花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉 扇ヶ谷

2006-09-27 | 鎌倉の四季
                       【頼朝像 源氏山】
 
今回「桔梗の会」では 中世の扇ヶ谷旧跡を尋ねました。
鎌倉駅西口から横須賀線に沿って北鎌倉方向に歩くと、間もなく広大な敷地に【壽福寺】はあります。
鎌倉五山の第三位であり、北条政子が源義朝(頼朝の父)の旧跡を栄西律師に寄贈して壽福寺は創建されました。
     
     

寺院には入場出来ませんが、背後の墓地には高浜虚子・大仏次郎・陸奥宗光など、近代著名人の墓があり 山側のやぐら群の中には、【源実朝や北条政子の五輪塔を納めたやぐら】があります。

     

開山 栄西は京都建仁寺の開山でもありました。二度に亘り入宋して茶の苗を持ち帰り、宿酔いに苦しんでいた実朝の為に、茶の効用を説いた「喫茶養生記」を著し国の重文にされ寺宝になっています。

【英勝寺】は先の道を進んだ所にあります。
太田道灌は江戸城の築城や山吹伝説で有名ですが、鎌倉で上杉家の家宰として腕を振るいましたが、当主定正に依って暗殺されました。
家康の側室「お勝ノ局」が家康没後、尼となり太田道灌の邸宅跡に建立した浄土宗のお寺が英勝寺です。今は鎌倉唯一の尼寺となっています。
随所に精巧な彫刻や極楽浄土が描かれ、庭園も美しい佇まいを見せていました。
【唐門】
     

『相模国風土記稿』に 「阿仏(阿仏尼)卵塔跡は、英勝寺北方にあり、阿仏は藤原為相の母なり」とあります。『十六夜日記』の著者として知られていますが、藤原定家の子藤原為家の後妻です。為相兄弟の相続訴訟のため鎌倉に下向して住んでいたようです。
道端の窪みのある凝灰岩の側に卵塔が立てられていたそうですが・・・
為相は「冷泉家」の祖となる人で、浄光明寺の裏山に宝篋印塔があります。

横須賀線と平行していた道を左手の化粧坂切通しから頂上へと向かいました。
麓の壽福寺辺りは源氏代々の邸跡なので、「源氏山」と呼ばれ鎌倉の眺望絶景の地と言われました。昭和40年に頼朝像を建造し辺りは自然公園になりました。

西側の急坂の途中に【銭洗い弁天窟】が見えてきます。
頼朝の夢枕に老翁が立ち「西方の谷に清浄な地があり、神泉が湧きでている。汝がその霊水を汲んで神仏に捧げ供養をすれば、人民自ずから信心を起こし天下は平和に収まるであろう」と。以来今日まで人々は競って参詣し通銭を清めて「銭洗いの水」と呼ばれるようになり、鎌倉「五名水」の一つになりました。

【銭洗い神社】【神泉窟】【絵馬舎:新しく出来たものか】
     
     
     

更に坂道を下ると幟はためく【佐助稲荷社】に着きます。
頼朝が伊豆国蛭ヶ小島の配所にいた頃、枕頭に稲荷神が現れ挙兵を促されました。その後天下一統の基礎を固めた頼朝は、稲荷神の加護を感謝し隠れ里を探し出して報恩のため社殿を建造いたしました。
幼時 頼朝は右兵衛佐(うひょうえのすけ)の官職で佐殿と呼ばれたので、神社は「佐助稲荷」と呼ばれるようになりました。