早今年も半年が過ぎた。年齢を重ねるごとに時の過ぎゆくのをとても速く感じる。
有難い事にこのブログを通じて知り合ったkさんのおかげで、ノワタリさんは国王神社と胴塚にもお参りが出来、今月に入り将門公と延暦寺の焼き討ちで亡くなられた方々の供養も終えられ、休む間もなく今度はジャンヌダルクの供養をされている。これも初めはきつかったそうである。
その最終日、将門公は正装してしばらく現れていたと言う。
とても体格の立派な方で、
「これで一つの時代が終わった。」と言う言葉を残されたと言う。
では新たな時代に代わって行くのか?私にはよくわからないが、今何もかも吹き出して収拾が付かないの様な不安が世の中を覆っているような気がする。
「初めは無念さがあったんですけど、これで越えました。」
「でも、何度も生まれ変わったんでしょ?」
「ええ、その時出来なかった事の学習で同じ事から始めます。」
「じゃあ~、また戦場に出たのかしら…?魂は輪廻転生するのであれば、その時の想いが残ってるのかしら…」
と、思った。
さて、数年ぶりに先週の土曜の午後映画館に足を運んだ。
半月前から見たかったのだが、4度目でやっと見ることが出来た。
1度目は母が温泉へ行きたいと言うので、1週間延ばした。
2度目は午後5時過ぎのを見ようと思ったら、その時間の上映は無くなっていた。
3度目はなぜか頭が重く風邪気味で出かけるのを止めにした。
ノワタリさんと話すと、
「見なくていいのじゃないかしら。」と言われたが、…。
やっと見れた「ノア約束の船」の映画はその言葉通りで、見事に私の期待を裏切った。
冒頭から殺人ありで「あ!ヤダ~。」昔みた「天地創造」の寓話的エピソードではなかった。場面も暗く荒涼とした風景と殺伐とした内容。主演がラッセル.クロウだから仕方ないか。
ノアの3人の息子にはみんなお嫁さんがいるはずだが、そうでなく、次男はまるで色魔のように見えた。
力ずくで食糧資源を奪い、無くなればまた求めて奪いに行くカインの子孫が現れて、まるで現在の姿みたいである。
爛れきったソドムとゴモラの町の話のように人々が食料や物を奪い合う姿を描き人間の欲がむき出しでカインの子孫はバベルの塔の王のように神よりも自分自身の力を過信し、神を冒涜するセリフを吐いていた。
その中でも
「最後は火に襲われ、その後は水」と言うようなセリフがあり、大水の前に火で襲われた。箱舟を奪いにくる一団が現れるが、実際そうなれば、我勝ちに来るであろうと思う。
見終えた後、建物内にあるファミレスで夕飯をと思っていたが、殺戮シーンを見たのでどっと疲れてもうその気は失せていた。
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