はっと気づいたことがありました。
ネットで、定年退職したAさんの人生を取材した記事がありました。
詳しくは書きませんが、物語は大学受験失敗から始まり、就職も50人程の中小企業に入れてもらう様な感じ。しかし会社は時流に乗り1000人を超える大企業に成長して運があった。役員にはなれなかったものの会社勤めには満足している。60歳で会社に残る事も出来たが後輩から使われる事にプライドもあり定年を選択。定年後は若い頃の趣味のスキーやスキューバダイビングもやめていて、毎日する事が無く朝から酒浸りの日々。奥さんは2歳年上の社内結婚。奥さんの今の日常は午前中保育園のアルバイト、午後は以前勤めていたIT会社からの下請けSEの仕事を自宅で5時まで働き月給20万円程。そのお金で友人と食事や旅行と充実した生活を送っている。息子は大学生。Aさんは、やる気も失せて酒浸りの毎日のある日、奥さんからこのままでは身体に悪いと指摘され、ひどい胸やけもあった事から病院に行くと食道癌が見つかる。初期だった事、たまたま奥さんの知り合いに腕の良い医師の知り合いがいて紹介してもらい完治。奥さんと息子から心配されて自分が必要とされている事を再確認し、生きる希望が生まれ仕事をすることに。奥さんから近所のレストランを紹介され皿洗いと商品仕入れ担当で15時から21時まで働く事に。レストランは常時人手不足で50代のオーナーの70代の親まで応援に駆り出すほどだったが、63歳のAさんのアルバイトに大助かりで、Aさんも自分が必要とされることが、これほど幸せを感じられるものかと発見している。
年代が近い私が、最近娘の出産準備の為との言い訳でじっと家にいるこの状態に、なぜだか自分自身がしっくり来ていませんでした。
更に、追加で知り合いから送られてきたFBの投稿。
日本理化学工業の障害者雇用の始まりの頃の話。感動的な話ですが要点だけ。
50年ほど前に近くの養護学校の先生が卒業予定の子供を採用して欲しいとのお願いから話は始まります。社長も悩んだ末に何回も断りますが、先生の「それでは1週間の体験をさせて欲しい。働く体験だけでもさせて欲しい。そうでないと働く喜びを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまう。私達健常者より、平均的にはるかに寿命が短いんです」この言葉を聞いて社長さんはお願いを受け入れます。1週間後に同社の社員が障害者の一生懸命な働く姿に感動し社員の総意として社長に採用をお願いし採用されます。社長はその後、少しづつ障害者の採用を増やしていきましたが、どうしてもわからない事がありました。それは、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らせた方が幸せではないかと思えたという事です。なかなかいう事を聞かず、ミスをした時などに「施設に返すよ」と言うと泣きながら嫌がる障害者の気持ちが分からなかったそうです。
ある時に法事の席で禅寺の坊さんに、その疑問を訪ねたそうです。すると「そんな事は当たり前でしょう。幸福とは①人に愛されること②人に褒められる事③人の役に立つこと④人に必要にされることです。その内②③④は施設では得られないでしょう。この3つの幸福は、働く事によって得られるのです」これを聞いて社長は目からうろこだったそうです。施設の中でのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビを見るのが幸せではない。真の幸せは働く事なんだと。
毎日無駄に時間をつぶしている私の頭にドカーンと大きな石をぶつけられたような感じです。人に必要とされていることで幸福を感じたAさん、障害者から教えられた②③④の幸せも仕事から得られる事。
そうは言っても私がこれから再就職する事は無理なので、せめて色々と言い訳言いながらやると決めていた事を先延ばしにしない事が、自分の幸せを感じられる事だと認識させられました。頑張らなくては!
仕事って人と人がつながります。しかし人と人の間にそれぞれの矛盾と言いますか、それぞれ異なった事情や立場があり、常にそれぞれの主張があり、お互い大なり小なりストレスを感じる。そうしたストレスを感じながらも、時間に追われて次から次と仕事を処理しないといけない。だからどうすればいいかと必死に考え、仕事に向かってゆく。
このストレスを抱えながら仕事することが必要なんじゃないかと思ったのでした。
でも外資系資産運用会社でずっと営業をしてきた人間がリタイアして新たな分野で働くってすごく難しいです。まず相手が雇ってくれません(笑)。自分で起業するほどの資金もない(資産運用で起業するには自身のあるいは他人からの相当な資金が要ります)。
そこで鎌倉市内で週に3~4日、軽く働き始めました。なんとか雇ってくれところも探していたらありました。給料の問題じゃなくて、ストレスが多少はある仕事をして他人と常につながって頭と体を使うというところが重点なんですけれども。同僚には30代の若い人もいるが、80歳の人もいるというちょっと変わったところですけどね(笑) そこで8か月ほど経ったところです。今後どうなって行くかわかりませんけど、とにかくそんなことをしております。
見ていて思うのですが、職場の70~80歳の同僚たちは外見ではなく、身のこなしから頭の回転まで、めちゃくちゃ若いです。健康に問題がないということもあるのでしょうが、仕事を抱えてそれを日々処理しているところにその若さの秘訣があるのかなあと思いながら観察しています。
私も今、自分の日常が何か違うと遅まきながら感じているところです。仕事にしても自由がきくアルバイト的なものにも興味あるし、少し本格的にと思うと国会議員の秘書なんかも面白そうなので売り込んでみようかとか、考えてみると世の中にはお金にあまり執着しなければ興味ある仕事が目白押し。それでも考えるだけで行動に移さない自分。簡単に採用されないでしょうし、採用されたら逃げられなくなりそうで。
でも、山小屋生活も楽しくてしょうがないし、海外バックパック貧困旅も面白いしと、欲張り過ぎですが、いつまで健康寿命が有るか分からないので、思いつくまま兎に角行動に移す事をしないといけないと気付きました😊
いつもブログを楽しみに拝読させて頂いています。
多分、同年代でしょうか、まるで懐かしい同窓生からのお声かけのような話題がこんなお喋りがしたかったんだなと毎回の記事に感じています。
1960年生まれの私は今の生活で幸せです。
国内外で働き、帰国後結婚し同居していた義母と夫の介護を終えて、今があります。
私にも夢があり、夢に向かって生きています。
とりあえず10年単位の夢の計画、その夢の為、昨年退職し、昨年から動き始めました。
子どもはZ世代、大学卒業後、独学を経て、院に入りましたので、まだ学生です。
働く事は、そのストレスや緊張感を含めて好きですし、働きたいですが、再び日本で働くのは躊躇します。
介護の年月は何だったのだろうと思う事もあります。
介護の日々は、多分、【サニテラの仲間達】さんが、お孫さんと過ごしていらっしゃる昨今の日々に似ているかもしれません。
これだけで過ぎて行ってしまう日々のような、何だかな〜の気持ちになりがちですが、決して無駄ではない日々のように思えます。
人は人の中で生きていて、人と共に生きていると思いますので。
月草🌱
自分自身の内面や性格と向き合いながら、どうにか自分の夢を掴みたいと思いながら、時には進むべき道の迷宮に入り込みながら。でも、皆さんのblogを参考にさせてもらいながら少しづつ進んでいる様な感じもしていたり、つい油断すると、同じ場所に留まるどころか逆走しそうな感じなんですけど。