昨晩の、BS世界街歩きは、メキシコのグアナファトでした。グアナファト=銀ですが、番組でもグアナファトの歴史が、銀鉱脈の発見と並行してあることには触れておりましたが、この番組のうりである、何げない街の日常が全面的に押し出されており、自分的には少々ボアリングでした。 ちなみに、戦国時代、我が国から、オランダ・ポルトガルが持ち出した銀の量は、グアナファトどころか、南アメリカ大陸全体(メキシコは北アメリカですが、今回、南アメリカ大陸に含めます)で産出される銀の総量の、実に、5陪~10陪に及んだと言われております。 さらに、銀と金の比価が、欧米では金1に対して銀15なのに、我が国では、金1に対して銀6という相場で、取引され、我が国の金が、どんどん、安い値で流出されておりました。 さてさて、グアナファトなどどうでもよい。ここからが自分の言いたいこと、真打の登場です。 江戸時代末期、徳川慶喜の幕臣に、小栗上野介という人がいます。彼は、日米修好通商条約批准のために、渡米し、アメリカの言い逃れを頑として聞き入れず、結果、金と銀の比を、我が国も欧米と同等にし、日米の金貨交換比率を我が国に不利にならないよう結論付けたのです。 ほとんど知られておりませんが、これはとんでもなく重要なことでありまして、日本貿易の祖、近代日本の父と言っても過言ではないぐらいの実績です。 時代は下り、日露戦争での日本海海戦は、日本軍の勝利で幕を閉じましたが、この戦争の英雄「東郷平八郎元帥」は、自宅に小栗上野介の遺族を招き、「このたびの海戦において、勝利を収められたのは、あなた方の父上が、横浜造船所を日本のために建設しておいてくれたからです」と感謝を述べられております。 幕臣として、最後まで、薩摩・長州にたいする主戦論を主張してはばからず、最後は、明治政府に処刑されてしまいますが、この東郷元帥の言葉以降、評価が高まり、現在に至っております。 幕臣として、勝海舟や榎本武揚、いやそれ以上に有能な人物でしたが、その業績に相反して、知名度は高くありません。 ボクシングでいうところの、井上尚弥のような感じでしょうか。 ちなみに、日本大学歯学部大学院校舎の横に、小さく「小栗上野介生誕の地」と立札がありますが、ご存知の方はほとんどいないと思います。