花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉七福神の社寺参詣

2006-01-20 | 鎌倉の四季

第32代祟峻天皇の頃、厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋を討伐する際「四天王」の像を作って戦勝祈願をしました。
「弁才天」は唐からの経典で仏法を守護する神とされ、「大黒天」は最澄が中国から持ち帰った「国史大辞典」に厨房を守る善神としての記載があります。

従って平安期には既にこれらの神は信仰の対象にされていました。種々変遷はあったようですが、江戸中期には七福神の現態勢が定まったようです。

更には、七福神と金銀財宝を満載した「宝船図」が登場し『永き世の遠の眠りの皆目覚め、波乗り船の音の良きかな』と言う回文(上から読んでも下から読んでも同音の文)が出来て、七福神詣の風習が今に続いています。

鎌倉七福神詣は、昭和56年頃から江ノ電ツーリストが勧誘して始まったと言われています。
其の風習に私も参加させて頂きました。

【布袋】
鎌倉五山 第四位の浄智寺の境内奥のやぐらの中に弥勒菩薩の化身と言われる等身大の柔和なお姿がありました。
     

【弁才天】
鶴岡八幡宮・源平池の中之島にある朱の小祠に祀られていましたが、現在は鎌倉国
宝館に移されています。
膝に琵琶を抱えて奏楽する神躰は運慶の作です。
     

【毘沙門天】
鎌倉で毘沙門天を祀る社寺は、杉本寺・多門院本尊・白山神社の毘沙門堂、そして写真の宝戒寺などにありますが、全てが鎌倉の北側にあり 北方の守護神・仏法の守護神で四天王最強の神です。
写真撮影不可。お堂一杯に灯明や供物・煌く装飾の中に以外に小さなお姿を拝しました。
     

【寿老人】
妙隆寺は本堂を新築中で、銅版葺きの屋根が眩いばかりに輝いていました。
対象的に小さな祠の中の寿老人を、反射するガラス窓から何とか写した一枚です。
     

【夷】
本覚寺のご神体は「夷」(えびす)と書き、東方のエビス(異民族)の事。
「字」も弓に矢を番えた人から成り、弓矢を持って東国を守る神を意味すると言われています。
寺伝では 源頼朝が鎌倉幕府の裏鬼門の守護神として、夷神を祀った事に始まるとしています。
     

【大黒天】
長谷寺の観音堂の左手に大黒天は安置されています。
インドの神様(梵語でマハーカーラ)。 暗黒破壊神の化身で忿怒の魔神であり多くの記述が有ります。
一方財福神としては糧食の守護神として、何時も油で拭うために黒色を呈していると記載され、金の袋を持った厨房の神様となっています。
     

【福禄寿】
御霊神社の例祭は毎年9月18日に面掛け行列が行われますが、オカメ・ヒョットコ・爺・鼻長等・伎楽・舞楽の10の仮面が使われます。その仮面中の福禄寿面が鎌倉七福神の札所となりました。
中国道教の神様 福(幸福)・禄(福貴)・寿(長寿)を司る長頭の福神です。