2/29(土)
名古屋名物?モーニングを食べようと思ってましたが、意外に時間がなくて、コンビニでさば寿司
買ってビールで流し込みます。
名古屋702-809米原818-907山科
ここから地下鉄で京都に入ります。
913-920東山
ちょっと歩きます。
午後は雨予報ですし、空はどんより曇ってます。
大改修してて、横から入ります。
① 知恩院 大方丈・小方丈・方丈庭園
徳川家の菩提所で何回も来てますが、庭園は観てないような気がしたのでラインナップしました。
七不思議の一つのうぐいす張りの廊下をギーギー歩いた先に、抜け雀の襖絵があります。
あまりに上手く描いたため雀に命が宿って飛び去ったそうですが、実際は経年劣化で薄れちゃったんですよ?
と説明のオッさんがこっそり教えてくれました。
大方丈は、将軍が人に会う場所で、床が三段に分かれてます。
一番高い上段の間の横には赤ぶさの扉が?
奥に武者が隠れてて、いざという時には蹴破って飛び込んでいくそうです。
間に合うのかな?
庭といっても違いは分からんな。(泣)
興味のないA君は、ホテルに荷物を置いて、次郎ラーメンを食べに行くという暴挙に出るのでここで
お別れです。
クジラのデカリュックも引き受けてくれたので、かえって助かりました。(笑)
京都の東から西に大移動です。
再び地下鉄で二条まで行って、JRに乗り換えて花園へ。
ここも大きいので何度も来てます。
② 妙心寺 仏殿・浴室「明智風呂」
今回のテーマは、大河ドラマにちなんで逆臣光秀です。
京都最大の禅寺です。
仏殿は、普段は外から見るしかないのですが、冬の旅では初公開だそうです。
光秀の位牌もこっそりと置いてあるそうです。
彼の叔父さんがここの住職で、信長を殺した(死体は確認されてないそうで、全国に20くらい「信長の墓」
があるそうですが。)光秀がここにお参りにきて、辞世の句を詠んだのを見て、自害を思いとどまらせたそう
です。
こんな所で死なれても処理に困るがな!って感じでしょうか?
風呂は、死ぬ前に光秀が入ったと思ってましたが違って、死んだ後に例の叔父さんが記念に建立したそうです。
風呂といってもサウナですが。
光秀の月命日(14日って言ったかな?)には、叔父さんの名前を借りて(まさか逆臣の名前は使えず)叔父さんと
光秀の位牌を飾ってお経をあげてたそうです。
秀吉にバレなくて良かったね?(笑)
JRで一駅戻った円山からバスで行きます。
③ 大徳寺 法堂・方丈・唐門
法堂は冬の旅初公開。
応仁の乱で焼けちゃったのを復興したのはだーれだ?と説明員のおばちゃん。
…好き好き好き好きっ好き、愛してる!
ただのトンチ和尚じゃなかったのね?(笑)
千利休も出入りしてて、茶室も沢山あるそうです。
法堂の屋根にはおなじみの?雲龍図。
狩野探幽35歳の作だそうです。
ミケランジェロか?
ある場所の下で拍手すると…反響して龍の鳴き声が聞こえます!
まさか計算したんでしょうか?
他であまり見ないから偶然だな。(多分)
部屋の襖も探幽だらけでした。
もう一つの自慢は唐門。
中から見たらなんて事ない地味な門でしたが、外は豪華絢爛!
桃山三唐門の一つだそうです。
金具はキラキラ、彫刻で獅子や孔雀や鯉やと中国か?と思うほどゴテゴテでした。
④ 大徳寺 総見院
信長の葬儀が行われた寺です。
一周忌法要に合わせて、香木で1mもある坐像を2体作ったうちの1つがここに残ってます。
もう一体はどうしたのか?
…遺体の代わりに火葬され、香木なモンでそこら中で匂ったそうです。
やっぱり死体見つからない説が本当なのか?
裏手に信長の墓もありますが、中は空っぽと笑ってました。
本堂横には、加藤清正が朝鮮から持ち帰った石をくり抜いて、井戸の井筒にしてます。
何でそんな事したか?
…朝鮮から撤退する時に、攻めて来た時より兵も死に兵糧も食べたので軽くなっちゃて船のバランスを
保つために石をつんだんですよ!と笑ってます。
秀吉が利休から貰った400歳の侘助椿も元気でした。
しかし歩いてる人居ませんね?
静かで良いんですが、これじゃ観光業界も干上がっちゃうんじゃね?
バスで移動します。
⑤ 光照院
手持ちの地図には、(跡)とあって、ん?と思ってましたが、メインの建物は昭和3年に天皇即位式に作った
建物を移設したものでした。
去年の即位式にも同様の建物を皇居内に建てましたが、すぐに壊しちゃってましたね。
大広間に絨毯が敷いてあって、キレイだな?と思ってたら、なんと昭和3年のままだそうです!
染料じゃなくて顔料で染めたのです!と威張ってました。(笑)
また、デカい絨毯は一枚物で、そんなの作れる業者はなんだと思います?
…緞帳を作ってる会社に依頼したそうです。
照明も当時のままで、味がありました。
なか卯が混んでて、他に適当な場所もなかったので腹ペコです。(泣)
今日のスケジュールはこれで終了で、飲み屋までまだ1時間半あるので、地下鉄改札内にあったサ店で。
ゆっくり出来ました。
鴨川を渡って…
開店前に並びます。(百名山)
マスターも若旦那も健在で、コロナなんか何の関係もない混み具合で(何人も断ってた。)鯖、万願寺、
焼き鳥、おでんと熱燗を堪能しました。
鯨飲してないのに万札飛んでいきましたが。(泣)
残りはホテルで飲みましょう。
買い出しに。
ええっ!売り切れ?
困ったモンです。
4,500円で泊まれるクラスじゃないですが、中国人の大量キャンセルがあって、投げ売りしてるのか?
大浴場も5人位しか入ってませんでした。
お疲れ様でした。
(鯨飲)
名古屋名物?モーニングを食べようと思ってましたが、意外に時間がなくて、コンビニでさば寿司
買ってビールで流し込みます。
名古屋702-809米原818-907山科
ここから地下鉄で京都に入ります。
913-920東山
ちょっと歩きます。
午後は雨予報ですし、空はどんより曇ってます。
大改修してて、横から入ります。
① 知恩院 大方丈・小方丈・方丈庭園
徳川家の菩提所で何回も来てますが、庭園は観てないような気がしたのでラインナップしました。
七不思議の一つのうぐいす張りの廊下をギーギー歩いた先に、抜け雀の襖絵があります。
あまりに上手く描いたため雀に命が宿って飛び去ったそうですが、実際は経年劣化で薄れちゃったんですよ?
と説明のオッさんがこっそり教えてくれました。
大方丈は、将軍が人に会う場所で、床が三段に分かれてます。
一番高い上段の間の横には赤ぶさの扉が?
奥に武者が隠れてて、いざという時には蹴破って飛び込んでいくそうです。
間に合うのかな?
庭といっても違いは分からんな。(泣)
興味のないA君は、ホテルに荷物を置いて、次郎ラーメンを食べに行くという暴挙に出るのでここで
お別れです。
クジラのデカリュックも引き受けてくれたので、かえって助かりました。(笑)
京都の東から西に大移動です。
再び地下鉄で二条まで行って、JRに乗り換えて花園へ。
ここも大きいので何度も来てます。
② 妙心寺 仏殿・浴室「明智風呂」
今回のテーマは、大河ドラマにちなんで逆臣光秀です。
京都最大の禅寺です。
仏殿は、普段は外から見るしかないのですが、冬の旅では初公開だそうです。
光秀の位牌もこっそりと置いてあるそうです。
彼の叔父さんがここの住職で、信長を殺した(死体は確認されてないそうで、全国に20くらい「信長の墓」
があるそうですが。)光秀がここにお参りにきて、辞世の句を詠んだのを見て、自害を思いとどまらせたそう
です。
こんな所で死なれても処理に困るがな!って感じでしょうか?
風呂は、死ぬ前に光秀が入ったと思ってましたが違って、死んだ後に例の叔父さんが記念に建立したそうです。
風呂といってもサウナですが。
光秀の月命日(14日って言ったかな?)には、叔父さんの名前を借りて(まさか逆臣の名前は使えず)叔父さんと
光秀の位牌を飾ってお経をあげてたそうです。
秀吉にバレなくて良かったね?(笑)
JRで一駅戻った円山からバスで行きます。
③ 大徳寺 法堂・方丈・唐門
法堂は冬の旅初公開。
応仁の乱で焼けちゃったのを復興したのはだーれだ?と説明員のおばちゃん。
…好き好き好き好きっ好き、愛してる!
ただのトンチ和尚じゃなかったのね?(笑)
千利休も出入りしてて、茶室も沢山あるそうです。
法堂の屋根にはおなじみの?雲龍図。
狩野探幽35歳の作だそうです。
ミケランジェロか?
ある場所の下で拍手すると…反響して龍の鳴き声が聞こえます!
まさか計算したんでしょうか?
他であまり見ないから偶然だな。(多分)
部屋の襖も探幽だらけでした。
もう一つの自慢は唐門。
中から見たらなんて事ない地味な門でしたが、外は豪華絢爛!
桃山三唐門の一つだそうです。
金具はキラキラ、彫刻で獅子や孔雀や鯉やと中国か?と思うほどゴテゴテでした。
④ 大徳寺 総見院
信長の葬儀が行われた寺です。
一周忌法要に合わせて、香木で1mもある坐像を2体作ったうちの1つがここに残ってます。
もう一体はどうしたのか?
…遺体の代わりに火葬され、香木なモンでそこら中で匂ったそうです。
やっぱり死体見つからない説が本当なのか?
裏手に信長の墓もありますが、中は空っぽと笑ってました。
本堂横には、加藤清正が朝鮮から持ち帰った石をくり抜いて、井戸の井筒にしてます。
何でそんな事したか?
…朝鮮から撤退する時に、攻めて来た時より兵も死に兵糧も食べたので軽くなっちゃて船のバランスを
保つために石をつんだんですよ!と笑ってます。
秀吉が利休から貰った400歳の侘助椿も元気でした。
しかし歩いてる人居ませんね?
静かで良いんですが、これじゃ観光業界も干上がっちゃうんじゃね?
バスで移動します。
⑤ 光照院
手持ちの地図には、(跡)とあって、ん?と思ってましたが、メインの建物は昭和3年に天皇即位式に作った
建物を移設したものでした。
去年の即位式にも同様の建物を皇居内に建てましたが、すぐに壊しちゃってましたね。
大広間に絨毯が敷いてあって、キレイだな?と思ってたら、なんと昭和3年のままだそうです!
染料じゃなくて顔料で染めたのです!と威張ってました。(笑)
また、デカい絨毯は一枚物で、そんなの作れる業者はなんだと思います?
…緞帳を作ってる会社に依頼したそうです。
照明も当時のままで、味がありました。
なか卯が混んでて、他に適当な場所もなかったので腹ペコです。(泣)
今日のスケジュールはこれで終了で、飲み屋までまだ1時間半あるので、地下鉄改札内にあったサ店で。
ゆっくり出来ました。
鴨川を渡って…
開店前に並びます。(百名山)
マスターも若旦那も健在で、コロナなんか何の関係もない混み具合で(何人も断ってた。)鯖、万願寺、
焼き鳥、おでんと熱燗を堪能しました。
鯨飲してないのに万札飛んでいきましたが。(泣)
残りはホテルで飲みましょう。
買い出しに。
ええっ!売り切れ?
困ったモンです。
4,500円で泊まれるクラスじゃないですが、中国人の大量キャンセルがあって、投げ売りしてるのか?
大浴場も5人位しか入ってませんでした。
お疲れ様でした。
(鯨飲)