花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉 北条早雲の野望の跡を偲ぶ

2008-05-01 | 鎌倉の四季
                               【大船観音】

大船は鎌倉の玄関口にあたり、東海道線・横須賀線の下り電車が大船駅を出るとすぐ進行方向右手の山の上に大きな観音像が望まれます。昭和のはじめ 建立の計画から戦争を挟み、歳月を経て漸く昭和35年に現在の美しい像として完成しました。
大船駅から西へ5分 石段を上り詰めた所に巨大な胸像として安置、仰ぎ見ると厳かで慈悲に満ちた表情に圧倒される思いがします。胎内に入ることも出来ました。

この日は『戦国武将・北条早雲が築いた玉縄城(址)と、所縁の寺社を訪ねる』をテーマに、行きがけの「大船観音」帰りがけの「大船フラワーセンター」に立ち寄る事になったのでした。

玉縄城址には1963年(昭和38年)清泉女学院が移転して現在に至っています。
本丸跡と見られる場所は校舎になっていて、僅かに諏訪壇と呼ばれる玉縄城の最高地点の丘が、宅地化から免れて校庭敷地内に残っています。
大木が鬱蒼と繁り本丸平場との高低差が20mあり、城主が最後に立て篭もる処であったと考えられ、此処に信州諏訪の建御名方神(たけみなかたのかみ)を勧請したと伝えられています。

1512年北条早雲築城の以前から、扇谷上杉氏の『玉縄要害』があり 山内上杉氏が攻略したとあり、この要害をべースに早雲は修築しました。関東三大名城(江戸城・川越城)の一つでもありました。
当初は三浦道寸と雌雄を決する基地として、後には武蔵攻略への本拠地となりました。
時経て城主氏勝は 1590年豊臣秀吉の小田原城攻めの際 徳川家康の賢策に従い大応寺・大長寺の住職の説得で無血開城し降伏したのです。その後廃城となり玉縄藩となりました。

現在玉縄北条氏の菩提寺が城址から急坂を下った一帯にあります。
【龍寶寺】 綱成、氏繁、氏勝三代の墓(供養塔)があり 境内には石碑、大王松、庚申塔など由緒の数々が建ち並んでいます。
 
 
【諏訪神社】諏訪壇は御霊神社と諏訪神社に合祀されていると記録されています。

近くに【県立大船フラワーセンター】があり、昼食に格好の場所でした。