浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

9月のカレンダーのお言葉

2020-09-04 09:55:21 | 法話
9月のニコニコ法話会でお取り次ぎいたしましたご法話を、ブログでもご紹介させていただきます。

先日、ある新聞に書かれていた、当たり前のようにマスクを着用するようになった今の社会の様子を取材した記事が私の目に留まりました。
新聞記事で紹介されていた市民の投稿によると、ある小学生の女の子が口を抑えて泣きながら学校に登校してきたそうです。驚いた学校の先生は生徒にどうして泣いているのか理由を尋ねます。すると、その生徒は「マスクを忘れてきちゃった」と先生に答えたそうです。
さらに生徒から話を聞くと、登校中に見知らぬ男性から「マスクを着けなさい!」と怒鳴られて怖い思いをしたと打ち明けたといいます。

この記事を読んだ時、私はなぜこのような事が起こったのかを色々と考えてみました。
女の子は今の時期には、マスクを着ける必要がある事は分かっていたのではないかと思うのです。ところが、女の子はたまたまマスクをその日は着け忘れてしまい、不安になりながら登校をしていたのかもしれません。そして、男性はマスクを着けていない女の子を見て、けしからんと思ったのか分かりませんが、女の子をどなってしまった。男性がもし、女の子がマスクを着けていなかった事情を知っていたら、結果は違っていたのかもしれません。

私達は悲しいことに、他人のことをついつい外見だけで判断してしまいます。私達は他人の心の中を見通すことができない以上、相手がどんな服装をしているか、どんな行動をしているかをこの目で見ることで、相手の思いや考えを推測します。
そのため、時には相手が何を考えているのかを勝手に決めつけてしまい、その方が抱えている辛い感情や悲しみを見逃してしまうことがあるのです。

自分のあり方に痛みを感ずるときに人の痛みに心が開かれる

これまでの人生の中で自分自身がつらい経験をした時、私達は自分と同じようなつらい経験をした人々との思いを分かち合うことができるという意味です。
病気にかかることや、大切な人を亡くすことといった、今までは言葉でしか聞いたことのなかった人生の出来事が、いざ自分の身に起こると私達は苦しむことになります。
しかし、私達はこうした経験を経た後は、同じ経験をされてきた人々の苦しみに思いを寄せられる大きなきっかけを頂けるのです。

三年前、私は仏教の聖地を見て回ろうとインドへの旅行に参加いたしました。
その旅行とは、10日間に渡り、インドとネパールにある、お釈迦様の生誕地、悟りを開かれた場所など、仏教にゆかりのある地を長距離のバス移動によって回っていくという少し大変な旅行でありました。
具体的には、道路はアスファルトが敷かれていないガタガタ道、バスにはシートベルトが付いていない、バス移動は一日最大8時間を超えるという日本ではなかなか経験ができない行程でありました。

仏教の聖地へ実際に行けたことで私達は、充実した日程を過ごしていましたが、三日目あたりから少しずつ体調を崩す人が出始めました。実はこの旅行の参加者の中で最年少の参加者が私でした。
同じ旅行参加者の殆どがお年寄りの方々で、体調を崩すのは無理もないと私は思っておりました。ですから、私は体調を崩してしまった他の参加者の方々のことを「大変そうだなぁ」と他人事のように思ってしまっていたのです。

ところが、5日目の朝に今度は私自身も体調を崩してしまったのです。これまで同行してくれていたインド人のお医者さんのおかげで、徐々に体調も回復したのですが、その日がちょうど8時間を超えるバス移動をする日だったので、私はとても苦しい思いをいたしました。
その日から私は今までの考え方が大きく変わっていったのです。今まで他人事だと思ってしまっていましたが、体調を崩してしまった人はこんなにもつらい経験をしていたのかと私は身をもって気づかされたのです。そして、体調を崩してしまった他の旅行参加者の方と同じようなつらい経験をしたことで、その方たちとそれぞれが抱える辛い思いをお互いに語り合うことができるようになりました。

同じ辛い思いをした方々と語り合う内に、私は今まで相手の痛みを想像すらしていなかった自分のあり方に恥ずかしさを覚えました。同時に、辛いと感じている自分の気持ちを自分以上につらい経験をした方々が少しでも理解しようとしてくれたことがとてもありがたく感じられた出来事でありました。

慈眼をもって衆生を視そなはすこと平等にして一子のごとし 
(註釈版聖典第二版 184ページ)

阿弥陀様は、私達一人一人が大切な一人っ子であり、平等に救わなければならない大切な存在なのだという、あたたかいお慈悲のお心を持ちながら、私達をご覧になってくださっているというお言葉です。
阿弥陀様は私達が抱えている、あらゆる苦しい心の内も全てご存知でいらっしゃいます。
だからこそ、阿弥陀様は全ての命をこの手で救い出したいと願われ、やがて仏様と成られた阿弥陀様は私達のことを安心させようと今、南無阿弥陀仏のお念仏となって私達の元へ向かってきてくださっているのです。
仏様のように他人の心の全てを分からない私達は時に、何気ない言葉で誰かを傷つけてしまう存在です。しかし、お互いを傷つけ合ってしまうような私達の悲しい性質を全て分かったうえで、どんなことがあろうと決して見捨てない阿弥陀様のお心に出遇えた時、自分のあり方に恥ずかしさを感じた時、私達のあり方は少しずつ変えられてゆきます。

今はコロナの影響の真っただ中にありますが、私達はこの苦難にたった一人で向き合っているのではありません。時にはお互いが迷惑を掛け合ってしまいながら、周りの人々と支え合いながら、私達はあらゆる人々と一緒に目の前の苦難と向き合っているのです。
そして、「大切なあなただから、救いたいのだよ」と常に呼びかけてくださる阿弥陀様が私達の元へ至り届いてくださっております。

また安心してお寺へお参りができるようになった際は、またニコニコ法話会にもぜひお参りくださいませ。皆様のお参りを私達も楽しみにしております。

副住職より


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