花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

古都鎌倉史跡めぐり 『やぐら探訪』

2009-03-17 | 鎌倉の四季
                           【浄光明寺のやぐら】

NPO法人 鎌倉ガイド協会の「史跡めぐり」に参加するようになって3年が過ぎました。中世の頃の鎌倉に少しは対峙できるようになったかな・・の心境です。

今回は『やぐら』。 中世鎌倉を取り巻く山稜山腹を穿って造られた横穴式墳墓は、埋葬・納骨のための墳墓窟と供養を行う仏殿の両方の機能を持っていました。
当時の人々の浄土を求めるひたむきな願望の現われとして、聖なる宗教的空間であったものでしょう。
埋葬者は上級武士や僧侶階級が殆どで火葬骨。一般民衆は土葬で鎌倉では海岸近くに埋葬されました。これは海の砂で身を清める為といわれ 現代になって由比浜海岸から多量の人骨が見つかっています。

【西瓜ヶ谷やぐら】
北鎌倉駅を少し北上して左折、私有地の中を横切って森に入ります。別名「十四やぐら」が現れました。森全体が遺跡とみられ、かっては寺院があり埋葬物が多くあると考えられるとの説明でした。

《十四やぐら》鎌倉時代後期のもので、追善供養のため初七日から七日ごとに五輪塔をつくり、中央の大型の塔は四十九日の法要に作られたとの梵字が残っています。そして左側にまだ7基並んでいて14基揃っています。



前方に進むと「切通し」があり、尚前進すると「棚田」のある細い畦道を行くと今度はロープの助けを借りるほどの急坂の上に次の「やぐら」が見えてきました。

          【西瓜ヶ谷切通し】
          
 
               【棚田】
               

【瓜ヶ谷やぐら 別名「東瓜ヶ谷やぐら」】
やぐらの入り口を羨門と言い扉があったようです。そこまでを羨道と言い内部を玄室と言います。大きさは様々ですがここは20畳もあろうかと大きく、明りが入らず手探りでカメラを押さざるを得ずアバウトなものになりました。

《龕(ガン)に五輪塔と納骨穴》


他には玄室の中央に如来坐像、横長の龕、大五輪塔、鳥居と神殿、地蔵菩薩立像、
神像があるそうです。

【相馬師常墓やぐら】
相馬師常は、源頼朝の重臣千葉常胤の次男で、相馬氏の祖となった武将です。1180年の頼朝挙兵に父常胤と共に加わり活躍し、多くの戦巧をあげました。
このやぐらは玄室奥壁中央部の大きな龕が、切石で塞がれている独特の形態であり、左奥の一石五輪塔も大変珍しい。伝承とはいえ被葬者が知られている極めて稀なやぐらとして価値があります。



【浄光明寺やぐら】
開基は鎌倉幕府六代執権北条長時。鎌倉公方の保護を受けて広大な寺域があり別格の寺院です。裏山には藤原定家の孫で歌道の名門冷泉家の始祖為相の墓があります。母は阿仏尼、京から鎌倉への紀行文『十六夜日記』の作者。
 
《地蔵やぐら》
天井には天蓋を吊り下げた円形とそれを支えた簗の溝跡が見られます。制作年代(1313年銘)が明確な石仏であり、冷泉為相の寄進の伝承があります。



《大伴神主墓所》
鶴岡八幡宮神職・大伴氏と家族の墓で笏型墓碑があります。
 
          

鎌倉で現在把握されている「やぐら」が1200くらい。埋もれているものを含めると2000とも。
しかし地中深くや、半壊や諸々を入れればその倍はあるのではとも聞きます。