花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

古都鎌倉史跡めぐり 大船

2008-06-01 | 鎌倉の四季
                    【ヤマボウシ(鎌倉中央公園にて)】

《粟船の古刹から新緑あふれる台峰・山崎へ》が今回のテーマです。 源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃は、鎌倉の外であった北西地域の大船を訪ねました。

《大船》は古くは粟船(ぞくせん)と称し「吾妻鏡」にも記述がありますが、江戸時代に大船村、昭和になって大船町となって、松竹キネマ大船撮影所の開設を機に開発が進み、現在鎌倉で一番活気のあるところになっています。

《台》は柏尾川の支流で戸部川の左岸一帯に広がる低い丘陵地で、戦国時代には小田原北条氏の所領。 江戸時代に幕府領となり昭和になって大船町になりました。

《山崎》は天神山の南東に位置する狭隘の要衝の地でした。新田義貞鎌倉攻めの洲崎古戦場に含まれ、山崎天神を祀る天神山は砦であったと考えられています。
江戸時代に山崎村となり、昭和23年大船町と共に鎌倉市に合併されました。

【常楽寺山門 三代執権・北条泰時は60歳で他界し戒名の常楽院殿を冠した山号寺号は《粟船山常楽寺》 宗派は《臨済宗建長寺派》 】


【多門院 山之内瓜ケ谷にあった観蓮寺が前身で、永享の乱で消失した寺を上杉氏に仕えた土豪の甘糟氏が熊野神社を勧請し、多聞院としてこの地に移したと伝えられています。院内をご案内いただきましたが、弘法大師坐像をはじめとして 数多くの仏像が安置され、金蒔絵の天井画や 金色に輝く天井からの飾り金具は華麗で美しく静謐なたたずまいに感動しました。】


【甘糟家長屋門 「多聞院」移築に名を残している甘糟家は室町時代には上杉管領に仕え、戦国時代には玉縄北条氏に仕えました。江戸時代後期には大船村の名主としてこの一帯を持つ資産家でもありました。
この建物は保永5年(1708)築と言われ昭和60年に改築されたものです。】
          

【廬山人窯跡 《北大路廬山人の「星岡窯(せいこうよう)」跡》 陶芸家、料理家として名をなした廬山人は大正15年(1926)山崎に土地を借り、九谷焼窯元の須田青華の窯より陶工を呼んで登り窯を作りました。
母屋は厚木近郊から民家を移築。晩年には迎賓館「慶雲閣」を建て、なじみの客を呼び料理を作り自作の器でもてなしました。昭和34年12月76歳で亡くなるまで、ここ「其中山房(ごちゅうさんぼう)」に住みました。】


★北大路魯山人(本名 北大路房次郎 1883~1959)
京都上賀茂神社の社家の次男として誕生。生後まもなく木版師の養子になり苦難の道を歩む。書道の才があり書家岡本可亭の弟子となり22歳で上京書道教授となる。27歳の時朝鮮に行き印刷局の役人になり、古美術を勉強したといわれる。帰国後近江長浜で絵画を、金沢の山代温泉で料理や陶芸を習い、大正8年東京で大雅堂芸術店を開店。手料理を客に出して好評を得る。38歳の時同人組織「美食倶楽部」を発足し、翌年北大路廬山人と名乗る。大正14年赤坂に「星岡茶寮」を開く。以降陶芸家として国内外で活躍。昭和30年人間国宝に推挙されるも固辞。昭和34年12月21日肝硬変で76歳の生涯を終えた。

【魯山人の屋敷 現在は一方を山 三方は生垣で「其中山房」と思われる屋根が一軒見えますが、広い庭は樹木が比較的整然とあるように見受けられました。】
          

【中央公園 鎌倉市のほぼ中央に位置する面積23.7ヘクタールの豊かな自然に恵まれた風致公園です。自然との触れ合いや、農作業体験も出来るところ。又都市緑化植物園や、池や湿地 川などと全てを拝見する事は出来ませんでしたが、雨模様の一日でしたので、休憩舎を利用してお弁当を頂きました。冒頭のヤマボウシが美しい風情を醸し出していました。】

【北野神社(山崎天神) 《祭神 菅原道真》 南北朝時代夢想国師が京都北野天満宮を勧請したと伝えられています。創建は暦応年間(1338~42)とされていますが、次第に衰えて江戸時代には村の鎮守になっていました。
ところが明治35年3月25日、菅原道真没後1000年祭には神殿を修理し盛大な式典が行われたと言われています。正殿があり本殿があって奥行きがありますし、鳥居も厳島神社と同じ両部鳥居で立派でした。非常に長い石段を登らなければ成らない事は、ここを新田義貞が砦にしたことも頷ける事でしょう。】


鎌倉シルバー・ボランティアガイド協会のご案内で、古都鎌倉を探訪していますが
未だ重複した事がなく歴史の深さ・広域さを感じています。ガイドさんも70余名とか、日々研鑽されて受講者を惹きつけていらっしゃいます。受講日も一つのテーマに2日~4日を掛けて、都合が付けられる配慮がなされておりますし、多いときは1日で100名を越えることも多いいと聞きました。20名ずつの班に分けて先着順に出発する仕組みです。