おはようございます。
昨日も今日もまるっきり春の温かさ。
リラックスし過ぎている老人の脳みそがますますリラックスして、こりゃだめだ、と思っていたら今日のネットで、大阪の吉村知事が馬鹿な事を言い始めたことを知りました。
なんか大阪ってこのボンズが知事になってから、いや維新と言う改革ガキ集団にコントロールされ始めてから良くないですね。
吉村と言えば、あのイソジン発言から❝馬鹿じゃないの❞と思い始めましたが、大阪万博に対する浅はかな発言や、今回はそれに輪をかけた感じの大阪公立大学の秋入学推進発言で、はっきりとこのガキャー、と確信しました。
グローバルだってさ、外人様が入学しやすいようにだってさ、春入社が基本の日本の会社への就職を希望する日本人の若者はどうでも良いんだってさ。
吉村に限らず日本をコントロールできる地位にある人達って、どして日本は多国に従属する形を取らなくちゃいけないと思うんでしょうか。
どうして日本は日本としての立場を維持しようとしないんでしょうかね。
LGBTQXXX法案にしてもそうだし、結婚後の苗字の別称もそうだし、移民政策だってそうだ。
LGBTQ、移民政策なんて、それで社会が崩壊している国がアメリカの他にも多く出ている。
EU諸国は今までさんざん入れてきた不法移民を追い出そうとしている。
そんなに簡単に追い出せるとは思わないけどね。
日本政府は法律違反までしてかわいそうだと言う理由で外国在留者に生活保護をくれてやるし、国もないクルド人にまで埼玉の一角をくれてやるし。
イランやシリア、トルコみたいにクルド人どもは埼玉にクルド統治国家をつくるんじゃないでしょうかね。
政治家はグローバルにこじつけて日本の古くから続いている社会体制をぶっ壊しているし、日本国内に住む帰化人やら在留者は芸能界、弁護士界、政界、土地ころがし界等々で頭角を現し、日本人がおとなしいことをいいことに好き勝手なことをやってる。
何百回も行ってるように日本がグローバルになったら食われます、日本が無くなります。
さて秋入学ですが15年以上も前に東大総長が言い出してましたね。
その時、私はあまりにも腹が立ってなんかの雑誌に私の意見を送ったんですが。
外国から留学する側にとって、秋入学も春入学も関係ないと思う。
本当に入学したいのならどっちでもいいんですよ。
それを解っていない。
当時は東大総長と一緒になって堺屋太一も一緒になって秋入学を押してました。
吉村知事の場合、学校内では英語の授業なんてことも言ってるそうです。
この学校に通う日本人学生は日本じゃなくて海外で仕事をすることを仮定して授業を受けると言うことでしょうね。
昨今、翻訳アプリが発達した世の中、外国語を話すことって実生活では重要ではないと思う。
日本で就職したいのならちゃんと日本語を話せ理解できることが重要なんです。
私がアメリカに留学したのは1977年。
成田空港がまだ開港していなかったんです、それぐらい昔です。。
英語が話せなかった私は、秋入学やら春入学関係なしにアメリカに行きました。
大学に入学して授業についていけるだけの英語力なんて、アメリカで6か月間英語学校に通っても勿論つきませんでした。
それでも何とかなったんです。
要は人一倍の努力なんです。
それができるような、日本に来る外国人にとっても外国に行く日本人にとっても、秋入学、春入学なんてまるっきり無関係なんです。
私が切望することは日本にいる日本人を一番に考えてほしいと言うことなんです。
忘れがちですがこれが大事なんです。
グローバルと言う横文字に酔わされ、生半可な政策はやめてほしい。
政治家って❝Whole Picture❞と言う言葉がアメリカではよく使われますが、❝全体像を見極める能力❞が最大限に必要とされます。
目先しか見ることができない政治家や権力者は日本にとっては毒にしかならないと思う。