしていました。


一度、配達が夜にはなったことがあって、ご主人は調理をしていました。

玄関を入ったところが台所でしたから、見るつもりがなくても見えてしまいます。

小さなお鍋で具の少ない煮物を作っていました。

そしてこの日も、ハンコがないと明るく大騒ぎをしていました。


紙おむつは対象者であれば自治体から補助金が出るのですが、

ご主人はそれを、ありがたい、ありがたい、といつも感謝していました。

同じ補助を受けているほとんどの人が、

「当然である」という態度で、

配達に行くと、

「そこらへんに置いといて!」

などと面倒くさそうに言っていたので、

ご主人の心根の良さがわかります。

お金がある時は派手にしていて遊び人風だったようですが、

人の真価というのは見た目では判断できず、

困難がきてそこで初めてわかるものなのかもしれません。

そして、ご主人は自分を不幸だとまったく思っていないようでした。

きっとお金持ちだった時に、

「お金があるから自分は幸せ」

と考えていなかったのだと思います。

もし、そう思っていたとしたら、お金がなくなった状態は不幸になるからです。

ご主人の幸せのキーポイントとなっているのは奥さんのようでした。

ご夫婦にはお子さんがいませんでしたから、頼る人もなく、

「自分には妻しかいない」

ということをチラッと言っていたのです。

話ができなくても、笑顔がもらえなくても、

この先ずっとありがとうと言ってもらえなくても、

奥さんがそこにいてくれればそれだけでいい、

と話すご主人は輝いて見えました。

奥さんが自分より先に逝くだろうことも知っているので、

最期のその時までできることはしてあげようと思っていたようです。

人を愛するって、こういうことなのだな〜、

と私はその時しみじみと思いました。


幸せは人によって違います。

人の幸せを基準にしてしまうと、人が持っているものを自分が持っていなかったら不幸になってしまいます。

お金が足りないと不幸、結婚してないと不幸、

子供がいないと不幸、正社員じゃないと不幸、

妻が健康じゃないと不幸、という考えになってしまうわけです。

そうではなく、このご主人のように自分が幸せだと感じていれば、

誰がどう思うと、世間がどう見ようと関係ないのです。

幸せは、他人に認めてもらうわけもらわなければいけない、というものではありません。

"自分が感じる幸せ" それが本当の幸せだと、私はそう思っています。


(「『山の神様』からこっそりうかがった『幸運』を呼び込むツボ」桜井織子さん、あとがきより)

『ひとりさんからあなたへの手紙』

2018-02-23 09:55:48 | ひとりさん
『ひとりさんからあなたへの手紙』


魂の成長とは、神の愛を信じきること。

神はあなたを愛し続けているんです。

あなたが神を見捨てることはあっても、

神があなたを見捨てることは絶対にありません。

あなたが勝手に見捨てられたと思うだけです。

あなたに起きることはすべて神の愛なんです。

あなたの魂の成長のために、

あなたの幸せのために、

あなたが愛であるということに気づくために、

起きていることばかりなのです。

神が起こしてくれたことに、

絶対なる肯定、

絶対なる積極で、

また一歩、また一歩と

前進するあなたに、

神は必ず幸せな奇跡をたくさん起こしてくれます。

人生とはあなたと神との楽しい旅だということに

気づくことです。

たとえ大切な人の死に出会っても、

苦しくて耐えられないとき、

はじめて人は、

天国があり、

来世があるということに気づくのです。

この世の死は天国での誕生。

天国での死は、この世の誕生。

神はあなたに

耐えられないような苦しみを与えるはずがないのです。

耐えられないような苦しみが来たときは、

無上の喜びを感じる教えに出会うときです。

あなたの前には、

神さまがくれた扉がいつでもひらかれています。

魂の成長という名の階段を

一歩いっぽ
上がってください。

神さまは、

あなたが来ることを両手をひろげて
待ってくれています。

苦しまないでください。

気づいてください。

神もあなたも

愛でできていることを

信じてください。

そして、力強く一歩、足を踏み出してください。

素晴らしい人生のために。

さいとうひとり


(「斎藤一人 奇跡のパイブル」舛岡はなゑさんより)

体に語りかける⑥

2018-02-23 09:53:51 | 自分でできる健康維持
体に語りかける⑥


「人のために尽くしなさい」

「人が喜ぶような生き方をしなさい」。

私たちは子どもころからそういわれてきました。

しかし、自分で自分の価値を認められない、他者評価に生きている人が、人のために尽くそうとすると、体をこわしてしまうこともあります。

会社を経営している40代の女性は、腰痛と左の臀部(お尻)に痛みを感じて来院しました。

きついスケジュールのなか、仕事で海外に行き、重い荷物を運んでいたら症状があらわれたといいます。

「経営について何か大変に思ってることはないですか?」

とたずねると、

300人のスタッフを抱えて、やらなければならないことが山積みで困っているといいます。

本当はこじんまりとした個人経営で満足だったけれど、

自分の意図に反して経営が軌道に乗り、会社が大きくなっていったそうです。

「会社が大きくなればスタッフも増えます。

会社の重要なことも、ある程度スタッフに任せればいいとわかっていても、任せられるスタッフもいなくて。

毎日遅くまで働いて、もうヘトヘト。

スタッフが増えれば、スタッフの家族も養わなきゃいけないし、私ががんばらないとダメなんです」

つらそうに訴える彼女に、私は次のようなこといいました。

何か成功を収めると、周囲の期待はさらに高まります。

それは、本人の肩にのしかかり、心の中には、失敗に対する恐れも芽生えます。

そこに、任せられない、自分がやればいいなどと、「抱え込む」役割を背負ってしまうと、

それ以外のものも、どんどん抱え込むことになります。

誰にも頼らず自分でなんとかしなければならない。

自分が完璧なら仕事がうまくいくはず。

そんな価値観が、彼女の腰痛を引き起こしているように私は思えました。

自分の世界を隅々までコントロールしているような感覚では、

自分も苦しいだろうし、この先ますます苦しくなるのではないですか、と。

「先生、まさにそのとおりです」

彼女はとても納得していましたが、その後、なかなか彼女の症状はよくなりません。

それは彼女自身が理解していました。

「本当にそのとおりだと思うのですが、なかなかそんな自分を心から受け入れられないのです」

頭で理解することと、心で感じて受け入れることはまったく別のことなのです。

そもそも、なぜ意図に反して会社を大きくしたのかとたず尋ねると、

がんばってくれているスタッフのためにも、会社を成長させたい、

スタッフの生活を安定させて喜んでもらいたいと思ったからといいます。

彼女自身は、 "人に喜んでもらいたい" という他者貢献が動機と思っているのですが、

実は、 "まわりによく思われたい" という考えが軸になっている場合もあります。

本当の自分の気持ちに気づいて、それを大切に扱ってあげていれば、

"会社を大きくするという選択を断る"

ことだってできたできたはずです。

しかし、その選択をしなかったということは、実は、心のどこかで

「これだけやってあげているんだから、ちゃんと働いてくれるよね」

「あなたたちのために尽くしている私にもっと感謝して」

などといった見返りを期待していることもあるのです。

「人のために尽くすことはよいこと」ですが、無償の愛ではないことがほとんどです。

たとえばボランティア活動を積極的にされる方は無償の愛が動機と思っていますが、

心の奥底では

「自分は世の中で役に立っている存在だ」

「お金に関係なく施しをしている自分は美しい」

といった他者評価を求めていることも多いのです。

そのような人は、

「どうせ、みんないい人だと思われたいんでしょ」

などと自分のしていることを批判されると、

隠していた本心を見透かされたようで、怒りが湧き出てしまうんです。

本当に心から人を助けたい、誰にどう思われようとそれがしたい、

と思っている人は、まわりからなんといわれようと

「はい、そうですか」

くらいにしか思いません。

「助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく、助けつづくけなさい」

と、マザー・テレサはいいましたが、

他者評価ではなく、自分で自分を認めてあげることが、健やかさにつながります。


(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)

体に語りかける⑤

2018-02-22 14:53:12 | 自分でできる健康維持
体に語りかける⑤


私たちは目標を立ててそれを達成することが良いこと、という社会の中で生きてきました。

しかし、その先 "どうしたいか" がないのです。

いい大学に入ったあと、就職したあと、素敵な旦那さんと結婚したあと、

自分自身を見失い、どうすれば満たされる生き方ができるのかが、わからなくなってしまいます。

両手首が痛いといって来院したと看護婦さんもそんな1人でした。

この看護師さんは2ヶ月ほど前に左手首が痛くなり、1週間前に右手首も痛くなったといいます。

診察すると、親指側の手首を通る腱に炎症が起こる、ドクエルバン病という腱鞘炎でした。

手首は創造性、柔軟性をあらわす部位です。

そこが炎症を起こすということは、創造的に生きていない、

やりがいを感じていない、自分らしさを発揮できていないという証拠です。

私が、体と心の関係、そして手に炎症が出ることの意味などをこの女性に話すと、

思い当たることがあって、看護師をやめようと思ってると話し出しました。

聞くと、若いころは自分なりに努力して、看護師になるという目標を達成し、

満足感でいっぱいだったそうですが、

いざ仕事をしてみると、毎日採血ばかり。

単純作業の連続で、これは本当に自分のやりたいことだったのかと、疑問に思ってしまったというのです。

だったら、何をやりたいかというと、それもわからない。

次の目標も立てずに看護師をやめていいのかと思うと、なかなか勇気が出ずにいる状態なのだといいます。

私は、その女性に、

「なぜ看護師になろうと思ったんですか?」

と聞いてみました。

すると、看護師になればお給料もしっかりもらえるし、

世間体もちゃんとしているから、という答えが返ってきました。

この女性に限ったことではありませんが、

私たちは社会的な評価を得るために何かをしなければならないと思っています。

社会的評価がよければ自分の価値も高まり、

社会的効果がよくなれば自分の評価は下がる、

と思い込んでいるのです。

ですから、この女性は安定した職業を捨てることで、まわりからどう思われるかが不安になり、決心がつかないでいたのです。

私がそう伝えると、うつむきながら、何かを感じているようでした。

私は続けました。

「同じように採血するだけの仕事をしていても、患者さんとのコミュニケーションを大切にしていたり、

そこに喜びを感じている人もたくさんいますよね。

あなたはそう感じなかった。

要は看護師になって何をしたいかというよりも、

看護師になるという目標を立ててそれを達成してしまったら、

目標がなくなってしまった。

仕事がつまらないことを採血のせいにしているけど、

本当は、自分はどう生きたいか、というところを考えなくてはいけないのではないですか?

次の目標立ててもそれを達成してしまったら、

また同じことの繰り返しですよ。

目標がないことを不安に思うのではなく、

自分は何をしたいかという願望をちゃんと見ていきましょう」

そういうと看護師さんは晴れやかな顔をして、


「そうですよね。

次の目標を探すのではなく、やりたいことを見つけてみます。

看護師をやめることに迷いがあったけれど、

それは正しいことなんだって肯定できました。

これからは、やりたいことを仕事にできるようにしてみます」

と、足取り軽く帰られていきました。

この看護師さんの中には、創造性を発揮する仕事ができないつらさ、

そして、繰り返す作業に怒りを感じつつも、

"目標達成することは素晴らしい"

という価値基準しかなかったため、

自分が満たされる生き方がわからなかったのです。

この方もきっと、本当に自分がやりたいことを見つけていくことで、

手首の痛みは改善されていくでしょう。

私の話に、医療従事者たちだからこそ腑に落ちることがあったようで、

その後、友人にも私のクリニックをすすめてくれるようになりました。

病気は悪者ではなく、自分が必要とすることを教えてくれるメッセージ。

そう理解した看護師さんの、いきいきとした表情が非常に印象的でした。


(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)

体に語りかける④

2018-02-21 16:39:46 | 自分でできる健康維持
体に語りかける④


私たちは抑圧された感情に気づいたら、

"新しい自分に変わるために行動を起こさなければならない"

と思いがちです。

たとえば、いつも否定的な意見をいう母親に対してイヤだと思いながらもいいなりになっていた自分に気づいたら、

「お母さんのいい方は、否定されているように感じてイヤな気分になるの」

と言ってみるとか。

もちろん、その母親にいったところで母親からどんな反応が返ってこようと、

気にならない自分であればいいのですが、

たいていの場合は、母親からの反撃を恐れてなかなか行動にまで移せません。

すると、

「行動に移せない自分はやっぱりダメだ」

と、また自己否定することになってしまいます。

これでは本末転倒です。

私は、まずは抑圧された感情に気づくだけでいいと思っています。

気づいた時点で抑圧されていた感情に光が当たり、そういう思いも自分の一部だと、引き受けるようになるからです。

すると、今まで滞っていた部分にも、しっかりと生命エネルギーが通るようになり、

その結果、今まで気になっていたことが気にならなくなったり、

こだわりが薄れてきて、体の痛みもなくなっていくのです。

先日クリニックにいらした50代の女性は、そのことを教えてくれました。

この女性は、約2年前に、長きにわかって介護してきた母親を肝臓がんで亡くしました。

母親の死後、腰痛と左脚の痛みが出現し、
最近になって症状が悪化してきたため来院したのです。

初診のとき、左脚の痛みがひどく、歩行も困難なほどでした。

そこで腰椎のX線写真とMRIを撮ると、

確かに脊柱間が狭くなってしまう脊柱間狭窄症の所見が見られます。

私は、この女性に、脚の痛みは、第一のチャクラが不安定になっていて自分の存在が根づく「グラウンディング」ができていないこと、

何かに対する恐れのあらわれであることなどを伝えました。

女性は自分の中にある恐れを理解しようと、真剣に耳をかたむけて聞いていました。

その時点では、恐れが何か、まだ答えは出なかったのですが、

脚の痛みが自分の中にある恐れから起こっているということに気づいただけで、

診察が終わったあとは歩いて帰ることができたのです。

その後、リハビリテーションで何度か通院されました。

そのたびに、グラウンディングや呼吸法を指導し、

本当の自分を理解していくことに意識を深くもちはじめました。

だいぶ痛みがひいたこの女性は、ある診察のときに、自分の恐れを語ってくれました。

それは、母親の死を目の当りにして、

自分も病気になったらどうしよう、
母親が亡きあと、ちゃんと生きていけるのかなど、

生きることへの不安があったといいます。

実際、その恐れにとらわれていた自分に気づいたら、だんだん前向きな気持ちになってきたそうです。


ただ、私にはまだ何か心に抱えていることがあるように思えてしかたありませんでした。

そこで、

「本当はまだ何かあるのではないですか?」

と聞くと、

すごくストレスになっていることがあるといいます。

それはなにかと聞くと、遺産分配で実のお姉さんともめているというのです。

「姉はお金にすごく意地汚いです。

母は私がずっと介護してきていたこともあり、遺言に、姉よりも私に多く遺産を配分するように書いてくるていました。

でも、姉は納得がいかないといって、弁護士を立てて異議を申し立ててきたんです」

そんな胸の内を少しずつ話しはじめました。

私は、この女性に感じるものがあって、少し意地悪ないい方をしました。

「もし、自分がお金に意地汚くないと思っているのなら、

お母さんの遺言は無視して、お姉さんと平等にしたらどうですか?

もしくは、遺産を寄付してもいいのではないですか?」

すると急に表情を険しくさせて、

「私がずっと介護してきたのですから、多くをもらって当たり前です。

母の遺産は渡したくありません!」

といったのです。

これは、この女性の本心だったのです。

人は隠していた本心を突かれると怒り出すことがあります。

実は、この怒りの感情を出すということが、

健康になるためには欠かせません。

長年、心の中に押し込めてきた怒りという感情に視線を向けてあげる、

感情を感じ取ってあげることで、

自分を客観視することができるようになるからです。

もっといえば、

本当の気持ちである怒りを無視しつづけてきたために、

エネルギーの流れが滞り、病気や体の痛みを生んでしまうのです。

この女性の場合、お姉さんに見ていた意地汚さは、

自分自身が見ようとしなかった本当の自分の姿ということです。

本当の自分を知りたくない、

知られたくない、見抜かれたくない、

そういう恐れがエネルギーの流れを滞らせ、体に痛みとしてあらわれていたのです。

この女性は、私の説明に納得いかない顔して帰ってきました。

ところが、2週間後に再診に来られたときのことです。

「先生、見て! まったく痛みがなくなっちゃった!」

といって、ラインダンスをするように足を高く上げながら診察室に入ってきたのです。

「前回、先生にいわれたと、正直腹が立っていたんですが、

しばらくして、姉の言動の中に自分にも同じ部分がある、って気づいたんです。

今までの私は、お金に意地汚いことは醜いもの、悪いものと自分で判断して、真実から目を背けていました。

そこを突かれると、怒りの感情で逃げようとしていましたが、

本当の自分の思いに気づかされて、ようやく先生のいうことが理解できたんです。

そしたら、腰痛も右足の痛みもまったくなくなっていました!

本当に体ってすごいんですね!」

不思議なことに思われるかもしれませんが、

心の中にためた感情を吐き出して、エネルギーの滞りを流すことは、

根本から病気を解決する策です。

診察のなかの会話では、涙される方もたくさんいらっしゃいます。

やはり泣くからには、その人なりの心のしこりがあるのだと思います。

泣いていかれる方は例外なく、心の重荷や気になっていたことを降ろすことで、

かたまっていた生命エネルギーがゆるみ、何かが動き出しています。

入室前には緊張していた表情も、泣いたあとはリラックスして、くつろいだ温かい笑顔になられたりします。

このように、人間は感情を使って、心に変化を起こすことができます。

感情はエネルギーそのものだからです。

感情を押し込めるということは、
変化を拒んでいることと同じなのです。

感情を知ることを恐れる必要はありません。

それどころか、抑圧された感情に意識の光を当てるだけで、体は自然治癒力を発揮していくのです。

私は、この女性が、とことん本当の自分と向き合った勇気に拍手を送りたいと思います。


(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)