浄土真宗では、南無阿弥陀仏を称えて救われるのではなく、聞いて救われる教えであります。何を聞くかと言えば、南無阿弥陀仏の音を聞くのではなく、南無阿弥陀仏の本当の意味を聞かせていただくのであります。南無阿弥陀仏は、私が称えているのではなく、阿弥陀如来のはたらきによって、私の口に称えさせていただけるのであります。南無阿弥陀仏は、「我に任せよ。必ず救う」と呼びかけてくださる阿弥陀如来の呼び声であります。
「ありがとう」という言葉は、私の言葉ではありますが、相手に対してありがたいなぁ。嬉しいなぁと思うから、私の言葉に、出てくるわけでありまして、相手の好意が、私の口を通して、「ありがとう」と言わせてくれているのであります。逆に、馬鹿野郎!とか、ふざけんな!とか、相手に対して腹をたてることもございます。これは、「俺が言ってるんじゃない、お前が、俺に言わせてるんだ、本当は、こんなことを、俺は言いたくないんだ」と弁解することもできるのであります。南無阿弥陀仏は、私が称えているのでなく、阿弥陀如来のはたらきが、私にいつも届き、私の口を通じて、私に、呼びかけるのであります。それを他力の念仏と言うのであります。浄土真宗は、他力の念仏で救われる教えなのであります。他力とは、他人の力という意味ではなく、阿弥陀如来のはたらきを意味する言葉であります。逆に、自力の念仏とは、自分で南無阿弥陀仏を称えた功徳で救われる教えであります。その場合の意味は、阿弥陀如来様、お助けくださいとお願いの念仏になります。浄土真宗はお願いは必要ないです。私がお願いする前に阿弥陀如来は、既にお前を救うと願ってくれているのを聞かせていただくのを他力の念仏と言うのであります。