Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

実らない見合い話 「降りろ!」

2012-04-10 22:22:35 | 日々のつぶやき

意に副わない事を言われたり、されたりすると、押された力以上の力で跳ね返してしまう癖があり、何度か失敗をしてしてしまった。跳ね返ったボールは何処へ飛んでいくかも分からず、出てきた結果は予想外のこともあり、唖然とした結末を迎えることもある。でも、そんな事さえなければ、穏やかであると自分は思っている。

また、私の外見と中身のギャップが大きいので相手は面食らう事が多い。

車を止め「降りてください。」でなく「降りろ!」とキツイ語調で助手席に座っている見合い相手に叫んでいた。

口にした当人も普段使うことの無い言葉に荒い口調に内心びっくりした。Hの言う一番影響の強い前世の武将が現れたのか…。

そう言うと「僕はどうやって帰ればいいのでしょう?」と、聞いてきた。

「バス亭で停めますから、それから先は御自分でお帰りください。」とだけ、伝えた。公共の乗り物であれば、バスを降りて国鉄に乗り換え早くても2時間くらい掛かるであろう。

その言葉を発する直前、その人はその日で2回目の出会いにもかかわらず、

「僕の何処がいいのでしょう?」と陳腐な質問をすまして言った。

「無い!、そんもん無いわ!何の感情も持っていない。」と答えた。

このまま断らなければ結婚させられてしまうと内心どうするか考えあぐねていたのでこんな言葉が出てしまったのだろうと思う。

しかし、バス亭に停めたものの降りなかった。しばらくそこに居たが、強引に引きずり下ろす事も出来ず、無言のままその人の実家のある町まで走った。近くなると、方向を指示し、家の近くで下ろした。

30歳を越え、両親はもう私に養子を取る事を諦めた。そう決断した途端「嫁に行け!」である。それならば、自由にほっといて欲しかった。

夏に知り合いのお家で会ったものの、気が進まない。顔も見たくないので助手席に乗せ、自分の好きな音楽をかけ話をほとんどせず、「はい、いいえ」の返事のみして走った。

自分の事をせっせと話すが自慢話にしか聞こえない。しまり屋らしく、喉が渇いても缶コーヒーしか渡されない。まあ~、喫茶店で対面し無くて済むからこれでもいいかとも思った。

そのまま一度も連絡も取らなかったのに話は進み、普通ならその気の無いのを判じる筈なのに親は結納の日取りだ、結婚式の日取りだと相談し始めた。

そういう事を起こした夜、明日空港まで送るようにとまだ、強制をする。

うんざりして友達のノブちゃんにその日の顛末を話すと、私の気持ちに同調したもののゲラゲラ笑って「あんたんちは平行線よ。絶対交わらないわ~。」と言う。

その話をまた、父が聞いていたものだから、こっぴどく叱られ、翌日の事を諦めた。

でも、嫌なものは絶対に嫌!!、何時もの事だが私の気持ちを尊重してくれれば、何も騒ぎは起こらず、互いに嫌な気持ちにはならないのだが。

そういうノブちゃんも結納を自分ひとりで返しに行き、本来ならば倍返しのところそのままの金額で済ましてもらった事を言った。大変厳しかった体験であったと言う。

数年後、二人で知り合いのお店にお歌を歌いに行った所、その相手に出会ってしまった。私の顔見知りの人だった。狭い町である。

そうやって私の20歳から30半ばまで結婚話でもめ、憂鬱で悲惨であった。恋愛しても親は認めず、母の態度に向こうが逃げ腰になったりした。

親の態度が軟化したのは妹が嫁ぎ、初孫が産まれてからであった。

父が40近くなった私に「嫁にも行かず、年を取っていくのを見るのも辛い。」と、ポツッと言った。

父の気持ちは良く分かるが、「でも、いっていたら、『ただいま~』って言って、人数増えて帰ってるでしょうよ。」と言い返すと、

ため息をつくように「ああ~そうだ。○○さんちも、××さんちも、そうだな。今は多いな~」と自分に聞かせるように言った。

30歳過ぎに世話になった祈祷師は「家のある土地の事件もあり、色情が一番きついからね。みんな受けてたね。あんたはこの家を納める長男の役目があるから、嫁いでも先祖が引っ張って帰らすわよ。」と言った言葉に納得した。

30半ばからは仕事も忙しくなり、そんな話に振り回されることも無く自分らしく活きられ、楽しかった。

しかし、これで心の平穏な日々が続くかといえば、その期間はわずかで御神木の枠木のベッドを買った事もあり、次々とまた霊現象が起こり、不眠と冷えのぼせが始まり更年期障害に10年悩まされた。6歳上の友人のトシコさんが38歳で更年期になったと聞いたが、私もその年であった。

その頃始まった「深夜便」の放送と仲良くなり、好きなアンカーの日は不眠も苦痛ではなくなった。

いい加減疲れ果ててくじけそうになった頃、偶然図書館で借りた宮城谷昌光著の長い放浪生活の苦労の末60歳過ぎて覇者になる「重耳」の本に勇気付けられた。その後数年間、この作者の話ばかり読んだ。

そしてノワタリさんとの出会いとその旅で自分が本当に活きている楽しさを心の其処から実感し、それが私の探している物と思った。やっとそこで心の平穏を感じるようになった。

こんな経験をしたからこそ、この道に繋がったと言われた。これまで大変だったから、もう大丈夫よとも言われた。あり難い事である。