昨晩のパーティーは大成功。
20人という大人数にもかかわらず、食べ物は足りたようです。
“もっと作って”と餃子のリクエストが出たので、急いで中身を皮に詰め込んで何とかなりました。
でも、20人はちょっと多すぎ。
ホストの主人は最初から早いピッチで酒を飲み始め、役足らず、いや飲んでいなくても役足らずだけど。
ホステスの私は2,3言葉を交わして次の行動に移らなくてはいけないし。
やはり、ゆっくり話ができるのは計8人程度ですね。
みんな楽しんでくれたようです。
今朝はジュンちゃんと1年ぶりに、ルート66パークへ行ってきました。
ここはグレーシー、ハブちゃんが生きていたときにはよく来ていたところです。
いつも行くところは今、泥でひどく、歩き終わるころにはジュンちゃん泥んこになってしまうので、舗装されているこのパークを歩くことにしたのです。
私たちの住む所は30年前に引っ越してきた当時、タイムスビーチというダイオキシンの不法投棄で騒がれていた町に隣接しています。
町でダイオキシンの処理法の公聴会があったときは、私たちも参加しました。
ダイオキシンは高温(800度)で完全燃焼し分解されるそうですが、300度程度で再合成されるという化合物で、分解状態を保つ為には300度での滞留時間を最小限にするため、急速冷却しなくてはいけないというめんどくさい化合物です。
この公聴会は初めてこのような会に出席した私たちにとっては、興味深いというか面白いものでした。
というと不謹慎ですが、人間観察が趣味の私には最高の観察機会でした。
この辺は俗に言う、ヒックタウン、つまり田舎者で、ブルーカラーワーカーが多く住む所として知られています。
私たちが最初移ったときには、そのことで友達に冗談半分で笑われました。
公聴会でもその要素が盛りだくさんで、にぎやかなもんでした。
残っている建物を壊して町全体の敷地をコンクリートで覆う(キャッピング)とか、土を掘り返してトラックでどこかに運んで廃棄とか。
最終的には土を高温処理して灰を廃棄するということになり、しばらくしてその土地に大きな焼却炉が建ち、毎日毎日土を燃やしているのが隣接するハイウエイから見えたものです。
結果的に、2,3年の月日と200億円をかけて265000トンの土を燃やし、焼却炉は撤去されました。
そこは今、その名残もありません。
その後、そこに舗装されたトレイルをつくり、名前を“ルート66パーク”として市民に開放したのです。
今日歩いたときは、ここも先日の洪水の爪あとが残っていました。
昔はこういった洪水があるたびに、汚染度があちこちに広がっていたことでしょう。
ハブグレジュンタのマミー
20人という大人数にもかかわらず、食べ物は足りたようです。
“もっと作って”と餃子のリクエストが出たので、急いで中身を皮に詰め込んで何とかなりました。
でも、20人はちょっと多すぎ。
ホストの主人は最初から早いピッチで酒を飲み始め、役足らず、いや飲んでいなくても役足らずだけど。
ホステスの私は2,3言葉を交わして次の行動に移らなくてはいけないし。
やはり、ゆっくり話ができるのは計8人程度ですね。
みんな楽しんでくれたようです。
今朝はジュンちゃんと1年ぶりに、ルート66パークへ行ってきました。
ここはグレーシー、ハブちゃんが生きていたときにはよく来ていたところです。
いつも行くところは今、泥でひどく、歩き終わるころにはジュンちゃん泥んこになってしまうので、舗装されているこのパークを歩くことにしたのです。
私たちの住む所は30年前に引っ越してきた当時、タイムスビーチというダイオキシンの不法投棄で騒がれていた町に隣接しています。
町でダイオキシンの処理法の公聴会があったときは、私たちも参加しました。
ダイオキシンは高温(800度)で完全燃焼し分解されるそうですが、300度程度で再合成されるという化合物で、分解状態を保つ為には300度での滞留時間を最小限にするため、急速冷却しなくてはいけないというめんどくさい化合物です。
この公聴会は初めてこのような会に出席した私たちにとっては、興味深いというか面白いものでした。
というと不謹慎ですが、人間観察が趣味の私には最高の観察機会でした。
この辺は俗に言う、ヒックタウン、つまり田舎者で、ブルーカラーワーカーが多く住む所として知られています。
私たちが最初移ったときには、そのことで友達に冗談半分で笑われました。
公聴会でもその要素が盛りだくさんで、にぎやかなもんでした。
残っている建物を壊して町全体の敷地をコンクリートで覆う(キャッピング)とか、土を掘り返してトラックでどこかに運んで廃棄とか。
最終的には土を高温処理して灰を廃棄するということになり、しばらくしてその土地に大きな焼却炉が建ち、毎日毎日土を燃やしているのが隣接するハイウエイから見えたものです。
結果的に、2,3年の月日と200億円をかけて265000トンの土を燃やし、焼却炉は撤去されました。
そこは今、その名残もありません。
その後、そこに舗装されたトレイルをつくり、名前を“ルート66パーク”として市民に開放したのです。
今日歩いたときは、ここも先日の洪水の爪あとが残っていました。
昔はこういった洪水があるたびに、汚染度があちこちに広がっていたことでしょう。
ハブグレジュンタのマミー