浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
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亡き方に同情はいらないです

2023-09-09 16:57:15 | 日記
本日も、コロナ禍前の土曜日に戻ったような、忙しい1日でした。最近は、金箔を貼った繰り出し位牌の需要は、かなり、減りました。昔は、多かったのですが。



亡き方に、同情はいらない、私はそう思っています。同情とは、辞書で調べてみると、「他人の気持ち、苦悩を自分のことのように親身になって共に感じること。可哀そうに思う事、あわれみ」とあります。亡き方を、可哀想だと思うかもしれませんが、浄土真宗の教えでは、亡き方は、可哀想な方ではありません。むしろ、仏様の世界からみれば、この世に生きる方を、同情するのではないかと思います。同情されるご気分はいかがですか、嬉しいですか?嬉しいはずがないのです。仏様も同じだと思います。昔、ベストセラーになった、『大往生』永六輔著の中に、「不思議なものだね、友達が死ぬと、どこか楽しいんだよね」「甲子園と同じなんだよ。生き残るということは勝ち残ることでもあるからね。俺は勝ったという気持ちで、それで楽しいんじゃないかな」ただ、高校野球と違って、このゲームに優勝ということはない。「同世代の仲間が亡くなる度に、残り時間を考えますね。そうするとどうしてもあせります」(岩波新書68・69P)に、出てくるんですが、永さんにしか書けない、人間の本音をズバリと書いております。もう本が世に出て30年以上が経ちます。友人が、死んで悲しい反面、俺はあいつより長生きした勝ったぞと心のどこかで思うのだけれども、いつか自分にもおとずれること、高校野球と違って優勝はない、勝ち続けることはないのです。私は、ラジオが好きなので、よく永さんの番組を聴いておりました。人の心をひきつける天才的な方でした。昔、一度だけ、伊東市の宝専寺さんで、生の永さんの法話をお聞きした時があったのですが、こんな、話しの面白い方が世の中にいるんだろうかと思いました。この本の最後の方に、永さんの書かれた詩が載っております。「世の中が平和でも 戦争がなくても 人は死にます 必ず死にます その時に、生まれてきてよかった 生きてきてよかったと思いながら死ぬことが出来るでしょうか そう思って死ぬことを大往生といいます」。往生とは、往き生まれるという意味の仏教語です。浄土真宗では、阿弥陀如来のおはたらきで、お浄土に世界に往き生まれさせていただける教えです。往生とは、とても、大切なお言葉です。『大往生』の本が、流行した時、往生には、大も小もないなどと、私は、ちょっとした批判を、法話でしてしまいました、今思えばお恥ずかしいかぎりです。寺院のお生まれであった永さんは、そんなこと百も承知で、わざと、「大往生」という言葉を使われて、今でいえば、バスらせようと(多くの人の注目を集めること)思われたのかと思います。せっかく、長生きして、幸せを感じず、不平不満ばかりを口にするなら、それは、大往生ではないと書かれています。亡き方に、同情するより、今までありがとうと感謝の気持ちを持ってあげて欲しいと思います。

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