昨日のお昼の事だった。
必ず昼食時にはプールから帰宅するはずの父が帰って来ないので少し気になっていた。
食後部屋で休んでいると母の尋常でない叫び声がしたので慌てて外に出ると、数件前の家の前に救急車が来て人だかりになっていた。
近づくと父は座布団を引いた上に仰向けに寝せられていたが、救急師の質問にはっきりと答えているのでまず心配はなさそうだが、額や鼻から血を出して触ったらしく手にも乾いた血が付いていた。
散歩をしていた男性が、「向こうから、だんだん前のめりに歩いて来ていて突然、、バタンと頭から倒れた。」と言われ、後ろから車で来た近所の人は「ふらふらと歩いていて危なくて追い越せないのでゆっくり付いて走っていたら、ばったり倒れたので救急車を呼んだ。」と言われた。
血の付いた帽子、杖、リュックと糸が切れたモルダバイトのブレスを渡された。
その時、そのブレスが父の身代わりになった事を確信した。プツンと切れたままでバラ、バラにはならずしっかりとくっついていた。そして母とも後で言ったのだがどんな転び方をすれば、ブレスが切れるのか分からない。
「プール帰りで疲れていたので歩くのもしんどくなっていたので休もうと思っていたら、転んでいた。」と父は言うが、それだけ体力がなくなっていたのだろう。
近くの総合病院がダメで脳外科に運ばれ、手当てをしてもらいCTを取り2時間ほどで帰宅した。
幸い脳には異常はなかったが、なかなか血が止まらないので翌日外科に行く事にした。
前日の夜も階段の下で父は座り込んで動けなくなっていて、母が注意すると「しりもちをついただけ」と言っても自力で立つことができなかったと言う。
半月前もどうせ使うのだからと畳みもせず山積みしていた段ボールの箱の上にチャップリンやキートンの映画のように梯子ごと半円を描いて父は落ち、体の上になった梯子をのけることも出来ずにもがいた事があった。幸い箱がクッションになり何事もなかったが、何もせずにはおられないみたいである。
そんな事もあり、母は横になり休んでいる父に「もう互いに年だから、何時お迎えが来るかもしれん、覚悟しときなはいや。」と言ったらしい。
その晩、神前に供えた ブレスにはご助けて頂いたお礼を言って感謝したが、でも 本当に覚悟しないといけないのは私である。
後こうやって3人で暮らせるのもどのくらいあるのだろうか?日一日を大切に過ごせねばならないと思うが、ネットでもオーストラリアの首相が「マヤの暦は真実で滅亡が近い。」と言ったとか、公の場でこのような立場の人が言うのは裏付けがあっての事だろうと思う。
最近の荒れた天候にしても「Day Aftaer Tomorrow」の初めのシーンとよく似ている。
おまけに夕方の地震、車のラジオから「速く高い所へ逃げて下さい」「3月11日を思い出してください。」と叫ぶような男性アナウンサーの声が聞こえ、途中から聞いたので本当の地震でなく予行演習かと思ったが、聞いているうちに事実だと分かったが、あのような惨事に至らなくて安堵した。
じわじわと足元まで来ているような気がしている。