花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉の修験者道を歩く

2008-03-16 | 鎌倉の四季
                        【岩瀬与一太郎屋敷跡と梅】

修験者(山伏)たちが通ったと言われている道を辿ると共に、周辺の様子を見聞させて戴き春らしい陽気の一日を満喫する事が出来ました。

※修験者:修験道の修行者。多く被髪で兜巾(ときん)を戴き、篠懸(すずかけ)および結袈裟(ゆいげさ)を着け、笈(おい)を負い、金剛杖をつき、法螺(ほら)を鳴らし、山野をめぐり歩いて修行する。もとは太刀を佩(お)びた。山伏。験者(けんざ)。(『広辞苑』より)
          

JR大船駅からバスで今泉バス停まで。そこで今泉不動(称名寺)へ。このお寺には
昨年の5月に参拝しましたので今回は割愛しますが、美しいたたずまいはそのままでした。この裏山沿いを少し戻った所から イヨイヨ【山伏の道】に入って行きます。

現在は「荒井沢市民の森」の標識が立てられています。鎌倉市と横浜市の境に位置するこの森は急峻な丘陵と谷戸が組み合わされたダイナミックな地形が特徴です。
丘陵には雑木林が、谷戸には豊かな緑が水を育み多くの生き物が生息しています。
現在は渇水期でした。


丘陵に出ると「山伏の道」から現実に引き戻されてしまいます。

正面の高い所が鎌倉アルプスです。背面の方向はMM21が見えるそうですが(霞か雲かで・・)。

尚も進むと岩瀬地区に入りますが、鎌倉時代の御家人岩瀬与一太郎の屋敷跡【表紙の梅】に行き当たります。北に山を背負い中央に水田が広がる豊かな農村で、大船千石と呼ばれた地域でした。今も岩瀬氏・吉原氏・栗田氏・脇田氏・磯崎氏等の豪農旧家が残っています。

【その一軒の 栗田家】
はじめは藁葺き屋根だったそうですが三階建てで蚕室もありました。現在一帯は現代風の家が並んでいますが殆ど栗田姓らしいのです。
     

最後に【大長寺】を訪ねました。
1548年玉縄城主3代 北条綱成が治国安民を祈願して建立しました。1516年北条早雲に依る三浦氏滅亡から34年を経ていました。
豊臣秀吉の小田原城攻めの際、徳川家康の内命(住職により)で北条は降伏させられました。
こうして大長寺は北条氏、徳川氏より崇められた格式高いお寺でありました。


【冠木門(カブキモン)】屋根のない簡潔で格式を備えています。武家に多く用いられました。
     

冠木門を入ると正面に幅の広い石段がありますが、家康が輿に乗ったまま上がる事が出来るようになっていたと言います。

※北条早雲に依る三浦一族滅亡については 『 2008-01-26  油壺 「新井城址」史跡めぐり 』 に詳しく記しています。