自分の事ばかり書いていたので、面白くも無かったと思うが、私はすっきりした。
先日のブログを書こうとしていたら、母が祖母の話をした。
祖父との結婚は2度目であった。
その前の相手が嫌いでしょうがなかったと言うことは聞いていて知っていたが、最後に言われた言葉は「お前は そんなにわしが嫌いか!」と言われたらしい。
それを聞くと、私だけのように両親は言うけれど、私の性分も血筋だとおもった。
書き終えた事をノワタリさんに伝えると、「よかったですね。丁度良いタイミングで終えて。」と言われたが、1月に今回の予定は入っていたがそうなるべくして書き終えたと思う。
本当に先祖事、土地の因縁、憑け易い体質は解消されたみたいである。この1ヶ月、お塩とセイジの葉、ブレスを忘れても連れて帰ってくることはなかった。
やっと片付き、自分の人生と後を引き継ぐ者に負を残さずに済みそうである。
今世だけでなく、今までの前世を含めての総決算を57年余りかけてしたと言うことだった。
だが、知っているだけで私の前世はほとんど戦場か牢の中で亡くなっている。たぶん、穏やかな一生もあったのだろうが強く残っている記憶が見せるのだろう。
今世で首を刎ねる訳にもいかないので、くびのねんざとか、顔面裂傷、脚、腕と言っていたらきりが無いほど怪我をしたし、紙一重で助かった事故もあった。
ノワタリさんも3度死に掛けたといわれた。前世の一つにジャンヌ.ダルクだったので、火責め水攻めで、子供の頃、囲炉裏に掛けてある大なべの熱湯を被り数日間生死をさ迷うほどの火傷をされ、その後は井戸に落ち、崖から自転車で落ちた事があったと言われた。その後は精神的なご苦労があったと言う。この世界に通じる者は何がしかの試練が多い。
一番最初に夢に出てきたのは何度開けても鉄格子で開けても開けても鉄格子の中から出る事が出来ず、夢の中で恐ろしくて泣いた。
その話をすると、「昔の臭いがするわ、真っ暗中にいるのね。」と言われた。幽閉されたらしい。
全部ではないが、私達は旅の間に自分がかって生きた場所に導かれる事が何度か遇った。
先程のジャンヌ.ダルクにしても、マリーアントワネットがノワタリさんの所に出て来て「来てほしい」と言われた事がきっかけで、調べている内に時代も違うのにそちらへ導かれ、ジャンヌダルクの足跡をたどる様になったり、宮島へ行く前、夢の中に若武者が出てきたり、津軽では南部に負けて、首を刎ねられる私の姿をノワタリさんが見せられたりとか、ローマではまた牢の中で自殺する姿や、ノワタリさんはキリスト教徒でコロッセオの競技場に出され恋人とローマから逃げる姿を見たりした。
ただ、まだ分からないのはノワタリさんとの前世でのご縁である。
弟橘媛様が私の所に出られた事とノワタリさんが倭媛様の側近の女官であった事からすると、ヤマトタケル命と弟橘媛様の遺児である若建王を倭媛様が育てられたと読んだ事があるので、その辺に私も居たのではと思うがそのうち、必要があれば分かるであろう。
また、1ヶ月前箱根へ行く前から、私の実生活にも変化が起きつつあった。
長年勤めていた者が病気になり、3月に入って風邪を引いたとか熱がでたとかで休む事が多かった。結局、不摂生な生活がたたり腎臓を悪くしてしまった。一時は透析をしないといけないかもと言われたが、幸いその必要はなくなりい20日あまりで自宅療養することになった。
年明けから、うすうすそんな気がしていた。そして近いうちにその担当のお得意の整理をするだろうと思っていたので、別段驚きはしなかった。
今月はその事で忙しい。そのうちそのリズムになれるだろうと、チエさんと話した。
今日、市場へ仕事に行く人が先月から魚が無いので仕事をする日が少ないと言われていたが、人を雇って漁をしていた会社が廃業するので、もう本当に仕事が無くなると言われていた。
この町から漁業が無くなるともう何も産業は無い。
こんな時にノワタリさんが来られるのも何かに縁か、「何処へ行かれますか。」とお聞きした時に、「海が見えるので、海のお清めですね。」と言われていたのも不思議である。
「世の中の立替もだけど、個人個人も立替があるわね。」と先月言われた言葉通りである。