晩飯後にロッテリアでアイスカフェラテ。一人で家に居てもツマラナイからね。子供達は部活で居ないし、妻は派遣のお仕事中。
TVの懐メロ番組でいつも人気投票すると上位にくる曲にユーミン作詞作曲、バンバンが歌う「いちご白書をもう一度」と言う曲がある。「いちご白書」は米国のコロンビア大学で実際にあった学園紛争を題材にした映画である。人気があると言う事はみんなこの映画を見ているのだろうか?それとも単にユーミンの曲がいいだけの話だろうか。
この映画は1970年公開なので俺はまだ中学生で学園紛争には興味もないし彼女もいないので映画は見ていない。曲が流行ったのは、1975年で俺が大学四年生の時。曲が流行ったせいか、この曲にあるように早稲田松竹で映画が再公開された。学園闘争しているグループが映画を学内で上映するのかポスターが大学構内にも貼ってあった。曲のヒットと共に映画も有名になった。俺は留年が決まっていた。この歌では「就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くないさと君に言い訳したね」と男子学生が彼女に言い訳をする。でも俺の場合は、実際に髪を元の黒髪に戻しチリチリパーマもやめたのは当時付き合っていた彼女の方だった。彼女は大手銀行に内定していた。来年の4月から務め始める彼女とは、別れる予感がした。と言うか振られる予感がした。
「パパ、ご飯冷めちゃうわよ」妻が言った。TVでばんばひろふみが歌う「いちご白書をもう一度」を見ていた俺は我に返った。
食卓には妻に高校生の長男と中学生の長女が待っている。留年して有り余る時間で行ったアルバイト先で知り合ったのが、今の妻である。何度生まれ変わっても、この家族がいい、この人生がいい。もし留年しなくても、きっと何処かで今の妻に会っていたに違いない。きっと人は生まれた時にはもう運命が決まっているのではないか?そう感じるのはこんな瞬間だ。
この映画は1970年公開なので俺はまだ中学生で学園紛争には興味もないし彼女もいないので映画は見ていない。曲が流行ったのは、1975年で俺が大学四年生の時。曲が流行ったせいか、この曲にあるように早稲田松竹で映画が再公開された。学園闘争しているグループが映画を学内で上映するのかポスターが大学構内にも貼ってあった。曲のヒットと共に映画も有名になった。俺は留年が決まっていた。この歌では「就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くないさと君に言い訳したね」と男子学生が彼女に言い訳をする。でも俺の場合は、実際に髪を元の黒髪に戻しチリチリパーマもやめたのは当時付き合っていた彼女の方だった。彼女は大手銀行に内定していた。来年の4月から務め始める彼女とは、別れる予感がした。と言うか振られる予感がした。
「パパ、ご飯冷めちゃうわよ」妻が言った。TVでばんばひろふみが歌う「いちご白書をもう一度」を見ていた俺は我に返った。
食卓には妻に高校生の長男と中学生の長女が待っている。留年して有り余る時間で行ったアルバイト先で知り合ったのが、今の妻である。何度生まれ変わっても、この家族がいい、この人生がいい。もし留年しなくても、きっと何処かで今の妻に会っていたに違いない。きっと人は生まれた時にはもう運命が決まっているのではないか?そう感じるのはこんな瞬間だ。
WSJの世論調査によると「最近は雇用が着実に上向いているにもかかわらず、「子供の暮らしが自分より良くなるとは思わない」との回答が76%に上り、過去最悪となった。悪いのは政治と政治システムであると思っている人が多数」
息子が高校生の頃、「俺らが大人になっても、きっとお父さん達の世代ほど稼げないと思うとみんな(クラスメイト)言ってる」と言っていた事を思い出す。
日本では、親子共々「子供の暮らしが自分より良くなるとは思わない」と思っている人がほとんどだろう。政治や政治システム、資本主義が悪いと思っても議論さえない。ジャーナリズム無き国の末期症状である。
http://m.jp.wsj.com/articles/SB10001424052702303570604580074942987453172?mobile=y
息子が高校生の頃、「俺らが大人になっても、きっとお父さん達の世代ほど稼げないと思うとみんな(クラスメイト)言ってる」と言っていた事を思い出す。
日本では、親子共々「子供の暮らしが自分より良くなるとは思わない」と思っている人がほとんどだろう。政治や政治システム、資本主義が悪いと思っても議論さえない。ジャーナリズム無き国の末期症状である。
http://m.jp.wsj.com/articles/SB10001424052702303570604580074942987453172?mobile=y
帯に「経済成長なき時代のお金の生かし方」、「消費者であることは、半ば自分で選び取っていますが、半ば企業や市場にコントロールされています。その状態から決して逃避しなければならないと、私は思うのです」、「消費第一世代として株主資本主義のど真ん中生きてきた著者がたどりついたのは、・・・・半径3Km以内の暮らしだった。」とある。
これだけグローバル化が進んで、TPPなどますます米国の経済戦略に取り込まれる日本で、半径3Km以内の暮らしが日本人全体の生き方として可能なのか?甚だ疑問であるが、一部の商店街を中心とした地域コミュニティが存在する地域に住んでいる人達には一番適した生活である事は間違いない。その日に必要な物だけを買えばいい。週末毎に大きなスーパーで買いだめして大きな冷凍庫に食品を保存しておく必要もない。地元のお惣菜屋さんで食べる分だけ買えばいいのである。以前読んだ國分さんの「暇と退屈の倫理学」で学んだ消費より浪費をしようと言う考え方がに近い。ここで言う浪費とは、安かろう悪かろうの商品を大量に買って、ダメになったら捨ててという消費ではなく、多少値段が高くても良い商品を大事に長く使おう、スーパーでついつい買ってしまい、使うこともなく賞味期限切れになってしまう食品を捨てる生活をやめようという発想。
また、確かに消費は企業や市場、特にTVにコントロールされているという意見には同感。TVの健康番組が多くなったのも、健康食品のCM数を見れば一目瞭然。番組で危機感を煽って健康食品を売る。まさにこの本で紹介されている詐欺商法の一つである。
未曾有の超高齢化社会、人口減社会の到来を見据えて、どう生きていくのか?生き方を見直すいい機会を与えてくれる素晴らしい本である。
これだけグローバル化が進んで、TPPなどますます米国の経済戦略に取り込まれる日本で、半径3Km以内の暮らしが日本人全体の生き方として可能なのか?甚だ疑問であるが、一部の商店街を中心とした地域コミュニティが存在する地域に住んでいる人達には一番適した生活である事は間違いない。その日に必要な物だけを買えばいい。週末毎に大きなスーパーで買いだめして大きな冷凍庫に食品を保存しておく必要もない。地元のお惣菜屋さんで食べる分だけ買えばいいのである。以前読んだ國分さんの「暇と退屈の倫理学」で学んだ消費より浪費をしようと言う考え方がに近い。ここで言う浪費とは、安かろう悪かろうの商品を大量に買って、ダメになったら捨ててという消費ではなく、多少値段が高くても良い商品を大事に長く使おう、スーパーでついつい買ってしまい、使うこともなく賞味期限切れになってしまう食品を捨てる生活をやめようという発想。
また、確かに消費は企業や市場、特にTVにコントロールされているという意見には同感。TVの健康番組が多くなったのも、健康食品のCM数を見れば一目瞭然。番組で危機感を煽って健康食品を売る。まさにこの本で紹介されている詐欺商法の一つである。
未曾有の超高齢化社会、人口減社会の到来を見据えて、どう生きていくのか?生き方を見直すいい機会を与えてくれる素晴らしい本である。