花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉史蹟めぐり 覚園寺から

2010-08-13 | 鎌倉の四季
 8月10日は覚園寺の「黒地蔵縁日」にあたり、この日に先祖供養のお参りをすると四万六千日分の御利益を授かると言われています。
覚園寺は鎌倉幕府執権北条氏ゆかりのお寺ですが、有力御家人の足利氏一族とも強い繋がりがあり、足利ゆかりの地も辿りました。
 
【覚園寺 黒地蔵盆】
  
   《山門》
  
        《脇門と七重の石塔》
        
鎌倉幕府第2代執権北条義時が日頃信仰していた薬師如来を祀る為に建立した大倉薬師堂が前身とされています。
約80年後、直系の子孫である貞時が元寇再来のないことを願い覚園寺としました。
鎌倉幕府滅亡のあと後醍醐天皇の勅願所になり、その後足利氏の祈願所ともなりました。

薬師堂に程近い所に地蔵堂があります。
鎌倉時代の地蔵菩薩像が安置されていて「黒地蔵」と呼ばれています。この地蔵は、地獄に落ちて火責めの刑にあっている人々の苦しみを少しでも和らげようと自ら火を焚くので煤けており、幾ら彩色しても一夜の内に黒くなってしまうと言います。
古くから招福除災の信仰で知られており、又病気治癒や子宝・出産・育児にも霊験あらたかとされています。

「黒地蔵盆」には、初めての参拝でしたが、灯りの入った灯篭や色紙の帯、線香が焚かれ、多勢の人々が熱心に拝礼して、静まったいつもとは大いに違って華やいでいました。
拝観受付以奥からはいつも撮影はご法度ですが、本日に限って境内は全てNOでした。

塀の外側に咲いていた花2点を添えましょう。
          《ガマズミ》
          
               《藪茗荷》
               

【瑞泉寺】
開山は夢想疎石 禅院相応の勝地としてこの地を選び建立した寺。
初代鎌倉公方足利基氏は、遺命で当寺に葬られ以後鎌倉公方代々の菩提寺になりました。盛時には10を超える塔頭があり、関東十刹の一位に列せられていました。
夢想疎石は造庭の才にも優れ 禅の思想に基ずいた国指定の名勝になっています。

     《名勝 庭園》
     
               《本堂》
               
花の寺としても有名ですが、強烈な陽射しに花がなく屋根の稜線が際立っていました。

【護良親王墓 (もりながしんのうの墓)】
     
護良親王は後醍醐天皇の第三皇子です。征夷大将軍となり軍勢を率いて入洛します。その後足利尊氏との対立を深め、捕らえられ鎌倉に下されます。中先代の乱で足利直義が背走する時に親王を殺害し藪の中へ捨てます。その首を葬ったのが理智光寺の住職でした。
時移り明治天皇の勅命で理智光寺跡の谷から、急坂の石段を登ったところに石垣と菊のご紋に囲まれたお墓が出来、宮内庁が管理しています。

【浄妙寺】
足利尊氏の父・貞氏が中興開基であり元弘元年(1331)に亡くなり、浄妙寺殿と呼ばれ当寺に葬られました。
14世紀後半には七堂伽藍、100人を超す僧侶、20を超す塔頭があり鎌倉五山に列せられました。

《貞氏の墓》
               
《鎌足桜》