花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

伊吹山々頂のお花畑とその周辺を巡る 

2008-08-11 | 山陽会
                     【犬山城 ライン下りからの遠望】

山陽会は時にこんな遊びもいたします。
旅行会社のツアーに参加しての一泊旅行は、東名・名神高速と早朝から真夜中まで目一杯の2日間でした。

神奈川県から滋賀県に横たわるこの地域は日本一高い山脈を背後に持ち、何本もの大河を通して、浜名湖や太平洋を真近に見つつ、遠く近く山波を眺めての道中に国宝犬山城や醒ヶ井の清流・戦国時代の合戦の地を踏みしめる一時もありました。

伊吹山が滋賀県と聞くと琵琶湖を思います。標高1377mを深田久弥は百名山に選びました。景行天皇の皇子 日本武尊の伊吹山妖神との対決の話など歴史的背景が評価されたと有りました。

第一日目
【日本ライン川下り】
 木曽川の犬山城上流13キロから下る舟下り。
 雄大な河川美がドイツのライン川に例えられ、緩急の流れに船頭さんの舵捌き
 一本に身を委ねることになるもの・・5~60名くらいは乗っていたでしょ   うか。  水飛沫を何度か潜る事になりました。
 木曽川の10km西方に長良川があります。自由の身の鵜たちは往来しているの  でしょう。
  
      

【犬山城】
国宝犬山城の前身木下城は、天文6年織田信康が築きました。信長の美濃攻略、秀吉と家康の小牧長久手の戦いの舞台になりました。

文禄4年、石川貞清が城主となり現在の城山に築城します。
慶長5年、清洲城主松平忠吉の付家老小笠原吉次が入り、次いで名古屋城主徳川直義の付家老平岩新吉が入り没後、成瀬正成が3万石で元和3年に入りました。そして代々尾張徳川家の付家老として明治に至りました。
明治24年濃尾大震災により、城の一廓が崩壊して財団法人になりますが、成瀬家の所有に変わりはなく 現在第12代目の城主にあたります。

歴代城主たち一部の肖像画です。
       
 


夕刻 宿泊のため名古屋市内に行き夕食後はメインストリート辺りを散策し、翌朝も公園を散策して万博以来の訪問になりました。

第二日目
【梅花藻】
JR醒ヶ井駅に平行して中仙道が通っていて、側を清流が平行して流れています。
これは賀茂神社の地下から伏流水が地蔵川を満たし、梅花藻が群生して涼やかな風景を展開し多くの人々を惹きつけているのです。


  
               

【関が原】
短時間でしたが史上に残る関が原の合戦をイメージし、垣間見る事が出来ました。



【伊吹山】
雲上の花園とも言われて期待しました。しかしこの日だけが曇り空 高度を上げるほどに霧は濃くなるばかりです。琵琶湖は見えるでしょうか。
駐車場は山頂から100m下ったところです。この100mにお花畑は広がっていたのです。遊歩道は東・西と中央の3本で道の難易度やお花の種類が違っているようです。
私達は西遊歩道から登り、中央から下りる計画を立てました。
《霧の伊吹山》



琵琶湖は全て霧の中。しかし山頂は晴れ渡って正に「雲上の花園」でした。
過去 一夜にして11mの積雪があった(世界記録)と言う話を聞きました。なんということ!!
それでは一部に過ぎませんがお花を飾る事に致しましょう。

《シモツケソウ》


          《ルリトラノオ》
          

               《キオン》
                

                    《クサフジ》
                    

《コオニユリ》


          《オタカラコウにアサギマダラ》
          

               《サラシナショウマ》
               

                    《キンミズヒキ》
                    

年間では1000種類もの植物が数えられますし、又カタツムリの宝庫でもあるということでした。
数億年前 この山は海底にあって石灰岩がいたるところにあり、カタツムリにはその甲羅に必要不可欠な栄養素なのです。