4月4日の朝「抜けたっ!」と、私が呟くとチエさんが「あ~、そうね」と相槌をうった。
「でも、天中殺ってどんなの?」と聞いてきた。
12年の中で2年間天に味方されない時であり、してはいけない事を説明していると「プラトニック以外の恋愛」と言った時、「え!それも」と言って絶句した。
「そしてその頃何があった?」と聞いてきた。
思い出すと、まだ一度も御祓いをしていない時なのでいろんな事が噴出しかけていた。そして何時も落ち着かず、心の置き場が無かった。
しかし、振り返れば普通の生活をしていてもお経や祝詞をあげなくとも在宅の尼さんか巫女となんら変わりは無い。
30年の天中殺は最近まで知らなかったが、土地の因縁か、数年前ローマへ行った時にノワタリさんから言われた2000年前の前世のネロ帝の参謀であったが牢で自殺した人物の影響ではと思っていた。
若い頃からあまり結婚願望は無かった。
50近くになった時、kが「お前、結婚せんのか?」と聞いてきた。
「うん、普段はいらんのよ。ただね、疲れた時、ごろニャんっと言って寄りかかれる人があればいいと思うのよ。」と答えると、「それ、男の感覚だ!」と言われた。
「ふ~ん、男か…?」
そんなであったが、長女と言う立場なので20歳の学生の頃急に家に帰る様に言われ、帰宅するとその晩相手の家に連れて行かれた。父の親しい友人の家であった。
それは夏の事であったが、忘れた頃の大学祭に相手はやって来た。
1時間ほど付き合ったが、「用があるとか」と言って、すぐに逃げ出したのでその気が無いと悟ったらしくそれは其処で終わった。
本格的になったのは卒業してからだった。
母が車の教習所で知り合った保険のおばさんが付いて離れなかった。
しかし、始めに持ってきた話は祖母の従姉妹が嫁いだ家の親戚だったので母が大乗り気だった。
友達が一人増えるくらいの軽い感覚で行ったのが大間違いで、意思表示をしなければあれよあれよと言う間に話は進められた。
会ったもののその気は無い。苦手なタイプで1m以内近寄るなと言いたかった。
断ってくれと言っても母は勧めようとする。
2度目に会った時、「すみません、1本下さい。」と言って、タバコをふかして帰った。
当然、大目玉である。でもこちらの目論見は外れ、口外しないから進めてくれと言う。
そしてそのおばさんは私が無愛想な事を注意した。
「コーヒーにお砂糖を入れてあげるとか、相手に気遣いをしないと」とか言う。
アホらしくて、ばかばかしくって聞いて居れなかった。
「絶対嫌だ!」ごね捲くり、9月に会ってから年内中もめた。
「出て行け!」と言われ、喜んでその気になり準備していると、
「世間体が悪いから、やはり居れ」と言う。
その後その人の弟さんと正月にと言う話が来たが、友人宅でお母さんに「ネコちゃん、見合いは無いの?」と聞かれ、「正月にあるけど、いいの断るから。」と言ったのが、先方さんに伝わり消滅した。
でもそういう事をして壊したので家では風当たりが強く、まるで罪人扱いであった。
その後もその保険のおばさんはいくつもの話を持ってきたが、母の気に入るのは無く会ってもすんなりと断ってくれたので安堵した。
その人もよく言うクリスマスケーキの例えのように26,7歳になると諦めたみたいであったが、留守中に、20以上の結婚写真を持ってきてどれだけ自分が世話をしたかと家族に見せた。
妹が笑いながら「あんた、居なくてよかったわよ。でもどれも割れ鍋に綴じ蓋よ。」と言ったが、その人達がどれだけカモられたかと思う。当人の保険、子供が出来れば子供に、そして先回りして家具屋、呉服屋、結婚式場と数えたらきりが無い。
そういう人であったので、当然家の方にも保険の勧誘があったが、自分の取り分の良い保険それもそれまで入っていた保険と同じ物に入らせていることが分かり、即刻全部解約、出入り禁止となった。バンザイ
それでも善意で知り合いやご近所、親戚が30半ばまで話を持ってきてくれたが、せっかくの休日なんでこんな事に費やさなければならないんだろうと思うと腹が立ってきた。
そんな心つもりでしぶしぶ行くので相手も迷惑な事である。
その気が無いので、親が断ってくれる場合は良いが、その話が進んでも一向に心を開かず、「はい」と「いいえ。」の返事のみ、遠距離であってもこちらからは電話も手紙も出さないので立ち消えになった。
とうとう親は怒り、「一体、どんな人ならいいのよ。」と聞いてきた。
「そんなん分からん。幾つか条件を書いて消去法で消していったら分かるかも?」
と答えると、益々怒り叱られた。もとよりそんなことをしても分かるはずの無い事を知っていたが。
相手の方は気の毒であったと思う。本当はよい方もいらしたと思うが、落ち着けるような感じの人には出会えなかった。いや、居たのかもしれないがこちらが閉ざしていたのだろう。