日馬富士の件に絡んで、雑感を~ 1941年の12月1日(明日)、日本は、ハルノートという事実上の最後通牒をアメリカに突きつけられたことを受け、御前会議で、アメリカ、イギリスとの開戦を決定します。 このハルノート(内容は長くなるので控えますが、とんでもないものです)以前から、対日石油輸出全面禁止、アウシュビッツにも匹敵する日系人強制収容所の設置や、日本人学童阻害、など、アメリカの排日運動は凄まじいものがあり、我が国の宣戦布告は安全保障上、当然の成り行きでした。 開戦決定から1週間後の12月8日、山本五十六連合艦隊司令長官の作戦命により真珠湾攻撃がなされるわけですが、同日に、イギリス、アメリカを相手に、イギリス領であるマレー、シンガポール攻撃、いわゆるマレー作戦が始まります。 総司令官は、山下泰文中将でして、( シンガポール陥落にあたり、イギリス軍司令長官パーシバルに対しての、Yes or No ? が有名ですね ) マッカーサーを結果、オーストラリアに追い出すに至ります。 山下中将が人道主義者であることは、イギリス兵、アメリカ兵の間でも有名でして、その愛される人柄をして、捕虜から、サインをせがまれることも多々あったそうです。 戦後、山下中将は、マッカーサーの個人的な恨みだけで、主に捕虜虐待に関する罪という濡れ衣をきせられ、処刑されます。( 軍人の対軍人における敬義である銃殺刑ではなく、絞首刑に処せられました。いかに、マッカーサーの器が小さいかがわかります ) 捕虜虐待という寝耳に水の判決内容を受けて山下中将が発した言葉 「 私は知らなかった。 しかし、私に責任があることに間違いはない 」 言い訳をしない、いさぎよく責任をとる。 日馬富士の事件、まさか、何もなかったわけではないでしょう。 古来、我が国の大相撲の、横綱という最上位にある人間であるならば、いさぎよく責任をとるのが、伝統に対する恩返しだと感じます。 これは、引退するべきでない、とのご意見をお持ちの方への、僕からのテーゼであります。