2日目は、昨夜遅く就寝したにもかかわらず、ノワタリさんと二人朝5時に起床してお風呂に入って身を清め6時には家を出た。
みんなとの集合は9時半、それまでに海のお清め、氏神様、荒れてしまったお伊勢さんのお清めをしてしまう心算だ。
夜中は大雨、大風であったが、強風は残っている物の、どうにか雨は降らずに守っていた。
町外れの海岸へ行き、何時もの御神酒、お塩、水の他、榊を3本海へ入れ祈った。ノワタリさんは海に向かって「ウォオオ~、」と歌われる。歌いだされると風はいっそう強くなり、海へ投げ入れた榊は岸に寄せられた。そして私は、龍神様の語真言を唱えた。
急ぎ足で、氏神様である八幡様へ向かった。今まで二度行ったが、二度ともお掃除をしている人がいたりしてお清めをする事ができなかったが、今回初めて心起きなく誰もいないので出来た。
石段を上っていると藤の花が落ちていた。何処にあるのだろうと思っていたら、大分離れた後ろの大山積様の横から飛んできていた。摂社、末社まですると、途中で何もかも無くなり、また1セット車へ取りに戻った。
今回は地酒の1升瓶を6本用意したが、境内をお清めしながらこの御神酒の醸造元の亡くなられた社長さんはこの神社の敬神会の副総代であったことを思い出し、このお酒で良かったと内心思った。朝早く、悪天候で誰もいないこともあり、大変気持ち良かった。
車の中で、東北の東照宮が倒産した話をした。結婚式場の過剰設備が原因だったが、神社も金儲けに忙しく、本来のお役目を果たしていない所が多い。
最後に、お伊勢さんへ行った。
鳥居から、清めた。右の鳥居の柱の根元にお神酒を撒いていると、魚の腐ったようなに臭いがプンと鼻をさした。二人で「え!なんで魚の生臭い臭いがするんだろう。」と言って顔を見合わせた。
前回は、境内へ足を踏み入れるのも躊躇するほど厳しかった。清めた後、「足がヒリヒリして痛い。」と言われていたノワタリさんがやっと普通に歩けた。
この神社が、元の海岸近くにあった頃が、この町が一番輝いていた時であった。しかし、埋め立てが進みこの場所へ移った頃はまだ、専任の宮司さんもいて知り合いのおばさんから、此処で結婚式もしたと聞いた事があるが、今は昔の事で、拝殿は壊れて無くなり、本殿だけがひっそりと山際にある。
元は神社関係者の住まいだと思うが、今は全く関係ない人が住んでいるらしく、境内へ入ると不信そうな顔で睨まれた。
挨拶をして「お清めさせてもらいます。」と言っても、無言であった。やがてそのおばさんも姿を消し、二人でここも思う存分お清めし、ノワタリさんが歌われ、ご挨拶をした。
そうしたら、全く清清しい空気になった。「生れ変った。」との上からのメッセージを頂いた。
「この町の神社はどこも荒れててダメなんですよ。」とぼやくと、「それが出来なかった。」と、また上からのお言葉。
時計を見ると、8時半になっていた。急いで帰宅し、みんなで朝食を取り終えた所に、従姉妹のタカコちゃん親子と友達のユキちゃんとチエさんが揃い、2台でミカン山へ。
下見を半月前にしたものの、どっちを向いてもミカンで同じ景色、分かれ道の度、戸惑ってしまう。
やはり間違えてしまい、またUターンしようにも広い所まで走らねばならなかった。
「目印に何かを撒くとか、柿の木があるとかだったら、分かるのにね。」とチエさんが言った。
おまけにカーブを曲がる度、コンテナケースやモノレールのカバーなどが飛んできて道路の真ん中に落ちているので スピードを落とし、時にはよけれず道端に退ける事も遭った。
上になると、テレビ塔や携帯の電波塔が目印になり走りやすくなったが、とても急な坂、はウイ~ンウィ~ン悲鳴を上げ極端に進まない。
軽では4人は重いのか?それとも1升瓶が重いのか?歩くほどの速度でしか進まない。セカンドにしてやっと参道近くまで上り、そこで徒歩となった。
人一人歩けるほどの道を上がると鐘楼があり、みんなで一人づつついた。ゴォ~ンと良い音だった。その上に石鎚神社、手分けしてお清めし、ナホちゃんが昨日に引き続いて鈴を振り、その後ろをみんなで拍手しながら3周し、ノワタリさんが歌われ、ご挨拶をしていると、こんな事初めてなのだが二度ストップが掛かった。
ちょっと気になったが、その後上の神社へ進んだ。
薄っすらと金比羅様の文字、地図のお社は此処とその横であったが、前回反対側へ降りる道かと思い行かなかったが、左側の道が気になり、私一人左の道を進んだ。お社のような物が見える。其処が一番この山で高い所だから、お社があって当然だ。
此処の金比羅さんでユキちゃんが「上から神様が降りてこられた。」と言っていた。
先程ノワタリさんのご挨拶の中断の訳はこのお社が本当の石鎚神社だったからだった。先日の下見の後、Sからので「やはり、石鎚さんだから鎖もある。」と言われていたが、鳥居の先は絶壁で鎖を登るようになっていた。
キューキューと何かの鳴き声かと思えば、木の枝のこすれあう音頂上は下よりも風が強く、どの親城の後ろにも防風の為の石垣が組んであった。
下の神社と大きさが違い、ずっと厳かであった。神事の間風にあおられて木々がざわめき、擦れてキューキューと鳴いた。ノワタリさんは地面にひれ伏して祈られ、歌われた。
「普段誰も来ないところに、8人がお参りに来たのでたいそう喜ばれているわ。」と言われたが、ノワタリさんが来られ、このような神事をされた事に対してとても喜ばれたのだろうと思う。
みんな心地よく、此処へお参りできたことを喜んだ。
このお社では以前もどこかの神社であったが、カメラのレンズ越に赤に近いオレンジ色の光の柱が数本見えた。そんな時は、プリントすると消えている。しかし、上の方は靄って御神気が写っていた。
私とよく似た体質であるユキちゃんは「みんなに色んな所へ誘われて行ったけど、何か違うと思っていたけど、私の来るべき所は此処の神社だったんだわ。」と、言って喜んだ。
ユキちゃんもチエさんも本当の地元である。この山の麓の生まれである。
下の4つ集落の神様をこ何時のころから祀ってあり、その間に小さなお稲荷さんがあった。ノワタリさんはおきつねさんを大事そうに胸に抱え、抱きしめながら歌われ後水に濡らしたティッシュで丁寧に拭ききれいにした後、ご挨拶をされみんなで杉の葉で掃きお社を掃除した。
その後下へ向かい風の神様(龍神様)に祈り歌われた。共鳴するように風はいっそう強くゴォーゴォーと吹き、木々はざわめいた。この山の御祭神様方と風の神様、龍神様とお出ましになられ、喜ばれた。
その後御祭神様の名前が分からないお社で、鈴が1個外れて転がった。それを直そうとしたら、
「其処にそのまま。」と言われ、其処に必要なのだろう。
小さな町である。ほとんど中心部は海の埋め立て地であるから、問題も多い土地である。
前回、津波が来たらそっくりこの町は水没してしまうだろうと思いながら、走ったが、今回は全くそんな事を思いはしなかった。とてもみんな興奮していて、「石鎚さんのお山開きになったらこの神社へお参りしよう。その時はSにオセンダツしてもらおうね。」と私達は勝手に決め、お山の神様と同じで嬉しく楽しかった。
でも、下山中も 案の定、道を間違え、海沿いに下りる心算がずっと4つの集落の上を走り北側の端の道を降りるようになった。
みんな「お参りした神様の分区の上を走らされたのよ。」と言って笑った。たぶん後ろから着いてきたタカコちゃんは間違えたなと気づいただろう。
1時過ぎになっていたが昼食はみんな揃って先日開店したばかりのKの店へ行った。入り口には数組の客が待っていたが予約を入れていたのですんなり入れた。こんな時時間が惜しいので無駄には出来ない。
Kの事を「納まる所に納まったわね。」とのノワタリさんの言葉に安堵した。久々のkのパスタは美味しかった。
外へ出ると、とうとう雨が降り出した。山の上にいる間もたせてもらったことに感謝。
ユキちゃんとチエさんと別れた後おチョウさんのお墓参りに行った。慌てていったのでいお清めようの物だけ持参して、お線香とお供えする御神酒を持って行くのを忘れてしまった。もう一度、近くに行くようである。
タカコちゃん親子や姪は初めてである。私達子孫が揃ってお参りできることをありがたく思った。
姪は「アヤちゃんに似てる人ね。」
「おちょうさんは大そうな美人なんだけど。」と言うと、ノワタリさんが「目の光が同じですよ。」とフォローされた。
帰宅して事務所見ていただくと、「昔と違ってずっと良くなってますけど、やはりまだ一階の一部分だけ寒気が残っている。」と言われた。厳しいものである。
仏壇を置く訳にいかないので、ローソクとお線香とたっぷりの丼の水をあげているが、此処に観音様を祀れば良いとアドバイスを頂いた。
斜向かいの家の3階に江戸時代に岩の一番上にその辺の船大工達が祀っていた神様があったのが、埋め立て時に神事もせずに取っ払っているので、其処に榊と水と塩、御神酒を供えていたが、其処にもお社と御鏡を置けば良いと教えていただいた。
父の姿を見たノワタリさんは「お父さんはまだまだ大丈夫ですよ。」と仰られ、妹に伝えると安心した。
母はチラシ寿司、鯛の刺身とお吸い物を沢山作り、友達達の分も用意していた。いつもなら、後疲れて寝込む事が多いので今回もしなくて言いと言っていたのだが、是非作りたいと言って、私たちがお参りしている間に張り切って作っていた。
まだ、4時半であったがみんなが「美味しい!美味しい!」と言うので母は上機嫌である。余ったのはノワタリさんとタカコちゃんが持ち帰った。
この作り方を習っとかないとねと妹と言うと、「まだまだこの味を楽しめますよ。」とのお言葉、ありがたいことである。いがみ合っていたのが嘘みたいである。
どれだけの余生があるかは分からないが、心穏やかに過ごせるのは私達家族に取って一番幸せなことだと思う。
5時半に妹達とノワタリさんを空港へ送っていった。
いろいろ有ったが、それが私たちを強くしていった事を言われた。何事も無駄ではなかったと言う事か。
妹の結婚にしても当初親は猛烈に反対して、結婚式はしたものの、姪が出来るまであまり行き来はしなかったが、妹と結婚しなければ、妹の主人は自殺したと言われた。
妹が精神的ささえになり、もうその心配は無いと言われた。
妹はいつも「向こうの先祖に引っ張られた。」と笑いながら言っている。
空港でお茶を飲みながら、今度何時お会いできるか本当に分からなくなってきたので別れを惜しんだ。Hからの玉置神社の連絡はまだ無い。大三島の鶴姫像の岩場がすっぽりでてその岩場も下から1m50位の高さである。そんな事を思うと迫っているような気がする。
今回、2日とも台風並みの低気圧と言われながらも、何のさわりも無く暑くも寒くも無く、日差しも無く丁度良いお参り日和であった。上と、ノワタリさんに感謝。
翌日、山へ上がった軽自動車の右後輪のタイヤがパンクしているに気づいた。走っている間、誰もそんな事を気づいたものもおらず、よく無事であった事と思った。
直してもらったが、ネジ式釘が刺さっていたそうである。帰路に高速を使うタカコちゃんの車で無く良かったと思った。
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