浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
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6月の法話「結婚をした親鸞聖人」

2012-06-02 11:33:57 | 法話

「出家」して僧侶になり、仏道に専念する者に対し、一般的な社会生活をしながら信仰する人を「在家」と呼びます。今でもその名残はあるかもしれませんが、親鸞の生きた鎌倉時代、在家者は出家者に比べて低い地位にあると見られがちでした。結婚をして家庭生活を送ることは、仏教の修行には障害だと考えられていたからです。ところが親鸞の師である法然は、出家者に対し妻帯を認めたのです。これは妻を持つことを勧めたというよりも、念仏の教えを広めるために「在家」の生活を送るほうがより多くの人々に接することができると考えたからです。念仏の布教を優先し、自分が救われるだけなくより多くの人に教えを広めるべきという願いでしょう。

 そして親鸞は結婚したのでした。京都で玉日姫と、流罪にあった後には恵信尼と。この二人は同一人物とも違うとも言われており、二人とも架空の人物であったとも言われ、謎に包まれています。

 親鸞はこの妻との生活を「非僧非俗」と言いました。出家者のように寺にこもり修業に専念するのではなく、また普通の在家者のように日常生活を営むのではなく、念仏を広めるための生活をしている。という意味です。

これはまさに現代の私たち僧侶の生活を表しています。出家するといっても、ある一定期間研修に行くだけで、自坊に戻ったのちには法務に勤しみ、やがて結婚する。欲望から結婚するのではなく、家庭があったほうが運営や管理も行き届きますし、子供は幼い頃から寺の精神を学び育ち、やがて寺を引き継いだほうがスムーズにいきます。ですから親鸞は浄土真宗だけでなく、現代の各宗派寺院のお手本を見せてくれたのです。

 親鸞は当時としては破天荒なこの主張により、批判や弾圧を受け苦境には立たされましたが、非僧非俗の精神は在家信者たちを安心させたのです。出家僧侶が成仏できることは明らかでしょうが、日常生活に忙しい庶民は仏法を聞くこともままなりません。そんな在家の人々に親鸞は「私も肉食妻帯し皆さんと同じ立場です。阿弥陀如来はそのような煩悩具足の凡夫こそが救いの目当てなのです」と言ったのでした。この“在家目線”が爆発的に念仏者を増やす要因だったのでしょう。

 私も住職の兄も、立徳寺の姉も結婚し子供がいますが、妻や子供や多くの門徒さんに支えられているおかげで、寺が興隆している幸せを、忘れないようにしたいと思います。

                                                                   伊東知幸

 
 
 

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