元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

「宗教とグローバル市民社会 ロバート・ベラーとの対話」読書開始

2014-08-16 23:09:33 | 読書
「宗教とグローバル市民社会 ロバート・ベラーとの対話」読書開始。
帯には「宗教社会学の巨人 最晩年の問題提起」とある。まだ読み始めたばかりであるが、その思想のスケールの大きさに圧倒される。

何故私は哲学を学ぶのか?転機は國分功一郎さんの「スピノザの方法」が面白かった

2014-08-16 12:18:17 | ITマネージメント
ドラッカーは、「マネジメントを志す者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史などを身につけよという。それらの知識によって、成果を出せという。病人の治療、学生の教育、橋の建設、ソフトの設計に使えという。」

この文章を「チェンジリーダー」の中で見つけ学ぶことにした。最初はデカルト、カント、ハイデカーと言った難解哲学から勉強し始めてしまったので、挫折、挫折の連続であった。転機は國分功一郎さんの「スピノザの方法」を読んでからです。とにかく面白かった。
ここでみすゞ書房のWebにある著者のメッセージを少し紹介
http://www.msz.co.jp/news/topics/07579.html

「私は哲学の本を読むときに大切なのは、その哲学者の「思考のイメージ」を捉えることだと思っています。さまざまな哲学的概念の定義を暗記していくのも大切ですが、このイメージに出会うことができなければ、その哲学者を理解したとは言えないでしょう。簡単に言えば、「この哲学はこんな感じの哲学だ」というイメージをつかむということです。 『スピノザの方法』を書くにあたっても、スピノザの「思考のイメージ」をつかむことが大きな課題でした。それにはなかなか難儀しましたが、私はひとつのヒントを手に入れました。それはスピノザに大きな影響を与え、またスピノザが乗り越えようとしたデカルトの哲学と比較してみるということです。この作業を進めるなかで、それこそ私はある「直観」を得ました。それが、説得を求める哲学と説得を求めない哲学という区別です。
デカルトは説得を求める哲学を構想しました。彼の言うコギトの真理とは、どんな懐疑論者であっても説得してしまう「一撃必殺の真理」です。彼はそんな説得の要請を念頭に置きながら壮大な哲学体系を難解な概念を駆使して構築していきました。それに対しスピノザは、説得の要請こそがデカルトの哲学を歪めてしまっていると考え、説得を求めない哲学を構想したのです。」

その後圧倒的にデカルトの哲学が主流となり、現在の科学技術の発展があるわけだけど、もしスピノザの哲学が主流となり科学技術が発展して来たら、科学を過信しないもっと自然と調和した世の中になっていたのではないか?
そんな事を思い、やはり社会に大きな影響を与える哲学や思想は大事だなと認識し、マネージャーの教養レベルを超えて勉強し始めている。