頭に何か重苦しいものをかぶっているような日々をすごしているとき、母は親類の縁談の相談をする為に霊能力のあるお寺さんへ叔母に付いていった。夕方、帰宅するなり「叔母のほうには何もなかったんだけど、うちのお墓のことを注意されたのよ。お墓をほって置くから跡取りが 早死にするんですよ。そして潰れるのですよ。」と、言われて、母はショックを受けていた。確かに祖父の実家は二代続けて跡取りが亡くなっており、その為、曾祖母はうちで看取った。祖父は学校に通っていたが、家が潰れたため、泣く泣く奉公に出たと言っていた。また、その墓以外に、幼児の頃亡くなった伯母が無縁仏になっている事が判った。祖父は墓を作ったとき、お骨を取りに行ったけれど、判らなくなってその場の土を拾って埋めたとその時に告白した。
両親は数年前に見つかったみかん山の上にある古い元墓を業者を呼んで、整地してもらい、そのお寺さんに塔婆を書いてもらって、供養し始めた。また、菩提寺の和尚さんにも来て頂いてお弔いをしてもらった。霊能力のあるその寺の庵主さまによると、ご先祖様達は両親を見て、「優しい人がきて良かった。」と喜んだという。藪になっていたのが明るく町をずっと見渡せる日当たりの良い場所であるが、そこにたどり着くには獣道を登らねばならない。おまけに古い墓地であるから、うちのようにほったらかしになった墓がいくつか点在している。うちの墓は、10メートルくらいの長さが1段、そして下に4メートルくらいの長さの2段にあった。みかん畑の上にあるから、肥料が効いているのか、すぐ、雑草と竹とツルが 出てきて、お守りは大変だった。
お墓を直したから、すぐに状況が変化した訳ではなっかた。むしろ、ますますおかしくなってきていた。墓を直したのが3月、5月に私は知り合いにSOSのサインを出した。「ネコちゃん、明日午後からいらっしゃい。ちょっと金額が張るけど、いい先生がくるから、その方は原因を言い当てるだけでなく、それを断ち切ってくれるからね。」との事だった。
藁にでもすがるつもりで、祈祷師に会いに行った。その先生は私に、「あなたが来るのは分かってたわ。何を着ていこうかなと鏡の前で洋服を合わせていたらドーンと北から急ぎの人が来るって思ってたわ。」と言われた。
その夜、判ったことは住んでいる土地は、明治の中頃の埋め立てで海であった時に事故で2,3人、その後だまされて船から落とされた行商人の親子3人...と最後が昭和初期の事件で、数名か十人か忘れたけれど亡くなっているとの事、怒っている子供がいる事を言い当てた。
次々に処理してゆき、墓が2箇所だったら、後々大変だろうと言うことで、元墓の先祖の御霊抜きをしようとしたら、先祖たちが「動くのは嫌だ」と拒否された。でもそこをお頼みして、リーダーになる人にもう一度話し合ってもらい移って頂いた。(亡くなっても余にも人間臭いので可笑しかった)だが、墓はそのままで、荒れないようにお守りするように言われた。
何もかも済んだ時には、日付が変わろうとしていた。一つ妹の部屋の棚に寒気がするものがあるのを処理し忘れていたが、帰宅してから連絡する事でよいと言われ、私はひとり疲れ果てて、夜道を2時間かけてに車でトボトボと帰った。
これで本当にすべて片付いた、助かったと心の底から、その時は思った。
寒気のするものは妹が元彼からもらった人形であった。後日、旅先でズラーと並んだ同じ人形に妹はギョットしたと苦笑いしていた。送り主の念が入っていたらしい。