歴史とロマンの島 平戸
長崎県の北西に位置する平戸市は400年ほど前、日本で最初の西洋貿易港としてイギリスやオランダとの交流が始まった場所です
オランダ街道ここに始まる
日本初の和蘭商館開設の地・平戸、その後200年をこえて和蘭商館が置かれた長崎・出島。オランダにとってゆかりの深い二つの地点を結ぶ道路を、蘭日交流400周年を記念してオランダ街道と命名されたことは、両国の歴史に新しいページを書き加えるものである。
この趣旨に心から賛同すると共に、蘭日両国の交流がさらに発展するよう記念して、この記念碑を建立する。
2000年4月21日
オランダ王国 ウィレム・アレクサンダー皇太子殿下
平戸に古くから伝わる豊年祈願の踊りの「平戸ジャンガラ」が、市内9地区で行われます。華やかに飾った簑笠を頭にかぶった踊り手と、腰に小太鼓を結びつけた囃子手の組が、笛や鉦、太鼓の音が響き渡る中を軽やかに踊り歩きます。国の重要無形民俗文化財に指定されています。 (紹介文より)
平戸に着いて、まさか「平戸じゃんがら」が見れるとは思っていなかったので、なんだか嬉しくなりました。
平戸オランダ商館
平戸オランダ商館は、1609年に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が、平戸城主松浦隆信公の導きによって平戸に設置した、東アジアにおける貿易拠点です。オランダ商館長日記などの記述によると、当初は土蔵の付属した住宅1軒を借りて始まり、その後、貿易が拡大するに従い、1612、1616、 1618、1623、1637、1639年に順次施設の拡大整備が行なわれました。特に、タイオワン事件(台湾での中国貿易をめぐるオランダ商館との紛争事件)によって1628年から5年間交易が途絶えた後の1637年と1639年に建設された倉庫は規模が大きく、充実した貿易の象徴でした。
しかし、1640年11月9日、将軍徳川家光の命を受けた大目付井上政重により、1639年建造の倉庫にキリスト生誕にちなむ西暦の年号が示されているとして、当時の禁教令の下、全ての建物の破壊が命じられました。
1641年5月には、商館は長崎出島へ移転。これによって、33年間の平戸オランダ商館の歴史に幕が下ろされました。以降、跡地は平戸の町人地となり、「御船手屋敷」(船を操る人たちの屋敷)が建ち並びました。 江戸時代の絵図をみると、井戸に「阿蘭陀川」、塀に「阿蘭陀塀」と書き込まれており、商館の遺構のいくつかは、江戸時代を通じてオランダの名を付して呼ばれていました。
1922年、跡地は「平戸和蘭商館跡」として国史跡の指定を受け、1987年からは本格的な発掘調査が開始されました。その結果、文献史料等から断片的にしか知ることのできなかった商館が、歴史的な事実として確かめられつつあります。
平戸の歴史と文化を考える上でも重要な史跡をよりわかりやすく見てもらおうと、現在、商館施設として充実した1640年頃のオランダ商館の建物復元、環境整備を進めています。この時代は、江戸時代初期の国際貿易、キリスト教の布教・禁教など、わが国の対外政策の歴史を考える上でも重要な時期にあたります。海の町・平戸の歴史を体験できる場として、また、平戸瀬戸をのぞむ景勝地の憩いの場として、「よみがえる平戸オランダ商館」にご期待ください。 (サイトより引用)
オランダ商館から見える平戸城
寺院と教会の見える風景
寺院に重なるように天主堂の尖塔が望まれる場所。港から見上げると光明寺。その下が瑞雲時。
異国情緒がたっぷり。
長崎県は坂が多いってほんとです。
まして暑いと・・・
坂を上って行くのがけっこう大変です。10歳若ければ違うのかなぁ