退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1452: 家庭とは

2020-08-03 21:32:34 | アメリカ便り

おはようございます

主人が朝早く昔の同僚の始めた農場へ出かけたため、久しぶりに家に一人。

この友達、主人と同じころ同じ会社から退職し、ワイン用のブドウを作り始めました。

二人でいても一日中顔を見合わせているわけではないのですが、やはり❝存在感と言う空気❞が家中に漂っているため窮屈ではあります。

だからこうやって時々。半日でもいなくなってくれるのはほっとします。

私の今日の予定は午後から隣人アリッサと2か月ぶりぐらいで一緒にショッピング。

アリッサは夫婦で4つの家屋を賃貸ししている大家さん。

その一家の店子が15年くらい住んだ後に出たため、いろいろ修理に手間がかかっているそうです。

ほぼ2か月間通い詰めで修繕しています。

昨日は隣人グレッグが届いた部品で壊れていた電子レンジを無事修理してくれて、キャシーは先日ごちそうした天ぷら(キャシーの好物)のお礼と言うことで、グレッグが修理している間中、キッチンの床を洗剤できれいに拭いてくれました。

ありがたき隣人です。

グレッグへの修繕費用は夕食でいいそうです。

すき焼きにしよう。

さて先日ある方のブログを読んでいたら、❝いい年をした子供がいつまでも家から出ないのは家の環境が良いからだ❞、と書いていました。

ん~、と考え、私が23歳まで住んでいた家を出た理由を考えました。

親父は私が生まれる前からアル中状態で自分第一主義で、家が火事になった際も、火消しに夢中になっていた中学1年生の私と母、そして寝ていた兄を家に残し真っ先に家から飛び出して行ったぐらいのいい加減な親父だった。

母は母で常に内職、そして内職がない時は外に出てボランティアーで忙がしく、❝家事は最大限の手抜き❞で良しと考えていた人でした。

そんな崩壊した家族環境の中で私が23歳まで家に住んでいたのはどうしてか。

家を出たかったら高校を卒業した段階で本州の大学にでも行ってただろうに。

でも23才で公務員と言う仕事を1年ぽっきりでやめ、アメリカに渡ったことを考えると、このブログ作者の言うことは当たっている(家庭環境が悪かったから家を出た)とも思うが、私の場合は決して家庭環境に左右されたために家を出たわけではないと断言できる。

自分に満足していなかったからです。

私はどちらかと言うと自分の能力を過信し、常にもっと❝できる❞と思っていました。

自分の人生を家庭環境(他人)によって左右されると言う受け身的人生を、小さい頃から母を見て、そして無力の子供でしかなかった自分を見て、早く大人になり自分の人生は自分で決められるようになりたいと思っていた。

と言っても根が気楽な性格なので、それほど悲壮感はなかったけど。

親父が教えてくれたただ一つのことは、❝他人を訪問するときは手土産を忘れるな❞、だし、母が身をもって教えてくれたことは、❝動物愛護、目立ちがりや、手に職を持て❞、であった、なんとなくちぐはぐな感じの家庭で、子供を育てるには最悪の環境であったと思うが、私を23才まで住む気持ちにさせてくれた家庭でもあった。

今、考えてもどうしてあんなところに23才まで住めたのかな~と考えるけど、いまだにはっきりしない。

しかし今、66才の私が育った時代は如何なる家庭でも家庭は家庭であった。

家庭と言う雰囲気が、崩壊した我が家にも少しはあったんだろう。

ハブグレジュンタのマミー