旧土岐邸洋館
平成9年11月5日 国の登録有形文化財に登録されている。
『生活史的特徴』
明治以降の近代日本を形成する過程で特有の役割を果たした旧大名家の近代以降の生活を知る生きた資料です。
『建築史的価値』
我が国に遺された大正末期の遺構は少なく、こられの中でも、とりわけ時代の特徴を示している貴重なものです。
『様式的特徴』
大正末期から昭和初期にかけて特徴的にみられたドイツの郊外別荘風住宅。屋根窓(俗に「牛の目」窓と称される)は、1階のドイツ壁仕上げと合わせ、様式的特徴の精髄となっています。
『平面的特徴』
玄関広間の最奥に設けられた両開扉を境に、接客空間と指摘空間が明快に分離されています。
明治期の独立した洋館から、昭和初期の文化住宅(応接空間を小規模の西洋館として玄関脇に設置する)への過渡期を示す特徴を有し、部屋の間取りも土岐子爵の接客内容をよく伝えています。
【土岐氏について】
土岐氏は、清和天皇を祖とする源氏の一族で、江戸時代になってからは、大阪城代・京都所司代・老中などを務めた名門です。
土岐頼稔(よりとし)公が寛保2年(1742)、黒田氏の後を受けて沼田藩主となって以来127年間、12代藩主頼知(よりおき)公が、明治2年に版籍奉還するまで利根沼田地方の主要地域を治めていました。
明治2年(1869)に沼田を離れ東京に転居した土岐氏は、明治新政府から子爵に叙されました。この洋館は、土岐章(あきら)子爵が関東大震災後の大正13年(1924)に東京の渋谷へ転居する際に、住宅の主要部分として建築されたものです。
現当主の實光(さねみつ)氏より、ゆかりの深い本市が寄贈をうけ、平成2年8月に沼田公園へ移築しました。 (パンフレットより)
土岐家に身を寄せていた象牙師の玉明(ぎょくめい)作。
竹林の七賢とは、中国の晋代(3世紀の半ば頃)に、戦乱や俗世間を避けて竹林に集まり、酒を飲み事を奏でて清談したという七人の賢人のことであるが、ここでは大正末期から昭和の初期にかけて活躍した政界などの有力者七人を七賢になぞらえている。
中央の眼鏡をかけているのが浜口雄幸、右側の大きな顔が高橋是清、左端が東郷平八郎、そのほかは犬養毅、若槻礼次郎、渋沢栄一、尾崎行雄といわれている。
額の大きさは154cm×213cmで、七人の顔と手や落款(印)等の部分には象牙が使われている。
昭和3年(1928)より貴族院議員をつとめ、以後世界に生きた土岐章子爵らしい、興味深い作品である。 (説明文より)