花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉 谷戸に涼風をもとめて庭園を訪問

2008-07-13 | 鎌倉の四季
                  【八重ドクダミ : 鎌倉に似合う花】


鎌倉幕府滅亡後、京都に室町幕府を開き1338年再び武家政治を始めた足利尊氏は、子の基氏を鎌倉公方(鎌倉御所)として東国10ヶ国を治めさせました。
以来 基氏を祖とする足利一族が代々鎌倉公方となり、足利成氏が下総古河に逃れて古河公方を名乗るまで、鎌倉は東国の中心として栄えました。
鎌倉公方の下で関東管領を務めたのが上杉氏で、浄妙寺東方の公方屋敷を護衛するべく 宅間ヶ谷、犬懸ヶ谷、扇ヶ谷、山ノ内に居館を構えたといわれています。

今回は足利ゆかりの「竹の寺・報国寺」、「鎌倉五山・浄妙寺」辺りを、又昭和初期建築の「旧華頂宮邸」の洋風庭園を鑑賞しました。その前に谷戸の旧跡も訪れました。

【勝長寿院跡】
源頼朝は鎌倉に三大寺院を建立しました。「鎌倉八幡宮寺」「永福寺跡」とこの「勝長壽院跡」です。1184年父義朝の菩提を弔うために立派な寺院を、荘厳な伽藍が建ち並んだとされていますが、火災後再建されましたが再び消失して廃寺となりました。今は巨大な石碑を見るのみです。



【釈迦堂口切通】
三代執権北条泰時が、父義時の追善供養に釈迦堂を建てたことに因んでいます。
犬懸ヶ谷を進んだ所に巨大な切通はあります。この辺りに館があったらしい・・・
がしかし(?)・・・涼風が心地よく吹いていました。



【報国寺】
竹の寺で知られていますが、足利尊氏の祖父家時の建立と伝えられています。(一方、開基は上杉重兼であるという説もあります)
その家時には有名な言い伝えが残っています。足利家に伝わる八幡太郎義家の「置文」が自分の代で実現出来なかったことを悔い、「我命をつづめて三代の内にて天下をとらしめ給へ」と祈って子孫に「置文」を残して自害しました。三代とは尊氏に当たります。



永享11年(1439)京都の幕府勢との戦いに敗れた鎌倉公方持氏と嫡男義久は自害し、四代九十年にわたり勢威を揮った関東足利終焉の地でもあったのです。

【旧華頂宮邸】
華頂侯爵の邸宅として長谷寺の境内に建てられましたが、関東大震災で津波の被害に遭った為1929年現在の地が選ばれました。敷地はおよそ1400坪 前面は芝を敷き詰めたイギリス中世の様式を取り入れています。所有者は度々変りましたが平成8年鎌倉市が取得しました。



【浄妙寺】
鎌倉五山五位のこの寺は、1188年頼朝の重臣足利義兼の建立。中興の開基は尊氏の父貞氏で多数の塔頭を持つ大寺院でした。
総門の前に下馬塔(五山の印)が大きくあります。
               

参道の両脇にお茶が低く垣根として刈り込まれています。(壽福寺の栄西にまつわるのでしょうか)
寺域の東に鎌倉の地名の由来にもなったと言う「鎌足稲荷神社」があります。今春木更津市鎌足桜保存会から寄贈されたと言う幼木がありましたが、その「鎌足サクラ」は、ソメイヨシノの後に咲き 薄白から濃いピンクになる八重桜なのだそうです。
               
        
少し急な坂を登り詰めたところに、イングリッシュガーデンが広がって洋館があります。お寺との間は沢山の樹木で隔絶されていて見学も終わりましたので、ここでお食事を頂きました。
石窯ガーデンテラス( site:www.ishigama.info ) の石窯で焼くパンは本当に美味しい。