Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

日本にて

2006年08月19日 | 生活
約一ヶ月の日本滞在もあっという間に過ぎてしまいました。

母と妹と、川越に行ってきました。この写真は「喜多院」の庭です。
水曜日にお店が閉まっているとは知らず、なんだか人が少ないな、と思っていました。古い町並みもよかったし、お菓子横丁も懐かしく、風情あるものでした。
ことに「喜多院」は素敵でした。平安時代の創建とされているそうですが、江戸城内の家光誕生の間、春日局化粧の間が喜多院の書院、客殿として移築され、当時のこれらの方々の生活が思い描かれ、ゆっくりとした時を楽しみました。

日本に行っての楽しみは、家族ばかりでなく友人に会う事。今回は高校時代の友人と集まりました。コメントを書いてくださる、北村君、買い物小僧さん、Pu-chaさん、そして先輩、そこに私のオーケストラの友人の息子さんのマチスも加わりました。

マチスは政治思想を慶応大学で勉強しています。昨年ロンドンの大学を卒業し、慶応大学の大学院へ進むところです。日本語を学び始めて5年ですが、普通の日本人に話すスピードと同じに会話が出来ます。
とにかく勉強家です。本を読むのが遅い、と言って図書館で何時間も勉強をしているようです。私の子供の年ですが、ほとんど同じレベルで話が出来ます。フランスの子供たちは大人の話についていける人が多い。学校で哲学の勉強をするせいか、あるいは人との受け答えを厳しく教わるからか、たいていの子供は臆することなく大人と会話が出来ます。
日本の若者は取っ掛かりが出来ればお話も楽しく出来るのですが、恥ずかしがり屋が多いようですね。
北村君はマチスのおじさんに大変よく似ているそうで、一目見たときから親しみを感じた、といっていました。

小学校の同級生も集まってくれました。私をだしにして、いつもこの時期に集まってくれるのです。小学校の友達と言うのは不思議なもので、おじさん、おばさんになった今でも、小学校のときのままの姿がよみがえり、話し言葉もそのときのものになります。遠慮なく話せる、本当に素晴らしい絆です。

今回はダンスのメル友との出会いもありました。ここにコメントをかいてくださる、とのさん、Chizuさん、やまと猫さん。踊れたのは昨年に続き、とのさんと。Chizuさんも昨年に続きご一緒してくださいました。ひかりさんはお父様の病気がご心配で対面は出来ませんでした。
やまと猫さんはコンサートに来てくださいました。

サンハートでのコンサートは私としては満足できるものでした。楽しんで弾けたのが何よりでした。
角鹿さんの奥様と娘さんも来てくださいました。奥様は髪の毛を短くされたせいか、すぐわからず、失礼してしまいました。お嬢様もすらっと背が伸びてすっかりお姉さんらしくなりましたのに、話しかけもせずごめんなさい。

元気のなかった母がこのコンサートのときは10歳くらい若返ったかのように溌剌としていたのには胸が熱くなってしまいました。娘たちが「おばあちゃん、たくさんの人と話をしていて、本当にうれしそうで若返ったね。」とびっくり。
気持ちの持ち方を変えると、人間は体も元気になるものだという実証のようなものでした。

フランスはからっとして涼しく、日本ではぴんぴんに張っていた肌から水分が飛んでしわっぽくなりましたよ。でも髪の毛は日本では湿気で収拾がつかなかったのが落ち着いてほっとしています。

日本にやり残した事がたくさんあり、時間がいくらあっても足りません。
実の詰まった一ヶ月でした。