細沼園のお茶飲み話

お茶の時間のひとときに、思いつくまま書きました。

果てしなき渇き  著者 深町秋生

2015-03-03 15:24:08 | 読書メモ 

《内容》

部屋に麻薬のカケラを残し失踪した加奈子。その行方を追う、元刑事で父親の藤島。一方、三年前。級友から酷いイジメにあっていた尚人は助けてくれた加奈子に恋をするようになったが…。現在と過去の物語が交錯し、少しずつ浮かび上がる加奈子の輪郭。探るほどに深くなる彼女の謎。そして用意された驚愕の結末とは。全選考委員が圧倒された第3回『このミス』大賞受賞作品。読む者の心を震わせる、暗き情念の問題作。   (紹介文より)


駅前で学ぶ課外授業

2015-03-03 14:53:13 | Weblog

2月7日・8日に田無アスタで行われていた

駅前で学ぶ課外授業《西東京市~青梅街道ルネッサンス~》

西東京市の東西を横切る青梅街道。

徳川家康が青梅の石灰を江戸に運ぶためにできた道です。

その道すがらにできた田無宿はこの町の歴史や文化を知る貴重な郷土資源の一つです。

今では、その街道沿いもすっかり変わりましたが、昭和から平成の初めにかけての写真を見れば、その面影を思い浮かべることができます。

“今日を作った昨日、明日を作る今日”という観点から歴史と文化のひとコマにタイムトリップしてみませんか。          (パンフレットより)

 に、行ってきました

古~い写真の中に・・・・・細沼園が写ってました 看板の《お茶とのり》までが写っていて

母が『懐かしい』と。

明治から大正初期にかけての町並み

たくさんのお店があったんですね~。

ここを見学したあと近くの『養老田碑』を見に行きました。

養老田碑 安政年間(1854~59)建立

 この碑には、江戸時代後期の凶作相次ぐ時代に、田無村名主下田半兵衛富宅(しもだはんべえとみいえ)の行った善政を、子孫に伝えるための碑文が刻まれています。名主半兵衛富宅の出自、村民を思う人柄が記され、また、安政元年(1854)に養老畑を開き、「惜しみて施さざれば天に報ゆる所以に非ざる也」と、村内の生活困窮人や老人、往来で行き倒れた人らを保護したことや、二十九年間にわたって周辺四十一ヶ村の寄せ場名主を務め、その間、訴訟が頻発する関東の農村で、幕府の法廷を煩わせるようなことがなかったことなどがかかれています。
 碑文は、幕末の著名な儒学者安井息軒(やすいそっけん)によるもので、田無村の学者加陽済(かやわたる)の筆によるものです。安政年間(1854~59)に建てられたものと推定されています。