花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

光明寺のお十夜

2008-10-15 | 鎌倉の四季
                             【光明寺 大殿】

念仏を唱えれば誰でも極楽浄土に生まれ変る・・と言う信仰が平安時代から鎌倉時代に掛けて盛んになりました。
阿弥陀仏は修行時代に「命ある者全てを救いたい」と四十八願を立てて仏になり、その願いが成就されて築かれた世界を極楽浄土と言います。
阿弥陀信仰は、浄土教として円仁・空也・源信を経て成立し、良忍の『融通念仏宗』、法然の『浄土宗』、親鸞の『浄土真宗』、一遍の『時宗』などがこれに属します。
光明寺第九代観譽祐崇上人は名僧の誉れ高く、宮中で浄土の法門を天皇に御進講を
しました。1495年の10月より光明寺での「十夜法要」が勅許されたのです。
今も古式に則り毎年10/12~15までの4日間盛大に厳修されるのです。

今回 お十夜の一日を関東総本山『浄土宗光明寺』へ参詣いたしました。
総門から入場すると、広場の向こうに巨大な山門が聳えています。鎌倉最大で 間口16m、奥行7m、高さ20mは、一階が日本式、二階が中国式で楼上には釈迦三尊や四天王、十六羅漢が祀られています。山門拝観は4月の観桜会と10月のお十夜の時だけなので、上がって見ることにしました。前方には鎌倉の海がひろがっています。周り廊下の後方には大殿が控え この時ばかりは出店が多くそちらの賑わいも加わっていました。
      【山門】
  

          【十六羅漢】
          

本堂右手の庭園は小堀遠州の作と伝えられ、【三尊五祖の石庭】と言われています。
三尊は阿弥陀仏と両脇の勢至菩薩と観音菩薩を表し、浄土宗の五大祖師(釈尊・善導・法然・鎮西・記主)を示しています。
  

【内籐家墓地】
江戸時代、磐城平 後に日向延岡藩主に封じられた譜代大名で、三代藩主 忠興の時、江戸 霊岸寺から光明寺に歴代の墓を移し、ここを菩提寺にしてきました。
その際多数の寺領と宝物(国宝の当麻曼荼羅)等の寄進を行いました。
58基もの墓碑を備え、高さ3mを超える大宝篋印塔が並ぶ壮大な内籐家墓地は、その興隆を物語ると共に、江戸期における大名墓地の時間的変遷を知る好材料として貴重なものです。
石像の総数は200基は有ると言うことです。

  【内籐家の墓地 宝篋印塔】
  

  【内籐家の墓地 墓碑】
  

  【内籐家の墓地 燈篭】
  

昼食は浜辺でとる事になりました。
光明寺からは目の前です。海中に和賀江島が顔を出していますが、これは鎌倉幕府が船の寄港のため突貫工事で完成した船の係留島です。一帯は材木座の地名が残り建築資材の集積が成された処でした。入港する船からは光明寺の広壮な聳え立つ山門が見えた事でしょう。
空は今にも雨になりそう・・・これから「お練行列」があるので心配です。
 
【材木座からの海原】


近くの九品寺から光明寺までお練があるのですが、遂に雨が降り始めてしまいました。練行列とは 稚児やご詠歌の行列、雅楽の奉奏、念仏の詠唱をしますが、道路は中止して開山堂の廊下から大殿の裏側を廻って正面へとお練行列は行われました。傘を差しながらの撮影です。

【大殿正面の練行列】