目下、「ムスコン」という言葉が話題になっております。
元は『週刊ダイヤモンド』の記事らしく、「「息子の初体験は私が!」暴走する“ムスコン”母はなぜ生まれる」というタイトルだけでもうおなかいっぱいという感じですね。
もっとも、この記事内*1でも「特に目新しい話ではない」というカウンセラーの言葉が載っているように、元から日本人は母子関係が非常に濃密な民族であり、この傾向自体は今に始まったことではありません。
むしろバブル期にもこうした「母子相姦が増えている」的な記事がよく乗っていた記憶がありますし、また、フィクションの世界においても「有能で、だらしない男を罵倒しつつ、バリバリ働く女性」といった「作られた虚像」の反面給付ででもあるかのように、むしろ「息子と母親の逆転した関係」がよく描かれていました。
藤本由香里師匠もそうした漫画を採り挙げては、単に幼稚なだけのそうした母親を、「彼女たちは世間の母親役という役割に拘泥せずに、正直に生きているだけなのだ。」と手放しで絶賛なさっていました。
具体的な作品タイトルでぱっと思いつくのでは、『ツレちゃんのゆううつ』とか『少年アシベ』のゆうまと母親の関係とか。ママは若く美しい反面、精神的には子供で、逆に大人びた美少年の息子はそうしたママのお世話係として家事をこなす、といった描写が当時、嬉々として描かれていたのです。
ママは、キャリアウーマンとして描かれるパターンもあったようですが、むしろ上の「ゆうまのママ」は女優であり、そうした「女子力を頼りにふわふわした業界の仕事をしている」ことが多かったように思います。
――さて、今回ご紹介するのは『ムスコン』。
二十六年前の1990年、まさにフェミバブルの絶頂期に出版され、そのタイトルが完全に今回の件を先取りしている本作こそ、そうした「母子密着物」の決定版とも言える作品だったのです。
ちなみに作者は石坂啓師匠。そう、フェミニストで、一時期の小学館で極左漫画を連発、しかしこのバブル期には代表作とも言える『キスより簡単』がドラマ化され、一躍スター漫画家的な存在になっていた方でした。実は手塚治虫のアシスタント出身でもあり、この当時からして絵柄的にも年代的にも、結構古い方でもあったはずなのですが。
*1 (http://diamond.jp/articles/-/102766)
本作の第一話は、まずママが主人公である広田コージに抱きつくシーンから幕を開けます。
ママは元アイドル歌手。ディレクターと結婚すると同時に芸能界を引退していたのですが、息子が中一になった時点で夫と離婚。二人暮らしを始めるところで第一話は終了です。
コージはママを「可愛い」と認識すると共に「しかし子供」とも思っており、「ベタベタしてきてうっとおしい」と同時に、「ママの側にいて守ってやらないと」とも考えています。実のところ、母子関係の両価性を、コージは第一話から認識しているわけです。
一方、ママは(外の世界での人間関係などについては、それなりに葛藤するのですが)母子関係においては専ら無邪気に描かれます。息子と共にベッドシーンの入るドラマを見たり、息子が自分の裸を見て戸惑うのを喜んだり、成長した息子を「セクシーだ」などと褒めそやしたり、或いはただ単に子供のようにじゃれあったりで、(息子に夫の代役を求めていることも含め)全く節度のない、幼い女として描かれています。
■息子のペニスをフェラしながら(後述)、こういうのを描いていたわけです。
もっとも、久し振りに再読してみると、お話としてはそれなりに読ませるものになっていると感じました。(本作は一巻完結であり、それなりに登場人物が多く、風呂敷を広げたワリに打ち切りを食らったと想像できるのですが)最終話の手前ではコージと、彼の中学の同級生である坂本ユカとのフラグが描かれます。
最終話では「パパの危篤」をママに知らせねばと雨の中を走り回ったコージが倒れ、ママに添い寝されるシーンが印象的に描かれ、ここで二人が最接近し、しかしここから二人が心理的にお互い親離れ子離れしていくことが暗示されます。エピローグではママが芸能界で一皮剥け(離婚後、彼女は芸能界に復帰しています)、コージがパパに「好きな娘ができた、ママにはまだ秘密」と報告するところで、話は終わっています。
コージが(離婚以前に)ママに隠れてパパと二人だけの秘密を作るシーンはそれ以前にも描かれており、実は本作は、「ママに秘密を作る(=母親離れする)」物語であったとも言えましょう。
いずれにせよ、それなりのバランス感覚で作られてる本作ですが、みなさん――ご存じでしょうか。石坂啓師匠はまた、『赤ちゃんが来た』というエッセイの著者としても有名な方のです。
Amazonの商品説明から抜粋してみましょう。
「ブリリンといった感触で赤ちゃんがはき出された…。」記念すべき喜びの瞬間を境に、アカンボを抱えての生活はギョーテンの連続。人気マンガ家が、自分自身の妊娠、出産、育児をホンネで語り、ユーモアと可愛さいっぱいのイラストで綴る子育てパワフルエッセイ。単行本は50万部の大ベストセラー。
男のコを産んだあとさきのことを、鋭い観察眼と巧みなユーモアで綴った「赤ちゃんが来た」の愛蔵版。
男のコを産んだあとさきのことを、鋭い観察眼と巧みなユーモアで綴った「赤ちゃんが来た」の愛蔵版。
何か、まあ、当時よくあった女流文化人の「赤ん坊を生んだので取り敢えずメシのタネにしましたエッセイ」が連想されますし、もちろんそれはその通りなのですが、本書は読み進めると驚くべき展開を見せます。
何と石坂師匠は自らの赤ん坊のペニスをフェラチオしたことを報告し、「極上ですよ」と大はしゃぎするのです。
そればかりか師匠は、
そうだ、十二歳くらいで去勢させてもいいな。息子の第二次性徴など見たくない。
息子は将来の世界のことを考えて、十二歳くらいで去勢させようと夫と話している。去勢はこのところちょっとした流行(はやり)だ。「地球にやさしい」ってやつである。
息子は将来の世界のことを考えて、十二歳くらいで去勢させようと夫と話している。去勢はこのところちょっとした流行(はやり)だ。「地球にやさしい」ってやつである。
などとも、得意げに書き連ねています(後者で「この頃流行だ」とあるのはさすがにこのエッセイはフィクションの体裁を取っているからですが、前者を見るに本気度が高いとしか、考えようがありません)。
それにしても息子さんももう、二十歳を超えているはずですが、ペニスはちゃんと健在なのでしょうか……?
いや、しかし、「息子をフェラチオ」というのは先の(『ダイヤモンド』の)記事でもありました。
まだ息子が紙オムツをしていた1年ほど前の日のこと、オムツ替えの際、「遠い将来、どこの馬の骨ともわからない女に、この子の体を触られたくない」との思いがふつふつと沸いてきた。息子は自分のものだ。好きにしていい筈だ。気がつくと当時3歳の息子の性器にキスしていた。遠い将来、よく知らない女にそうされる前に、母親である自分がそうする権利があるとの思いからだ。
しかし、その様子を見ていた夫からは、「お前は何をしているのだ」と激怒され、暴力を振るわれた。それでもアイコさんは、「自分がお腹を痛めて産んだ子に愛情を表現して何が悪いのか」との思いで一杯だった。
しかし、その様子を見ていた夫からは、「お前は何をしているのだ」と激怒され、暴力を振るわれた。それでもアイコさんは、「自分がお腹を痛めて産んだ子に愛情を表現して何が悪いのか」との思いで一杯だった。
まあ、ぼくの感覚からは狂っているとしか思えませんが、何しろ石坂師匠の本は朝日新聞出版部から出され、NHKからドラマ化もされていました。当時、彼女の著作が問題視された気配はありません*2。
「男の子に性的虐待を加えてはならない」との考えこそがミソジナスな許されざるものなのでしょう。
大新聞も国営放送もフェミニズムに平身低頭しているのですから、間違いはありません。
フェミニズムとは、「男児への性的虐待という正義」を推奨する思想でした。
事実、海外では子供とのセックスを堂々と正当化するフェミニストもおります。何しろジェンダー論のカリスマたるジョン・マネー自身が、そのように主張しているのですから。むろん、「双子の症例」のウソがバレると共に、フェミニストたちはみなマネーを尻尾切りしました。が、彼の幼児虐待発言を理由に彼を批判していたフェミニストを、ぼくは寡聞にして知りません。
日本でも、そうしたフェミニストが石坂師匠だけではないことは、皆さんもご承知かと思います(リンク先と本文とは関係ありません)。
もっとも石坂師匠、『ニュー・フェミニズム・レビュー』のvol.1「恋愛テクノロジー」のインタビューにおいてはポルノを否定し、(ポルノコミック規制が問題になっており、また宮崎勤事件の渦中にあった時期であったため)遊人の漫画を「自粛すべき」と述べ、「でも、何をやってもいいけど、ロリコンだけは絶対、絶対違う。」とも絶叫しているのですが*3、まあ、男児への性的虐待はいいんでしょうね、きっと。
繰り返しになりますが、『ムスコン』それ自体は一応の節度が保たれた漫画であると、ぼくは考えます。これは丁度、『キスより簡単』でも性に奔放な少女が主人公として描かれ、しかし後半では真摯に恋愛が描かれるようになったがために「性に奔放」といったテーマが揺らいでしまったこと(そして、それを藤本由香里師匠が不満げに評論していたこと)を思わせます。
石坂師匠の狂った情念や欲望は許されるものではありませんが、「漫画」を描く段に至るや、意外に自らに対してクールな内省が湧いてくるものなのかも知れません。その意味で、師匠はやはりそれなりに優れた漫画家ではあるのでしょう。
問題は優れていない編集者、優れていないフェミニストたちのために、彼女の大変おぞましい内面を露わにしてしまった書籍が、表に出てしまったことなのですが、誰も文句を言わないので、別にどうでもいいと皆さん、思っていらっしゃるのだと思います。
めでたしめでたし。
* 2とは言え、今回調べていて、king-biscuitさんが記事にしていらっしゃるのを見つけました「石坂啓、許すまじ(http://d.hatena.ne.jp/king-biscuit/19950112/p1)」。
*3 最近も(ニコブロの方で)述べた通り、『ニュー・フェミニズム・レビュー』のVol.3「ポルノグラフィー」特集号では一転して、石坂師匠は「レイプポルノ大好き」とおっしゃっていたのですが(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar1094327)、まあ、こういうのは深く考えてはいかんのでしょう。