今日は4月17日だね 徳川家康の命日だよ 縁のある日でね 俺の親父の命日でもあるんだよ 親父は家康の生き様を認めていたからね
死ぬ時に縁が繋がったのかな 親父が八王子千人同心の末裔なら、深い縁つながりがあったって事かもね 同日に死亡した先祖もいたよ
親父は織田信長の生き方に心酔していたけどね 我慢強くしぶとく生きる家康にも魅かれていたね
事業家としての生き方としては家康に学べって事だろうからね 我慢強くてしぶとくもあったよ 親分肌だったね
男としての本音は「信長のように生きる」って言ってたね 「人生50年、太く短く生きる」って酔っ払っては口にしてたよ
子供ながらに冷や冷やしてたね 何時何処で死ぬか分からない生き様と長生きしようとしない破天荒な行動にはハラハラさせられたよ
病院に入院なんてしたことがなかったからね 酒は強いから浴びるほど飲むタイプだからね 何処かでバッタリと逝ってしまう覚悟はさせられたよ
40歳代の頃だと記憶しているけどね 40肩だと言って左手が上がらなくなって動かせなくなったことがあるよ 医者に見せたほうが良いって言ったけどね
医者が嫌いでね 一年位かけて自然治癒させたことがあるよ 40肩だと信じ込まされたけどね くも膜下出血だったということが還暦を過ぎてから分かったよ
脳の検査をした時に、古いくも膜下出血の跡があるって医者が教えてくれたよ 昔、左手が動かなかった理由が分かったよ
酒を飲みながら自然治癒させたようなもんだからね 突然、バッタリ倒れても不思議ではない生活ぶりだからね 良くもったとも言えるかもね
70歳に近づいた頃から、親父の健康状態がおかしいと感じたからね 強引に人間ドックに入れたんだよね
結果は末期がんで余命は一年程度と言われた時は愕然としたね 手術をしたのはオウムのサリン事件の日だったよ 忘れられない日になったね
「桜の花の咲く頃までの命ですね」って言われた言葉がぐさりと心に刺さったよ 本人には告知しなかった 如何にして人生の終焉を迎えさせるかで悩んだね
本人には胃潰瘍の手術で胃を全摘するって事で説明をしたよ 末期がんで余命一年なんて家族にも言えなかったよ 知らぬが仏って事もあるからね
胃を3分の2取って、肝臓も半分取ったよ 再発は防げないって事だったけどね 3月程で退院して普通の生活ができるようになったよ 抗がん剤は出ていたけどね
一か月も過ぎた頃には酒を飲み始めていたよ 俺は酒を飲むなとは言えなかったね 自分で加減しながら楽しみで飲んでいたからね
薬を飲んでるかって聞いたらね 飲まずに残った薬がドッサリ出てきたよ 薬は飲んだ方が良いだろって言ったけどね 飲むと具合が悪くなるって言われてね
抗がん剤だから当然のことだけどね 無理に勧めることも止めたよ 半年程は人生の終焉を楽しんで過ごせたけどね 腰骨付近に癌が再発して歩けなくなった 肺がんも併発していたよ
寝たきりの入院生活をすることになり、痛み止めの治療が主たる目的になったよ 忍び寄る死期を待つ入院生活は辛い日々だからね 励ましの言葉は虚しいよ
母親には余命一年って事は知らせなかったよ 助かりそうもない状況に察しただろうけどね 知るのも恐ろしくて俺に聞く勇気もなくしていたね
親父は弱音を一切口にしなかったね 俺に病名を聞こうともしなかったよ 既に察知していたんだと思うよ 感は良いからね 自己判断しているよ
周りを困らせるような質問はしなかった 痛み止めの薬が強くなると幻覚症状のようなことを口にするようになったよ 夢で世界を自由に飛び回っていたよ
死が近づくと不思議な夢話をリアルに話すようになるよ 魂が何処にでも行ってるって感じだね 亡くなった人たちとも会った話が出てくるからね
後、2.3日の命と医者が宣告した頃から喋らなくなってね 苦しんだ時に励ましたら「もうそろそろ良いだろう」って俺に聞くんだよね
「まだ駄目だ!」って一度は止めたんだけどね うなずいて、苦しんで耐えている姿を見ると楽にさせてやりたいって気持ちになったね
「もう良いか!」って次に聞かれた時には「親父、もう良いよ、楽になって良いよ」って言ってしまったよ 親父はうなずいて眠りに入ったよ
以後、一度も喋ることもなく旅発ったよ 手を握って添い寝をしている間に逝ってしまったよ 不思議な感覚だったね 親父の魂が俺に宿ったような感覚だった
親父が死んだという感覚が無いんだよね 何時も身近に感じるんだよ 死を恐れるって感覚よりも新たな旅発ちって感覚になるね 不思議な感覚だね
親父は70歳の壁を超えることはできなかった 「人生50年、太く短く生きる」って事を望んだからね 寝たきりの最後が心残りだっただろうけどね
元気で酒を飲んでは陽気に振る舞い、突然バッタリの終焉が迎えたかったのだろうけどね 人間ドックで水を差してしまったかもね 心残りだけどね
子としては見過ごせなかったからね 遅すぎた気遣いで何にもならなかったけどね 手術をする意味があったのかは考えさせられる問題だね
次は俺の番だろうからね 母親が献身的に看護していた姿を見ると寝たきりでは逝きたくないね タイミングよくエンストしてくれたら幸せだね
俺のお婆さんは心筋梗塞で死んだからね 心臓マヒってやつかな 風呂上がりに夕涼みしたまま逝ってしまったよ あっという間のお別れだったよ
親父もお婆さんのような死に様を意識していたかもね お祖父さんも脳溢血で突然に逝ったからね 多少は短い人生だったけど幸せな死に方だよね
親父は寝たきりで苦しんだ分悔やまれるね 親父らしい豪快な死に方をさせてやりたかったなって思うけどね 計算通りにはならないのが人生かな
俺も心筋梗塞で脅されたからね 後世を太く短く生きるって事だろうね 如何にして生きたかって事が大事だからね 命乞いはしないよ
親から教えられた生き様だよ 「お前は何をするために生まれてきたんだ!」と問いかけるのが永遠のテーマだね 生きてるって事は不思議なことだね
先にも述べたけどね、4月17日が徳川家康の命日だったね 縁のある日で、俺の親父の命日でもあるんだけどね
生まれた日は9月15日で「天下分目の関ヶ原の戦い 開戦日」だよ 数奇な運命を連想させるね
後で分かったことだけどね 6月13日が明智光秀の死んだ日だったよ なんと、俺のお祖父さんが死んだ日と同じだったよ
偶然にも歴史的な有名人の徳川家康と明智光秀の死んだ日が、俺の親父やお祖父さんが死んだ日と重なったとはね 驚いたよ
何かの引き合わせかもしれないね 歴史上の人物と俺の命日が重なったら、偶然でも2度あることは3度あるって事になるね
縁は異なもの不思議なものかな?
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