Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

ケガレ地

2009-06-17 15:12:33 | 霊現象

 三年ぶりのお伊勢さん、心身ともにリフレシュさせてもらいました。また、後日書きたいと思います。

  こういう話をすると、大抵の人は怪訝な顔をされるが、霊現象は私の生活の一部であるような形で否応なくずっと付き合ってきた。

 、私が卒業して家を立替した頃から、 霊現象は目に見える形で激しくなった。それまでもしょっちゅう金縛りに遭ったり、階段が夜中にバキッ、バキッとなってたが、同じ頃、市役所の国土調査課から、古い墓地があると連絡があり、祖父と父は確認に行ったが私の家は祖父が次男なので自分ちの墓は別にあったので、そのままにしていた。が、しかし、父はその後、続けて命に係わるほどではないが、交通事故に遭ったり、階段での転倒事故にあったりしてよく入院をした。

  家が完成した時、知り合いの祈祷師のおばさんから、一対の姫だるまとヒイラギの鉢植えを玄関に置くようにと言われ、頂いたが、ヒイラギは他の柘植の木と同じく半年もしないうちに、うちの猫の坊ちゃんたちの排泄物のせいで、役目を果たすことなく枯れた。(猫どもは大きなトイレで気持良かっただろう)雨が降る日は強烈な臭いでした。

 私と夏休みで帰省していた妹が新居に入ったのは8月だった。入った途端、妹が気分の悪さを言い出した。祈祷師のおばさんに祓ってもらったが、その2,3日前に瀬戸内海の島へキャンプに行った時に、何か悪いものを付けてきたのだろうということで済ませた。その頃、私と母も、体重も38キロしかなく虚弱体質で風邪を引きやすく、冬の季節は、毎月10日ぐらい起きることが出来なかった。

 新居に入ってから、5,6年たった頃、我が家はみんなバラバラだった。私たちの結婚も親の意見と平行線で、いがみ合う状態になっていた。そんな時、友達のお母さんに、「ネコちゃん、(私めの事)あんな所によくひとりで住んでるね。」と言われ、よく話を聞いてみると、昭和初期にこの場所におばあさんと婚約者のいる娘さんが宿屋を営んでいたが、二人の客の男に乱暴され、強盗殺人放火事件が遭ったという…。そのお母さんは看護婦になったばかりで、その検死が初仕事だったので、詳しく話されたが、 私は仰け反るほど驚き、怖くて怖くて自分の身の置き場がなっかた。犠牲になった方は大変お気の毒で、成仏もされていないだろう事もわかる。その話を今八十半ばの父に聞くと、子供の頃に遭った事とその犯人が死刑になった事も話てくれた。

「どうしてそんな所を買ったの?」と聞くと、調度、家の前で、材木置き場に便利が良かったので買ったのと、戦後、大家族の為、母屋とは別に建てたらしかった。

 私と母が例の祈祷師のおばさんに相談しにいくと、永らく検証の為、事件現場はそのままで、気味悪く人も通らなかったという。色情の念は特に残るらしく、そのまま住むのも怖く、お札を頂き、毎晩、お線香をあげて、般若心経をあげていた。(私のお経などでは納まらないのであるが)

今、考えると良く無事であったと思う。猫ちゃん達が守ってくれたのだと思う。

 それが分かる前の1月の寒い日にコタツの上に置いていたお湯のみがスカートの縁に当たって畳の上のコタツ敷きの上に落ちただけなのに、きれいに真っ二つに割れた…とても気味が悪く、いやな予感がした。(その10日前の大晦日の紅白歌合戦の後、深夜映画の「復活の日」を見ていて、気分が悪く、言いようのない不安感に襲われていた。)

 やはり的中し、翌日、まだ2歳の若くて元気だった猫なのに、1日の患いで、病院で手当をしてもらったが、尿が出なくなって死んでしまった。身代わりになって私を守ってくれた。有難う クロちゃん!