ここしばらく、ずっと『ダンガンロンパ』ばかりやっていて、全く読書をしておりません。
大してアニメも一般的なテレビ番組も観ないぼくが、ちょっとPSPvitaを買ったらこのザマです。そうしたモノに詳しい上に教養もある人たちって一体どうなってるんでしょう。やっぱりぼくなんかとは頭の作りが違うんでしょうか。
まあ、そんなわけで読書が滞っておりますので、今回はまた『ダンガンロンパ』ネタを、前回のネタにこじつけてちょっとだけ。
後、ヒット数を稼ぐため、○○師匠を彷彿とさせるセンスのない週刊誌のリード文風タイトルをつけてみましたが、いかがでしょうか?
* * *
というわけで『スーパーダンガンロンパ2』。
今回はその中の罪木蜜柑というキャラをご紹介しましょう。
と言ってもこの『ダンガンロンパ』、ジャンルとしてはミステリであり、罪木への言及がそのまま壮大なネタバレになってしまいます。知りたくない方は、以下は読まれませんよう。
しかしこのネーミング、『積み木崩し』と「腐ったミカン」からの連想なんでしょうかね。その手の(連想されるスケバン的)キャラでは全然ないんですが。
キャラ設定をニコニコ大百科、及びピクシブ百科事典からコピペっておけば、
人にご奉仕する事をいきがいとする超高校級の保険委員。負傷や病気に倒れた仲間を率先して介抱する。
また、コロシアイの捜査パートでは検死を行う事ができるため、学級裁判において重要な役割を担う。
しかし、自己評価が極端に低く、いつもオドオドしている。それが災いし、これまで一切友達に恵まれずにいじめを受けていた。髪型がざんばらなのは、いじめられていた時に勝手に切られたからであり、当時の状況は、自由時間やアイランドモードで、彼女と話す事で聞く事ができる。
いじめらていた名残で、事ある事に脱ごうとしたり、体の好きな所に落書きする事を勧めるが、そういう趣味がある訳ではなく、相手に嫌われたくないからである。
(ニコニコ大百科)
常に怯えているような態度を取り、とにかく「ごめんなさぁーい!」と謝る少女。
表情パターンも怯えや泣き顔の表情が多い。
何故か、自分が悪いと思ったときはとりあえず脱ぐ。その他、相手が望んでもいなくても『体に落書きをすることを勧める』などをする。そして必死に許してもらおうとする。
結果、嫌われないように頑張りすぎて失敗し盛大に空回りしてしまう。
当然だがこれは趣味ではなく、イジメられた経験を下地とした彼女なりの対処法である。そして、何もない場所でどうやったらそうなるのか分からない派手な転び方をする。
(ピクシブ百科事典)
以上、ちょっと笑えないようないじめに遭い、そのせいで卑屈な性格になったというキャラクターなのです。
何かと言えば服を脱ごうとするぽっちゃり体型の「お色気要員」であり、そうしたキャラがいじめられっ子というのもリアルと言いますか、いかにもな感があります。
さて、以下からいよいよ大きなネタバレになるのですが、『ダンガンロンパ』をアニメで観るなどして、作風が何となくわかっていらっしゃる方は、ふと思ったのではないでしょうか。
本作は人間の暗黒面を活写する作風。
となれば、罪木の暗黒面は一体いかなるモノかと。
上に「コロシアイ」とあるように、本作は『バトルロワイアル』的な、閉鎖空間での殺しあいがテーマです。
彼女は作品途中で、二人も人を殺してしまうのです。
そう、いじめられっ子の逆襲的なストーリーというわけなのですが、ちょっと納得がいかないのは、彼女をいじめていた西園寺日寄子を殺したのは口封じ目的であって、最初に殺した澪田唯吹は別に彼女に辛く当たっていたわけではない(殺人の動機がない)という部分。
プレイ時はポカーンとなってしまうのですが、話が進むにつれ、これは彼女がラスボスの拡散させた「絶望」というものに取り込まれたのが原因だとわかるようになります。この辺、説明が難しいのですが、カルトに洗脳されて無目的な殺人を犯したというイメージが近いでしょうか。
むしろ彼女は(これは他のキャラも、前作もそうなのですが)殺人の加害者と言えど、状況の異常さに翻弄された被害者という側面が強く、そこを強調するために怨恨殺人色を消したのかも知れません。
本作の見せ場である「学級裁判」において殺人者としての本性を現す罪木ですが、そこでもやはりあくまでいじめられて、耐え兼ねて逆ギレした可哀想な少女、という印象を強く持ちます(同時にカルトの教祖への圧倒的な信仰を吐露する辺りもまた、哀れと言えば哀れです)。
上にもあるように普段の彼女は看護婦のような存在であり、怪我人、病人に奉仕することが生き甲斐の優しい少女です。
例えばですが、こんなシーンをつい、想像してします。
劇中で怪我人が出た途端、今まで卑屈にしていた罪木が前に進み出て、テキパキとみんなに指示を与え、怪我人を介抱する。
そうしたシーンは(いかにもありそうなのですが、ぼくの記憶では確か)実際にはありませんでした。
が、しかし。
ダンガンアイランド(殺人の起こらないギャルゲー的モード)で彼女に話しかけると、彼女は自らの「超高校級の保健委員」としてのスキルについて、とんでもないことを言い出すのです。
怪我しても誰も治してくれないから自分でやってる内に得意になりました。
私…ずっと、自分の為に治療をやってました…
でも…ある時、気付いちゃったんです。
病気や怪我をした人は…私より弱いって。
だって…病気や怪我の人って、放っておいたら痛みに耐えられなくなったり…
下手すれば、死んじゃったりするんですよ?
だから適切な処置を知ってる人間の言う事は絶対なんです。
と言う事は…つまりですよ?
この私が誰かに必要とされるんです。
私に全幅の信頼を寄せてくれるんです。
だから…怪我や病気の人を見ると
放っておけないんです。
だって…みんな
私の言う事を聞いてくれるから…
ここ、ぽーっとプレイしていると「あぁ、優しい娘なんだなあ」で終わってしまうかも知れません。しかし主人公は敏感に感じ取り、
少しずつ罪木の事を
理解できていると思っていたのは…
どうやら、まったくの幻想だったようだ。
なんとなく…弱ったところを見せたら
お終いのような気がした…
と戦慄します。
(そして実際、彼女が殺人に及ぶのは、澪田が病に倒れたことがきっかけでした!)
つまり彼女は「自分以上の弱者」として「病人」や「怪我人」を「必要」としていたわけですね。
――さて、以上をお含み置きいただいた後、前回の話題を振り返ってご覧になっていただきたいと思います。
いろんな見方ができるかと思います。
「母性愛などウソだ、そんなものは支配欲だ」
「殺人犯も実は本来、罪木のような優しい心を持っているのかも知れないのだ」
「しょせん、罪を犯すかどうかなど紙一重なのだ」
それぞれそれなりにもっともだと思います。
が、結局ぼくとしては殺人に及んだ者を許すわけにはいかないけれども、上に書いたような加害者性/被害者性というモノの両義性について、考え及んでいないぼくたちの見識の低さこそが、一番憎むべきものだなあと思います。
上に「怪我人を前にした罪木がテキパキと行動する」という二次創作SSをお読みいただきましたが、罪木の中の支配欲、S気質はそのように発揮されるべきであった。
一方で、罪木の弱者に奉仕したいという優しい気持ちも気持ちも、ウソではなかったのだと思います。しかし同時に、弱者を支配したいとの念から医療に携わったことも事実でしょう。それは表裏一体の、全く同じものなのです。
彼女は結果的に殺人者となりました。しかし異常な状況下にさえ置かれなければ、「優しい看護婦さん」として周囲の尊敬を集める人物になっていたかも知れない。そうした人間心理の両義性をさりげなく描いているところに、本作のシナリオの洞察力の鋭さがあります。
彼女は残忍だったから、殺人を犯したわけではないし、慈愛の精神に欠けていたから、殺人を犯したわけでもない。残忍さも慈愛の精神も、根っこは同じなのです。
そこがわからないから、女性性や母性に盲目的な信仰心を抱き、殺人を肯定してしまう。
それはホモは被害者に決まっているのだと、子供へのレイプをスルーした人たちと全く、同様に。
今までぼくは度々、女性のネガティビティと男性のネガティビティを比較し、「男性の方はまだ、自覚がある」的なことを言ってきたと思います。
それはつまり、(フェミニストが指摘するように)男のマチズモ、攻撃性が一面の悪であることも事実だ。しかし「攻撃性」を「能動性」と読み替えても同じで、それが社会を発達させてきた面もあれば、それがあるからこそ女性に積極的にもなれたわけであり、それは両義的なものなのだ、と。
事実、日本では性犯罪が驚くほどに少ない。日本の男性たちが自らの攻撃性を内省し、御している証拠でしょう。
ひるがえって女性性はいまだ未知の部分が多く、いまだ彼女らが自らのそうした「業」を制御し切れているとは言い難い。「古代人の遺した未知の兵器」みたいな、コントロールできていない危険なエネルギーです。
その意味で、政治家の唱える「我が国は女性の力を上手く活用できていない云々」といった文言は正しくはあるのですが、あんたら、原子力よりも遙かにそれを暴走させてる現状で何を、と言いたい気もします。
文月メイもフェミニストたちも、そして彼女らを批判しない一般の人々も、「残忍」だから幼児虐待を肯定しているわけではありません。
「不道徳だから」というわけでもありません。
敢えて言えばただ、「愚か」なだけだったのです。
そしてぼくたちは、女性の持つエネルギーのいい面悪い面に思いを馳せるだけの見識がないからこそ、今までそうしたことをスルーし続けて来た。
さて、ではどうすればいいのか。
「わかれば」いいのです。
じゃあ、どうすれば「わかる」ようになるのか。
一つには、罪木のようなキャラをまた出せばいいのではないでしょうか。
一昔前なら、このような多重性を持ったキャラはとても出て来れなかったでしょうが、ある種、萌え文化の隆盛がそれを可能にした。
だったらまた彼女のようなキャラを出せば、それだけぼくたちは女性性の業について洞察を深めていけるのです。
そう、罪木蜜柑ちゃんは、「超高校級の保健委員」は、文月メイに立ち向かい、幼児虐待を食い止めるために生まれた愛の使者であったのです。