昨晩、BS-NHK、「偉人たちの健康診断」で、ペリーを放映しておりました。ペリーが痛風もちだった可能性、日米和親条約締結の舞台裏、そこで繰り広げられた日米双方の豪華な接待合戦、さらに、宴会中、酔った勢いで「日本とアメリカの心はひとつ」と叫びペリーに抱きついた幕府側高官がいたことなど、非常に斬新で興味を引く内容でした。 NHK様~ありがとうございました! さてと、しばらく雑感にお付き合いください~ 思うのですが、ペリーの来日、開国により、日本が世界史の表舞台に登場することになるのです。それまでは、きっぱり言うと、日本は世界史を語るうえで、いらない存在でした。もちろん、我が国の歴史を否定するわけではありません。日本の皇室は、現在もなお継続する王朝としては、世界最古の王朝であるし、それを現実せしめた日本の歴史というのも、世界の他の国には例がありません。独特で、価値のあるもの、さらにあの強大な大国である中国の、これほど近くにありながら、中華文化圏には属さず、独自の文化を生み出し(多大な影響は受けました)、政治的独立を維持できたのも奇跡としか言いようがありません。ですから、世界史から俯瞰しても、日本史を学び、語り、研究することは、非常に意義があることに間違いはありません。しかし、日本史には、その独立性と独自性があるが故に、逆に、世界との繋がりにおいて、重要な出来事が少なく、世界史を大雑把に語るうえでは、日本の歴史というのは必ずしも、触れずに通り過ぎ、済んでしまうものです。そして、ペリーの来日、そこからは、日本を取り上げないことには世界史を語ることができなくなります。現代史において、20世紀以降の世界史において、それほど、日本という国は重要な国であるのです。極東の(この言い回しも、欧米史観、イギリスから観た、意味で好ましくありませんが)、小さな島国が、世界史をかき回し、曲がりなりにも、人類平等の礎を築く起爆剤となったのでありますから。(愚生、この、起爆剤という言葉が大好きです。誰かが始めなければ、何も始まりませんから)さてさて、ペリーが何故日本にやってきたかは、世界史の流れと、アジア全体の状況を鑑みれば必然です(紙面上、割愛します)一般に、捕鯨船の石炭や水の補給基地としてアメリカが開国を求めてきた、そのように教わり、記憶されている方も多いと思います。僕も最近知ったのですが、本当は(アメリカ側に残っている文章に書いてある)、当時、アメリカは大英帝国とライバル関係にありました。何を巡って争っていたかと言えば、対中国貿易です。対中国貿易で大西洋航路を使っている限り、アメリカは永遠に大英帝国に勝てない。大西洋を横断する船賃の分だけ、必ず負けます。この航海ルートは番組でも説明されておりました。大西洋→ アフリカ大陸のケープタウン→ インド → 日本 と4か月に及ぶ長期航海のようでした。 ペリーの来日目的は、太平洋航路を開いて、中国と直接交易するしか大英帝国に勝つ方法はない。日本を開国させることは、太平洋航路の有力な中継地点を獲得することになります。まさに、クジラはどうでもよかったのです。さてと、話を少し軟らかくして、ペリー来日、黒船来航時、番組では触れておりませんでしたが、我々のご先祖様は、彼らより体格が劣っていることにコンプレックスを抱いておりました。そこで、見栄えのため、停泊するアメリカ艦隊への食糧輸送に力士を連れて行き、米俵を運搬させたようです。アメリカ人はそれに驚き、力士たちを「相撲レスラー」「モンスター」と呼んだようです。思わず頬が緩んでしまいますが、当時は真剣だったのですね。また、ペリーは当時の日本の既婚女性にみられる歯を黒く染める「お歯黒」という習慣に嫌悪感を抱いていたとされております。紅で唇を塗った赤と、お歯黒の黒の対照性をグロテスクに感じ、忌み嫌っていたそうです。 (タンニンによる虫歯予防効果は、周知の事実です) ところで、アメリカでペリーについて聞くと「えっ!あのペリー提督の弟さんが日本を開国させたのですか?」となります。アメリカでは、お兄さんの方がはるかに有名だからです。第二次英米戦争というアメリカが、イギリスから完全な経済独立を果たすきっかけとなった戦争において、アメリカの勝利を決定づけた、「エリー湖の戦い」で大活躍したのが、兄のペリー提督です。現在、ジョージア州のペリーは、彼の名前にちなんでつけられたそうです。 最後に、番組で得た一番大切なことを書きます。ジャガイモ料理において、最もビタミンC含有が多いのは、ポテトチップスだそうです!! 万歳三唱!!最近は塩分控えめ、油も良いものを使っているのもありますから、完璧な栄養食と思い込みたい自分がいます。再度、万歳三唱!!