食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

イギリス~ボルドー~😊

2019-07-24 06:51:11 | 日記
昨日の夕方、何げなくBS-NHK をつけると、「イギリスのワイン事情」について放映しておりました。 イギリスとワイン~あまりなじみがなく、そもそも、イギリスでワインなんか造っているのだろうか?という素朴な疑問が逆に、番組への興味を後押ししてくれました。大正解でした! ボルドーが世界的に有名になったのは、12~15世紀に、イギリスでボルドー産ワインが大量に飲まれていたことに起因するそうです。そもそも、世界一有名な(?)サンテミリオンを含むボルドー地区は、15世紀まで、イギリス領でして、この、イギリスとフランスとの複雑な関係は、後ほど簡単に述べますね。 15世紀以降、ボルドー地区が、フランスに帰属するようになり、イギリスはそこから、ワインを自由に手に入れることができなくなります。 そこで、大航海時代を経て、世界に冠たる大英帝国は、南アフリカ、オーストラリア、北アメリカ(カリフォルニア)で、ワインをつくらせ、自国に輸入するようになったようです。 面白いのは、ボルドーで用いられていたブドウ品種、カベルネソーヴィニヨンとメルロー、を場所を変えて、上記した国・地域で同様に用い、ワインを醸造させていたのだそうです。 ワインのことは全くわかりませんが、時代を経て、現在も、それらの地域では、基本、カベルネソーヴィニヨンとメルローの二種が主に使用されているのでしょうかね? サンテミリオンを筆頭に、現在でも、ボルドー地区のワイン醸造家は、ボルドーワインをメジャーにしてくれたイギリスに感謝しているようでして、古くから伝わる伝統行事や、風習、建造物に、その気持ちが如実に表れておりました。 さて、歴史好きから、一点、番組で正確な表現法に間違いがあったので、いやらしいですが、指摘させていただきます。 イギリス王ヘンリー2世と、フランスの現在のボルドーを含むアンジュー公国の公女、アリエノールが結婚し、彼女がブリテン島に渡り、そこから、上記してきましたボルドーとイギリスとの関係が始まった、と話しておりましたが、詳しくは違います。ヘンリー2世も元々は、アンジュー公国の人間、アンジュー伯でして、アンリと名乗っておりました。しかし、イギリスでノルマン朝が途絶えると、誰か王様をつくらなければいけないので、フランスからアンリを連れてきて、ヘンリー2世と名乗らせ、プランタジネット朝が創始されるのです。 つまり、イギリスの王、王妃、どちらもフランス人なわけです。といいますか、元々、イギリスはデンマークに支配されており、そこに、現在のフランス、ノルマンディー公ウイリアムが、日本でいうところの平安時代に、のり込んで、ノルマン朝をつくったのが、イギリス王朝の始まりでして、平たく言えば、フランス王朝の枝分かれのようなものなのです。 さらに言いますと、イギリスは、王様の世継ぎがいなくなると、先ほど述べたように、他国から王様を連れてきて、王朝をつくります。 オランダから王様を連れてきたこともありますし、有名どころでは、アン女王という人に、お世継ぎができなかったので、ドイツのハノーバから、ジョージという王様を連れてきて、ハノーバ朝をつくりました。彼は、生粋のドイツ人ですから、英語はしゃべれませんでした。そこからハノーバ朝が続くわけですが、第一次大戦時、敵国ドイツの王朝名では示しがつかない、とうことで、急遽、ウインザー朝と名前替えして、今日に至っております。そうなのです。エリザベス女王も、チャールズ王太子も、ドイツの血を引いているのです。 話が、横道にそれすぎましたのでこのへんでお開きにさせていただきます。 あしからず。