天気もいいしドライブがてら県北へ。
まず「三光コスモス園」を目指した。
臼杵から高速を使って約2時間、9時40分に「道の駅 なかつ」に到着。
綺麗なところだなと思ったら出来たのが半年前の事らしい。
だからまだピカピカなんだ。
「三光コスモス園」
そこから10分くらい走ると見えてきたのが「三光コスモス園」
今年で8回目を迎える「コスモス祭」を開催中らしいのだが平日とあって観光客が少ない。
無料駐車場に650台止められるということだが、この日は私達を入れて20台くらいだろうか。
今、咲いているのは原産地メキシコの「マンダリン」というオレンジのコスモス。
13ヘクタールに1250万本のコスモスの絨毯が咲くということだったが、少し遅かったようだ。
奥に見えるのが「八面山」
枯れた花が目立った。
台風19号(10月)の風で倒れたコスモス。
この日は20人ほどの幼稚園児が先生と一緒に来ていた。
来年こそはここ八面山の麓に咲く1250万本のコスモス群をぜひ体感したいと思う。
「中津城」
さて、次は大河ドラマで大注目の「中津城」へ。
もうご存知の通り、この初代中津城主は天才軍師と称えられた「黒田官兵衛」である。
ではその「黒田官兵衛」とは?
簡単にいえば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、この三人の天下人に愛され、恐れられた男である。
その類いまれな知略と先見性で戦国の世を駆け抜けた黒田官兵衛孝高(如水)は、
戦乱の世にあって「戦わずして勝つ」を実行した、奇跡の名将といえるかもしれない。
右の大きな直方体の石が、黒田官兵衛が築いた石垣。
左の小さな石を積み重ねた石垣は後の細川時代のもの。
違いがはっきりとわかる。
この日は雲一つ無い晴天で「中津城」がくっきりと浮かび上がっていた。
中に入ると「黒田官兵衛資料館」がある。
展示品としては、「如水の赤合子」で有名な官兵衛の兜のレプリカや大河ドラマ「軍師官兵衛」で実際に使われた小道具、ドラマを紹介するパネルなどがある。
さらには、ドラマ仕立ての映像も放映するコーナーもあり、豊前国での官兵衛を存分に堪能できる。
「合子形兜(ごうすなりかぶと)」
黒田官兵衛といえば、お椀をひっくり返した兜で有名だが、この合子形兜は、官兵衛の正室・光の実家の櫛橋家から婚礼の際に贈られたもの。
"合子"とは身と蓋が一対で成立する容器のことで、夫婦の間柄を表したものといわれている。
自販機がかわいい。
嫁はこれが大好き(笑)
どこに行ってもこれがあると「顔出し」する。
なんならモザイクを取りたいくらいだ(笑)
「福沢諭吉旧居」
諭吉は、1歳6ヶ月の時父が急死したため、天保7年(1836年)秋、母子6人で大坂の中津藩蔵屋敷から藩地の中津に帰って来た。
最初に住んだ家は、大坂赴任前の父が住んでいた小さな家で、建物は現存せず、宅地跡だけが整備され見学できる。(福沢旧居の駐車場脇に位置している)
その後、16歳の時に買って移り住んだのが現在残されている福沢旧居。
「合元寺(赤壁寺)」
通称「赤壁」といわれるこの寺は、天正15年(1587年)、黒田官兵衛に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、開山空誉上人が開基したと伝えられている。
その後、天正17年(1589年)、黒田氏が前領主の宇都宮鎮房を謀略をもちいて中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を拠点として奮戦し最後を遂げた。
その時の血が何度塗り替えても染み出てくることから、ついに赤色に塗り替えられるようになった、というのがこの赤壁の由来となっている。
「青の洞門」
紅葉にはもう少し寒さが欲しい「青の洞門」を横目に「かかしワールド」に急ぐ。
「やまくに かかしワールド」
稲刈りの終わった田んぼに出現するかかしの世界。
今にも動き出しそうな表情や、どこかなつかしい風景をおりなす。
山国町全域が一体となり地域のあちこちで「かかし」を見る事ができる。
「さざえさん一家」
この頭の一本毛はさざえさんのお父さん(笑)
さて問題。
いまからの画像(1番から9番)の中に一人だけ本物の人間がいます。
さて何番でしょうか?
(1番)
(2番)
(3番)
(4番)
(5番)
(6番)
(7番)
(8番)
(9番)
わかりましたか?
簡単でしたか?
本当に一人は人間ですよ。
私はマジにかかしと思って写真を撮ってしまいました(笑)
動き出したときはびっくりしました(笑)
答え(7番)でした。
「由布岳眺望天空村」
「道の駅 山国」から車で山道を登ること5分。
天空村に到着。
なぜこんな名前なのかがわかった。
この額縁?から由布岳が綺麗に見える、そんな村だった。
ここまで来たのだから「小鹿田の窯元」に行こうと話しがまとまる。
しかし到着したのは福岡県の「小石原の窯元」
なぜ?
簡単に言えば「小鹿田焼きの窯元」を見つけることができなかった(笑)
あっちでウロウロ、こっちでウロウロ。
おばちゃんたち、地元のお店、宅急便のお兄ちゃん、地元のおじちゃん達にきいたのだが・・・。
嘘みたいな本当の話。
「小石原」
ここで何点か買わせていただき・・・
「小石原の焼きもの」でコーヒーをいただき、ながーい、ながーい一日が終わった。
あ、美味しいコーヒーをありがとうございました。
まず「三光コスモス園」を目指した。
臼杵から高速を使って約2時間、9時40分に「道の駅 なかつ」に到着。
綺麗なところだなと思ったら出来たのが半年前の事らしい。
だからまだピカピカなんだ。
「三光コスモス園」
そこから10分くらい走ると見えてきたのが「三光コスモス園」
今年で8回目を迎える「コスモス祭」を開催中らしいのだが平日とあって観光客が少ない。
無料駐車場に650台止められるということだが、この日は私達を入れて20台くらいだろうか。
今、咲いているのは原産地メキシコの「マンダリン」というオレンジのコスモス。
13ヘクタールに1250万本のコスモスの絨毯が咲くということだったが、少し遅かったようだ。
奥に見えるのが「八面山」
枯れた花が目立った。
台風19号(10月)の風で倒れたコスモス。
この日は20人ほどの幼稚園児が先生と一緒に来ていた。
来年こそはここ八面山の麓に咲く1250万本のコスモス群をぜひ体感したいと思う。
「中津城」
さて、次は大河ドラマで大注目の「中津城」へ。
もうご存知の通り、この初代中津城主は天才軍師と称えられた「黒田官兵衛」である。
ではその「黒田官兵衛」とは?
簡単にいえば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、この三人の天下人に愛され、恐れられた男である。
その類いまれな知略と先見性で戦国の世を駆け抜けた黒田官兵衛孝高(如水)は、
戦乱の世にあって「戦わずして勝つ」を実行した、奇跡の名将といえるかもしれない。
右の大きな直方体の石が、黒田官兵衛が築いた石垣。
左の小さな石を積み重ねた石垣は後の細川時代のもの。
違いがはっきりとわかる。
この日は雲一つ無い晴天で「中津城」がくっきりと浮かび上がっていた。
中に入ると「黒田官兵衛資料館」がある。
展示品としては、「如水の赤合子」で有名な官兵衛の兜のレプリカや大河ドラマ「軍師官兵衛」で実際に使われた小道具、ドラマを紹介するパネルなどがある。
さらには、ドラマ仕立ての映像も放映するコーナーもあり、豊前国での官兵衛を存分に堪能できる。
「合子形兜(ごうすなりかぶと)」
黒田官兵衛といえば、お椀をひっくり返した兜で有名だが、この合子形兜は、官兵衛の正室・光の実家の櫛橋家から婚礼の際に贈られたもの。
"合子"とは身と蓋が一対で成立する容器のことで、夫婦の間柄を表したものといわれている。
自販機がかわいい。
嫁はこれが大好き(笑)
どこに行ってもこれがあると「顔出し」する。
なんならモザイクを取りたいくらいだ(笑)
「福沢諭吉旧居」
諭吉は、1歳6ヶ月の時父が急死したため、天保7年(1836年)秋、母子6人で大坂の中津藩蔵屋敷から藩地の中津に帰って来た。
最初に住んだ家は、大坂赴任前の父が住んでいた小さな家で、建物は現存せず、宅地跡だけが整備され見学できる。(福沢旧居の駐車場脇に位置している)
その後、16歳の時に買って移り住んだのが現在残されている福沢旧居。
「合元寺(赤壁寺)」
通称「赤壁」といわれるこの寺は、天正15年(1587年)、黒田官兵衛に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、開山空誉上人が開基したと伝えられている。
その後、天正17年(1589年)、黒田氏が前領主の宇都宮鎮房を謀略をもちいて中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を拠点として奮戦し最後を遂げた。
その時の血が何度塗り替えても染み出てくることから、ついに赤色に塗り替えられるようになった、というのがこの赤壁の由来となっている。
「青の洞門」
紅葉にはもう少し寒さが欲しい「青の洞門」を横目に「かかしワールド」に急ぐ。
「やまくに かかしワールド」
稲刈りの終わった田んぼに出現するかかしの世界。
今にも動き出しそうな表情や、どこかなつかしい風景をおりなす。
山国町全域が一体となり地域のあちこちで「かかし」を見る事ができる。
「さざえさん一家」
この頭の一本毛はさざえさんのお父さん(笑)
さて問題。
いまからの画像(1番から9番)の中に一人だけ本物の人間がいます。
さて何番でしょうか?
(1番)
(2番)
(3番)
(4番)
(5番)
(6番)
(7番)
(8番)
(9番)
わかりましたか?
簡単でしたか?
本当に一人は人間ですよ。
私はマジにかかしと思って写真を撮ってしまいました(笑)
動き出したときはびっくりしました(笑)
答え(7番)でした。
「由布岳眺望天空村」
「道の駅 山国」から車で山道を登ること5分。
天空村に到着。
なぜこんな名前なのかがわかった。
この額縁?から由布岳が綺麗に見える、そんな村だった。
ここまで来たのだから「小鹿田の窯元」に行こうと話しがまとまる。
しかし到着したのは福岡県の「小石原の窯元」
なぜ?
簡単に言えば「小鹿田焼きの窯元」を見つけることができなかった(笑)
あっちでウロウロ、こっちでウロウロ。
おばちゃんたち、地元のお店、宅急便のお兄ちゃん、地元のおじちゃん達にきいたのだが・・・。
嘘みたいな本当の話。
「小石原」
ここで何点か買わせていただき・・・
「小石原の焼きもの」でコーヒーをいただき、ながーい、ながーい一日が終わった。
あ、美味しいコーヒーをありがとうございました。