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Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

祈祷師

2009-06-22 20:07:57 | 霊現象

 その祈祷師によると、埋立地は海であった時に何が起こったか、 入れた土は何が混じっているか判らないので、あまり良くないし、木造から鉄筋にしたので、あちらの動きが活発になったそうだ。2階だった家屋が、3階になり 丁度、霊の通路とも重なったとも 言われた。ただ、それまでも、家族全員大なり小なり影響を受けていたが、今回はかなり危なかったそうである。確かに、体調だけではなく、心の置き場所がなく、落ちつかなかった。

 私の住んでいる町は、中心部は古くは江戸時代からの埋立地である。この場所は、明治20年代の埋め立てである。その為、多くの墓地は山にある。その高さが 建物の3階くらいから上である。 だから、その辺を浮遊しているのだろう。 

 そんな事もあって、私(一人住まい)家に、神棚を造り、天照大御神様と愛媛の一宮である大山祇神様と氏神様のお札を祀った。 数年は大きな災いもなく過ごす事ができた。35歳で始めた水泳のおかげで、シャレコウベにラップとか、理科室の標本と言われた体型も人並みになった。ただ、半年間はあらゆるアレルギーに悩まされたが…  母との関係は 相変わらず 大して良くはならなかった。

 私と同じように、その祈祷師にお世話になった人が、毎年、「初祈祷といって年の初めにご祈祷してもらうといい。」と言われ、又、その後10年余りの付き合いが始まった。

 その祈祷師のせいではないが、なぜか、私は外出先で、余計なものを付けて帰り、(今ほどではないが)おかしな事が、次々と起きてきた。

 でも、その料金は私には高額で、おまけに往復の運賃、宿泊費もいるので、大変だった。が、他には頼る人もいない。 近所の祈祷師のおばさんは、私の目つきが変わっていたら、やさしく声を掛けて、祓ってくれたりしていたが、それでは間に合わなくなっていった。


古い墓

2009-06-20 14:09:35 | 霊現象

 頭に何か重苦しいものをかぶっているような日々をすごしているとき、母は親類の縁談の相談をする為に霊能力のあるお寺さんへ叔母に付いていった。夕方、帰宅するなり「叔母のほうには何もなかったんだけど、うちのお墓のことを注意されたのよ。お墓をほって置くから跡取りが 早死にするんですよ。そして潰れるのですよ。」と、言われて、母はショックを受けていた。確かに祖父の実家は二代続けて跡取りが亡くなっており、その為、曾祖母はうちで看取った。祖父は学校に通っていたが、家が潰れたため、泣く泣く奉公に出たと言っていた。また、その墓以外に、幼児の頃亡くなった伯母が無縁仏になっている事が判った。祖父は墓を作ったとき、お骨を取りに行ったけれど、判らなくなってその場の土を拾って埋めたとその時に告白した。

 両親は数年前に見つかったみかん山の上にある古い元墓を業者を呼んで、整地してもらい、そのお寺さんに塔婆を書いてもらって、供養し始めた。また、菩提寺の和尚さんにも来て頂いてお弔いをしてもらった。霊能力のあるその寺の庵主さまによると、ご先祖様達は両親を見て、「優しい人がきて良かった。」と喜んだという。藪になっていたのが明るく町をずっと見渡せる日当たりの良い場所であるが、そこにたどり着くには獣道を登らねばならない。おまけに古い墓地であるから、うちのようにほったらかしになった墓がいくつか点在している。うちの墓は、10メートルくらいの長さが1段、そして下に4メートルくらいの長さの2段にあった。みかん畑の上にあるから、肥料が効いているのか、すぐ、雑草と竹とツルが 出てきて、お守りは大変だった。

 お墓を直したから、すぐに状況が変化した訳ではなっかた。むしろ、ますますおかしくなってきていた。墓を直したのが3月、5月に私は知り合いにSOSのサインを出した。「ネコちゃん、明日午後からいらっしゃい。ちょっと金額が張るけど、いい先生がくるから、その方は原因を言い当てるだけでなく、それを断ち切ってくれるからね。」との事だった。

 藁にでもすがるつもりで、祈祷師に会いに行った。その先生は私に、「あなたが来るのは分かってたわ。何を着ていこうかなと鏡の前で洋服を合わせていたらドーンと北から急ぎの人が来るって思ってたわ。」と言われた。

 その夜、判ったことは住んでいる土地は、明治の中頃の埋め立てで海であった時に事故で2,3人、その後だまされて船から落とされた行商人の親子3人...と最後が昭和初期の事件で、数名か十人か忘れたけれど亡くなっているとの事、怒っている子供がいる事を言い当てた。

 次々に処理してゆき、墓が2箇所だったら、後々大変だろうと言うことで、元墓の先祖の御霊抜きをしようとしたら、先祖たちが「動くのは嫌だ」と拒否された。でもそこをお頼みして、リーダーになる人にもう一度話し合ってもらい移って頂いた。(亡くなっても余にも人間臭いので可笑しかった)だが、墓はそのままで、荒れないようにお守りするように言われた。

 何もかも済んだ時には、日付が変わろうとしていた。一つ妹の部屋の棚に寒気がするものがあるのを処理し忘れていたが、帰宅してから連絡する事でよいと言われ、私はひとり疲れ果てて、夜道を2時間かけてに車でトボトボと帰った。

 これで本当にすべて片付いた、助かったと心の底から、その時は思った。

寒気のするものは妹が元彼からもらった人形であった。後日、旅先でズラーと並んだ同じ人形に妹はギョットしたと苦笑いしていた。送り主の念が入っていたらしい。

 

 

 

 


ケガレ地

2009-06-17 15:12:33 | 霊現象

 三年ぶりのお伊勢さん、心身ともにリフレシュさせてもらいました。また、後日書きたいと思います。

  こういう話をすると、大抵の人は怪訝な顔をされるが、霊現象は私の生活の一部であるような形で否応なくずっと付き合ってきた。

 、私が卒業して家を立替した頃から、 霊現象は目に見える形で激しくなった。それまでもしょっちゅう金縛りに遭ったり、階段が夜中にバキッ、バキッとなってたが、同じ頃、市役所の国土調査課から、古い墓地があると連絡があり、祖父と父は確認に行ったが私の家は祖父が次男なので自分ちの墓は別にあったので、そのままにしていた。が、しかし、父はその後、続けて命に係わるほどではないが、交通事故に遭ったり、階段での転倒事故にあったりしてよく入院をした。

  家が完成した時、知り合いの祈祷師のおばさんから、一対の姫だるまとヒイラギの鉢植えを玄関に置くようにと言われ、頂いたが、ヒイラギは他の柘植の木と同じく半年もしないうちに、うちの猫の坊ちゃんたちの排泄物のせいで、役目を果たすことなく枯れた。(猫どもは大きなトイレで気持良かっただろう)雨が降る日は強烈な臭いでした。

 私と夏休みで帰省していた妹が新居に入ったのは8月だった。入った途端、妹が気分の悪さを言い出した。祈祷師のおばさんに祓ってもらったが、その2,3日前に瀬戸内海の島へキャンプに行った時に、何か悪いものを付けてきたのだろうということで済ませた。その頃、私と母も、体重も38キロしかなく虚弱体質で風邪を引きやすく、冬の季節は、毎月10日ぐらい起きることが出来なかった。

 新居に入ってから、5,6年たった頃、我が家はみんなバラバラだった。私たちの結婚も親の意見と平行線で、いがみ合う状態になっていた。そんな時、友達のお母さんに、「ネコちゃん、(私めの事)あんな所によくひとりで住んでるね。」と言われ、よく話を聞いてみると、昭和初期にこの場所におばあさんと婚約者のいる娘さんが宿屋を営んでいたが、二人の客の男に乱暴され、強盗殺人放火事件が遭ったという…。そのお母さんは看護婦になったばかりで、その検死が初仕事だったので、詳しく話されたが、 私は仰け反るほど驚き、怖くて怖くて自分の身の置き場がなっかた。犠牲になった方は大変お気の毒で、成仏もされていないだろう事もわかる。その話を今八十半ばの父に聞くと、子供の頃に遭った事とその犯人が死刑になった事も話てくれた。

「どうしてそんな所を買ったの?」と聞くと、調度、家の前で、材木置き場に便利が良かったので買ったのと、戦後、大家族の為、母屋とは別に建てたらしかった。

 私と母が例の祈祷師のおばさんに相談しにいくと、永らく検証の為、事件現場はそのままで、気味悪く人も通らなかったという。色情の念は特に残るらしく、そのまま住むのも怖く、お札を頂き、毎晩、お線香をあげて、般若心経をあげていた。(私のお経などでは納まらないのであるが)

今、考えると良く無事であったと思う。猫ちゃん達が守ってくれたのだと思う。

 それが分かる前の1月の寒い日にコタツの上に置いていたお湯のみがスカートの縁に当たって畳の上のコタツ敷きの上に落ちただけなのに、きれいに真っ二つに割れた…とても気味が悪く、いやな予感がした。(その10日前の大晦日の紅白歌合戦の後、深夜映画の「復活の日」を見ていて、気分が悪く、言いようのない不安感に襲われていた。)

 やはり的中し、翌日、まだ2歳の若くて元気だった猫なのに、1日の患いで、病院で手当をしてもらったが、尿が出なくなって死んでしまった。身代わりになって私を守ってくれた。有難う クロちゃん!

 

 

 

 

 

 

 

 


はじめまして

2009-06-12 19:00:35 | 霊現象
 はじめまして
 私は、霊体質(掃除機みたいに引き寄せるのみ)で 今風に言う穢れ地に住み、先祖供養が出来てなっかた(無縁さんになっていた)為、この数十年間霊現象に悩まされてまいりました。 どれもありふれた事だと思いますが、三重苦であったため、それなりに大変でした。
 が、しかし、2003年に出会った一人のヒーラーのお供をすることから、私自身の内面、環境すべてが徐々に変わってきました。
 写真を交えて神社を巡る旅と それまでの霊現象を書いていきたいと思います。
 今夜からお伊勢さんに参りますので又、後日