毎年8月、この時期が来ますと、必ず書き込む、いや書き込まなければならない内容があります。今年も日本人として、書き込ませていただきます。 日本を救った男の話です。 戦争は始めるよりも終わらせることのほうがはるかに難しいことは論を待ちません。 小説、映画の方が有名ですが「日本のいちばん長い日」という終戦に向けて粉骨砕身した人間のドラマがあります。 実話でして、その中の陸軍大臣阿南惟幾の腹芸により、日本は戦争を終わらせることができたのです。 もう少し突っ込んで話をしますと、昭和天皇と、鈴木貫太郎首相と、阿南惟幾陸軍大臣の巧みな連係プレーが日本を滅亡から救ったのであります。 ポツダム宣言受託(日本の無条件降伏)によって、日本陸軍がどのような動きにでるか、もちろん徹底抗戦、本土決戦を叫び、日本を破滅に追いやることは必定でした。 「生きて虜囚の辱を受けず」というような戦時訓で、徹底抗戦を骨の髄まで叩き込まれてきた、彼らに、「日本は負けましたよ。無条件降伏します。これで戦争は終わりです」と説き伏せられるものではありませんでした。これを食い止めたのが、阿南大臣の胸三寸だったのです。 語気を強めて言います。 阿南惟幾が日本を救ったのです。 彼の本心ははじめから終戦でした。 それは昭和天皇、鈴木貫太郎首相の心と一致しておりました。 しかし、彼のうしろには、四百万という大きな陸軍がいました。 その膨大な圧力が阿南を苦しめ続けていたのです。 すでに戦場に散った幾多余多の英霊もいました。 阿南惟幾自ら、「本土決戦、徹底抗戦」を表向きに主張することで、陸軍の顔をたて暴発、反逆を防いだのです。 その言葉が英霊に対する感謝の誠をも含んでいることは論を待たないでしょう。 阿南惟幾の二律背反が完全に機能することにより、戦争を終わらせることができたのです。 8月15日早朝、阿南惟幾は割腹自決をします。 悲報は全国に飛びました。昭和天皇の玉音放送とともに、彼の自決は陸軍に対して強烈なダブルパンチとなりました。 いやがおうにも本土決戦を叫んでいた青年将校たちは、陸相の死により腰砕けとなったのです。 阿南惟幾の死が、故国を救ったのです。 靖国神社に遊就館という施設があります。 その出口付近に、阿南惟幾が自決時に書いた「一死をもって大罪を謝し奉る」という血染めの遺書が展示されております。 (写真をアップしました)映画「日本でいちばん長い日」、三船敏郎が阿南大臣を演じた古いバージョンと、役所広司が演じた新しいバージョンとがあります。迫力、臨場感は古いバージョンが遥かに勝りますが、新しいバージョンで上記に述べた阿南大臣の心境、立場がわかりやすく表現されております。
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