もう1週間前の事になってしまったが、夕方6時頃から背中が痛い!前回と同じ痛みだった。
胃の後ろあたりから腰に掛けてギュッと押さえられたような感じで起きている事も辛い。おまけに胃がシクシクと痛む。仕方なく7時前から横になったが、9時を過ぎても治まらない。
私の書いた手紙で怒りがまた込上げたみたいだ。明日からの準備もあり、ノワタリさんに遠隔をして頂き、どうにか動けるようになり準備をしていると、11時半頃にやっと治まった。
そんなに目に角立てて怒るほどの事か?そんなに信用がないのかと思うと悲しくなった。
翌日、ノワタリさんと話すと、「信用していただけに、裏切られたと思っている。」と言われた。
そして私たちの取った行動は「余計なお世話だ。」と言うコメントをノワタリさんが受けた。
胃の痛みは彼の状態で、私がキャッチしたようであった。
そんなこともあったが翌金曜日は、朝5時半に家を出て途中従妹のタカコちゃんを拾い、高松空港で8時半過ぎにノワタリさんと合流した。
彼らに美味しい本当のぼっちゃん団子を渡そうと思っていたが、もうそれは止めにして引田へ走った。
なんで、此処で大々的に海で亡くなられた人の供養?と思っていたら、
「お彼岸なんですよね。施餓鬼供養ですね。」と、言われた。
彼が永年憑けていたものは海で亡くなった人、餓えて亡くなった人、そして虐待されて死んだ白い犬、それは後、お稲荷さんの姿に見えたそうであるが…。彼を通してその姿を見せ、こちらへ来るようになったのだろうか?
近くのスーパーで供養の為のお結び9個、お稲荷さんも9個、おはぎ6個、リンゴ、ナシ、おまんじゅうと菓子類を買い、そして持参した坊ちゃん団子15本と菊の花と榊を持って海岸へ歩いた。
いつものお神酒、塩、お水で清めた後、
「お召し上がりくださ~い。」と口々に言いながら、食べれる状態にして次々と海に投げ入れていった。しかし、果物ナイフを忘れたので果物はそのまま投げ込み、お線香を3か所に立てたが、ライターのガスが途中で切れてしまい、後は投げ込んだ。
ノワタリさんが巫女鈴を鳴らしながら神事をしている間に、私は彼の写真に鈴を振り、海に流し、祝詞やご真言を唱えた。途中、私を拒否するみたいに写真は裏返って白い裏のまま沈んでいった。
2,3度海に入って直したが、同じことだった。
唱え終わると同時にザバザバと大きな波が幾度も押し寄せて来た。見るとノワタリさんの方も最後に海に手を入れエネルギーを流し終えたところだった。
ノワタリさんは「まるで池の鯉が口を開けてパクパクしているような音がずっと聞こえました。喜んでますよ。」と、言われた。
タカコちゃんは初めての経験でひどく驚いていた。
その後、今度は龍神様に持参した卵を海を投げ込み、ノワタリさんは腰まで濡れながら、海に入り祈られた。私たちは祝詞と龍神様の祝詞をあげた。また、終えると堤防の中の池の様な静かな海がザバザバと大波を起こして打ち寄せて来て、合図をした。ノワタリさんには龍神様の姿も見えていて、それを話された。
そして最後の犬には清めた後、これまた持参した油揚げをちぎって海に投げ込み、祈った。
タカコちゃんはその様子に興奮していた。時計を見れば海辺に私たちは1時間半もいたらしく、お昼を過ぎていたが、まず目的を果たしてからと思い、神社を探した。
近くの蛭子様に行き、お清めした後、ご挨拶をして地元の氏神様である誉田神社へ向かった。
境内は無人で神主さんも在中ではないらしく、私たちは清めて回っていると、高良神社と言う摂社があった。
御祭神様は武内宿禰命であった。
「珍しいわね。」「でも、八幡様と時代は同時代だし、不思議はないわね~。」と言いながら、ノワタリさんが、
「榊が枯れているから、お水もあることだし 取り替えましょう。」と、言われ、後ろにあった榊の枝を数本取、差し替えた。
「喜ばれたわよ。」と、言われ、その後戦没者の祀られているお社を清め、祈って石段下にあるお稲荷さんへ行った。
そこも清め、ご挨拶をして出た。
「おキツネさんが出ていたわ。」と、また、ノワタリさんは言われた。
その後、待ちに待った昼食は香川と言えばうどんである。
古い街並みの一角の蔵の中でうどんを頂いた。平日の事もあり、客は私達だけであった。
見るからに古い蔵の中は薄暗く幽霊が一人や二人はいても不思議ではないような感じがした。
うどんは腰が強く、美味しく、3人とも満足して引田を後にした。
海の神事はどこでもでき、なぜ、引田かと思っていたら、此処には武内宿禰命さんにお参りするためだったという事がわかった。
彼に送った手紙の中に、
「体が軽くなるでしょう。」と書いたが、彼が拒否しているので、憑依しているものを取り除いても、気づかない限り残念ながら、良くはならならしい。
おまけに余計な事をしたと怒っているので撥ね付けるだけである。
あの時ノワタリさんが「命に係るから、言って!」と、言われ慌ててそのまま伝えたが、昔の肝炎の事としか思っていない。後の事を伝えようとしたが、も
も拒否されてしまい、伝えようがなかった。
「体が悲鳴をあげてるわ。おまけに喉も薬で焼けてるわね。」と、言われたが、成人病の3高で何だったが忘れたが、2週間に1度検診を受けていると聞いた。その時、
「気を付けて節制したら。」と言うと、
「顔がこんなになって。」と言いながら、口をすぼめて頬がそげたような顔をして、
「これじゃあ、評判悪いんだよ。」と、ずっと小太りだったので、本人も痩せる事には抵抗があったのかもしれないが、このままでは脳の方に来て倒れそうな感じである。
ノワタリさんも「脳に来るわね。」と、やはり言われた。
「気づかないかもしれない、気づいてももうベッドの中かもしれない。」と、寂しいが言われた。あきらめるしかないと思ったが、たぶん私はあの人たちに
「おい、ネコから電話が来たら、取り合うなよ。あいつはアブナイぞ」と言ううわさが広がっているだろうと思う。目に見えない物を信じない人の方が多いので仕方がないか…。
その晩、ノワタリさんに二人の写真を見せた。今回、お祓いをした友人でない方のIも昔と著しく顔が変わっており、「どう見ても、中国人よね。人民服着たらぴったしよね。」と、ボヤキ全く別人のような顔つきになった事を伝えると、
「生き様が顔に出るからね~、あなたとは合わないわね。次元が二人とも違ってしまってるわ。おまけに今日の人は暗さが出てるわ。」と言われた。
2枚持っていた写真を破り、塩を振り白いビニール袋に入れきっちり縛って処分した。
あれから、1週間近く経つが、泣く事もなく不思議と悲しさを通り超えて何の感情もないが、一抹の寂しさを感じた。ただ、決別とはこういう事かと思った。
今回の旅は何か大きな一区切りがあるだろうと思っていたが、それがこれなのかと思っていたが、それだけではなかった。
朝早く動いたおかげで、私たちは夕方には京都に着き、妹と姪と一緒になり、京都駅ビルの伊勢丹で夕飯を取った。週末という事もあり、どこも人であふれていて、不景気と言う言葉とは無縁のようであった。
その日の事をあれこれと話したが、
「ほんとにスケールの大きな人はいないのね。司馬遼太郎の小説の中だけかしら、私は今頃、アブナイ人間になってしまってるわ。」と、自嘲気味に妹に話した。
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