花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

江ノ電   極楽寺駅までと  腰越駅から乗車と

2009-04-23 | 鎌倉の四季
                             【すれ違う電車】

江ノ電は単線なのですれ違いは駅において成されますが、その手前で調整が行われて左右に分かれて通過して行くのを、何時も興味深く見てしまいます。さて今回は鎌倉駅発車で海沿いを極楽寺で下車しました。
『極楽寺』は創建が1259年で七堂伽藍のある大寺院でしたが、縮小されて今では秘仏の清涼寺式釈迦如来立像が花祭りの時にのみ特別公開をされています。撮影は全て禁止でした。

極楽寺の地名を1丁目から4丁目目まで北西に進んでいると次第に急坂になり、やがて鎌倉山を西方に向かって歩く事になりました。瀟洒な邸宅を右手に見 左には輝く海に江ノ島が浮かんでいます。

【行く手を見上げれば・・八重桜が多く見ごろを迎えています】


【小鳥の気持ちになって・・左方向に母屋がありました】


【ペラペラ嫁菜が到る所に咲き乱れて】
          

暫く進んでいると眼下に広大な樹林帯が見えてきました。鎌倉の三大緑地と位置付
けられる60ヘクタールに及ぶ、混合樹林(欅 山桜 湿生植物など)や野生の鳥獣・昆虫類は学術的にも貴重な自然を残しています。
地元住民を中心とする自然保護運動は、押し寄せる開発の波を封じて25年の歳月をかけて緑地の全面保全を勝ち取りました。現在、都市林公園を目指して整備中です。

【広町緑地 その1】


【広町緑地 その2】


【スミレが綺麗 ここで昼食を】
          

真言宗のお寺に限っていくつか拝観しましたが、その中の一つ『満福寺』について書くことに致しましょう。
奈良時代関東に病気が流行り多くの死者が出ました。聖武天皇はこれを心配して、行基を遣わしました。行基は願いを込めて薬師三尊を彫って祈りを捧げると、病は治まりました。行基は仏の功徳を讃えて寺を建てたのが起りといわれています。

1185年源義経は平氏を亡ぼして、鎌倉に凱旋しましたが頼朝の怒りに触れ鎌倉入りを許されませんでした。義経は腰越の満福寺に留まり頼朝の怒りを解くべく書状を書き大江広元に差し出しました。
これが『腰越状』で弁慶筆と言われる下書きが残されています。

【腰越状に命の限りを注ぐ義経】


【静御前】


【弁慶の立ち往生】


【龍を描いた天井画】


【腰越状】


鎌倉彫に依る襖絵は、いやが上にもこの悲劇の主人公を際立たせて余りあると思いました。
再び江ノ電で腰越駅から鎌倉駅に向かいました。立ち席もあって程よい人数でしょうか。午後の陽射しに和やかな笑顔が・・・