兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

痴漢冤罪とはなにか

2024-06-15 00:19:42 | フェミニズム

 まずはお報せから。
 何と言論プラットフォーム「アゴラ」様で「フェミニストは何故、「男児叩き」をするのか」という記事を書かせていただきました。

 また『女災』[増補改訂版]がKindleで刊行されています。そちらの方もどうぞよろしく。

 

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 さて、今回は先日うpした動画の補足のような感じです。

風流間唯人の女災対策的読書・第57回「性欲で痴漢しない男、性欲で冤罪を着せる女――Liar/ふのせいよくを、君に」

 パオロ・マッツァリーノ師匠のデマについては既に第55回でも批判したのですが、その後、ご当人が言い訳記事をうpしたので、それにも対応せざるを得なくなり、また長ったらしい動画になってしまいました。
 その時にパオロ師匠の掲げた『痴漢とはなにか』がこれまたどうしようもない本であったため、基本、動画のテーマはそちらにツッコミを入れるのがメインではあったのですが、それすら要所について触れるに留まってしまいました。もうちょっと詳しく見ていきたいということで、こちらへ長文をしたためることになってしまったわけです。

 さて、本書は三部立てで、第一部では少々お堅い法令などの解説や細かいデータが並べ立てられているのですが、その中でちょっと気になる指摘がありました。
「薄着の季節は痴漢が少ない!」(29p)というのです。データとしては警察の、ホンの四ヶ月の間の553人の被疑者に対する聞き取りで、どこまで当てになるのかはわかりませんが、ともあれ痴漢が被害者の選択理由(その女を狙おうと思った理由)として「挑発的な服装」を挙げたのは5.2%にすぎないとし、「被害者の服装が性犯罪を呼び込む」というのは「神話だ」と言います。
 また、他の調査でも「夏は痴漢が少ない」との結果が出ており、これは「露出の高い夏は痴漢が増える」との通念とは相反するもの(もっとも、これは夏休みだからだと思うし、文中でもそれは指摘されているのですが)。
 ともあれ、作者の牧野雅子師匠はこれらデータを挙げ、警察が「夏は女性が狙われる!」的なキャンペーンを張ることに対し、「痴漢をなくそうとは思っていないのだろう」とわけのわからないインネンをつけるのです!!
 この辺りに、もう本書のスタンスは十全に現れています。
 まず上に「挑発的な服装」とありますが、「露出が(ことに夏だからという明確な理由で)高い」のと挑発的な服装では全然違うでしょう。セーラー服を挑発的な服装と言ってしまえば言えるけれども、一般的にはそうではなく、いわゆるケバい格好が想定されるはず。ケバい格好とセーラー服とでは後者が狙われやすく、セーラー服でも冬服と夏服とでは後者が狙われやすいと思われますが、双方では話が全然違います。
 ここで問題なのは牧野師匠の中に、「挑発的な服装」が痴漢の原因であるという「通説」を否定したいとの衝動がまず、あることです。その根底にあるのは要するに、「痴漢が一方的に悪いのだから、女性がどのような格好をしていようと(極端な言い方をすれば全裸で歩こうと)いいのだ、女性に痴漢への防衛策を講じさせてはならない」というフェミお馴染みの考えです。
「痴漢が悪いのはわかるが、それと防衛策を講じることとは矛盾しないではないか、フェミは本当に女性の被害者を減らしたいのか」といった批判は誰もがするところなので繰り返しませんが、動画でも述べたように、そのさらなる根底には、フェミニストの「全ての責を男性にとって欲しい」という煮えたぎるような感情があることは、自明でしょう。「警察は痴漢をなくそうとは思っていない」という謎の決めつけもその一環であることは、もはや多言を要しません。
 ポスターなどによる警察からの乗客への呼びかけで、「痴漢を捕らえよ」といった文言がないことにもお冠。近年統計上、痴漢が減っているのですが、師匠はそれすらもこうした傾向(つまり警察が市民に「痴漢を捕まえよ」と奨励しない)が理由なのではないかと勘繰ります(39p)。
 そんなこと言ったって痴漢に逆ギレされて市民に被害が出たら困るでしょう(もちろん師匠の中で、痴漢を捕まえるべきなのは常に男性なのでしょうね)。『ウルトラマンレオ』の初期では毎回、お話の冒頭で防衛隊と悪い宇宙人が街頭で追っかけっこをしており(宇宙人のくせにまさに痴漢とかこそ泥みたいです)、隊員に「そいつを捕まえてくれ!」と請われた一般市民が宇宙人に立ち向かい、殺されてしまうという展開を繰り返していましたが、それを思わせる話です。
 以降、既に動画でご説明した、「痴漢は性欲ではない」「痴漢被害者が性的羞恥を感じたと考えることは許せぬ」といった戯れ言が続きます。

 さて、一部を読み終えると、動画でも書いたように、昭和から平成に至るまでの週刊誌の痴漢関連記事を引用しては延々憤るという体裁の第二部が始まります。
 確かに、昭和の週刊誌では見ていて不快になるような痴漢擁護、否、賞賛論が溢れており、それに憤る牧野師匠の筆致もお説ごもっともではあります。ただ、それが昭和の価値観に下支えされたものであったことも、忘れてはなりません。
 痴漢推奨論は男女相互の楽しみ(「女だって楽しんでるんだろ?」)といったニュアンスで語られるものが多く、確かに許しがたいのですが、怒る前にそもそもの普通の男女関係というものを、ここでイメージしてみてください。
 基本は男が女にアプローチし、しかし女は意志を明確にすることなく、ムードでことが進み、男は「行ける」と思ったらさらに次のステップに進むというものではないでしょうか。痴漢行為は電車の中で無言でなされるということが異常ではあるけれども、そこを除くと、実は普通の男女交際と基本構造は変わらない。
 言い換えれば「女は自分から動こうとはしないが、セクハラとかが嫌なら女ももう少し自分の意志を表明すべきだろう」ということです。或いは(ここは想像ですが)昭和の女は今よりも消極的であったがため、男は今より以上に積極的な働きかけが求められた(がため、相対的に痴漢行為についての忌避感も今よりも少なかった)のかも知れない。
 そう考えると、やはり犯罪であり、けしからぬことであるとは言え、果たして先の痴漢賞賛論が今の感覚でジャッジされるべきものかとなると、それは違うのではないかと思えるわけです。

 一方、師匠の男性に対する冷酷ぶりは、見ていて背筋が凍るほど。IBMの部長が痴漢騒ぎを起こしたという記事を採り挙げ(116p)、そこで「たかが痴漢、罰金一万円の微罪で一生を棒に振らないよう」と注意を呼びかける記事に、師匠は「たかが」「痴漢騒ぎ」という語句がけしからぬと泣き叫びます。
 この頃から痴漢は(無論性犯罪全体の特徴として立証が難しく、逮捕しにくいという面はあるが、それでも)犯罪として取り締まりの対象となっていたのだし、仮に微罪でも会社を解雇されたり、重要人物なら上のような週刊誌報道があるなどで「一生を棒に振る」、即ち社会的制裁のあるものだったのです。
 男性たちにそこを自省しようとの呼びかけに、ひたすら文句をつける師匠。本当に痴漢を減らしたいんですかね。
 もう一つ、性犯罪で捕まるって、およそ男にとっては最大の恥辱でしょうね。恥辱の度合いを測る装置がない以上、証明しようがありませんが、「痴漢に遭った女性の精神的苦痛」を上回るものなんじゃないでしょうか。
 もちろん、実際に犯行があった場合は自業自得ですが、冤罪だった場合のことを考えると……。
 ところが、痴漢冤罪と女性専用車両について述べた本書の第三部に至ると、師匠はさらに男性の痴漢冤罪問題に対しても、痴漢行為そのもの以上に憤りを炸裂させます。
 2017年の大阪府警のデータでは、痴漢事案の221件中、現行犯逮捕は87件、「指導・警告」が104件ということなのですが(166p)。それをもって、師匠は以下のように言います。

 こうした事実があるにもかかわらず、警察に引き渡された段階で現行犯逮捕されているという話が流布される。
(167p)

 意味がおわかりでしょうか。
 確かに「警察に引き渡された段階で“100%”現行犯逮捕されている」わけではない、現行犯逮捕されるのは半分に満たないということは、上のデータを見れば明らかです。しかし例えばですが致死率50%弱の病気に罹った人に対し、「死ぬとは限らんじゃん」などとお気楽に言えるでしょうか。
 しかしそこを、牧野師匠は(男になら)言えてしまえる人なのです。
 何しろこれ以前でも「メディアは痴漢だという女性のひと声で男性の一生が終わってしまうかのような情報を世に提供してきた。(155p、大意)」などとそれが過ちのように書くのですから。
 これ以降、師匠は痴漢冤罪が話題になったため、「男も被害者」だという言説が増えたとして、以下のように続けます。

ここでは、痴漢に間違われることが被害であり、その不安に怯える人たちも「被害者」であるかのように扱うのだ。それによって、痴漢という性暴力の被害者と冤罪に怯える男性が対置させられる。
 痴漢被害者を、被害者という立場から引きずりおろすことで、痴漢被害者と痴漢冤罪被害者を対比させる論法も見受けられる。
(169p)

 男性を被害者扱いすることは、決してあってはならないのです。
 この後、弁護士の談話を引用し、そこに痴漢に遭ったと称する女性が「自称被害者」と書かれていることに、また師匠は激昂します。

「自称被害者」という呼称が使用されることによって、被害当事者は被害そのものを疑われ、被害者として主張する立場を奪われる。それによって、被害申告は、傾聴すべき語りから、その内容の真偽を厳しく審査すべきものへと変わる。確かに、痴漢に間違われた男性にとっては、厄介なトラブルであることは間違いない。しかし、一方で、その人物が犯人ではなかったにせよ、被害に遭った女性にとっては、紛れもない犯罪被害であり、単なる「トラブル」ではあり得ない。それを、間違われた男性にとっては「トラブル」だからと、女性の性被害を「トラブル」という位置に引きずりおろすことは、刑事手続き上も問題があるのではないか。
(170p)

 そう、痴漢に間違われることは「トラブル」にすぎません。
 それによって現行犯逮捕されても。
 罪は免れても会社を解雇される、本名を報道されるなど普通にあることなのですが、それくらい、男なのだから「トラブル」のひと言で片づけないといけないのですね。
 本書を絶賛するパオロ師匠は当然、冤罪で立場を失っても、笑顔でフェミに心酔し続けるのでしょう。
 また痴漢冤罪について語られる時には、女性にも他人ごとではないと周知させようと、「濡れ衣を着せられた男性の家族、つまり女性も苦しむのだ」といった話題が出ることもありますが、これにも師匠は発狂します。

ここで被害者女性は、冤罪被害男性のみならず、その家族、とりわけ妻という女性を苦境に陥れる存在として描かれている。家族の女性を取り込んだ女性の分断を煽る手法といえる。
(171p)

 意味が、おわかりでしょうか。
 ずっと当noteをご覧いただいてきた方なら、「は、は~ん」とお思いかもと思うのですが、要するに「強制異性愛」の概念ですよね。「本来、女は男に興味などなかったが、陰謀で男と結婚させられた。そして男の妻と痴漢被害者という形で、女は敵対的な立場に分断させられているのだ」という妄想です。もちろん、その前提には「男が好きで好きで仕方がないが、モテないので男に興味のないフリをせざるを得ない」というさらなるホンネが隠されているのですが。
「手法といえる」が千両で、まさに「男どもは痴漢冤罪を“利用”して(計算尽くで)女を分断しているのだ」との牧野師匠の取り返しのつかなくなった妄想が、十全に表現されています。
 痴漢に間違われた男が「誰がお前なんかに触るか」と一喝したという武勇伝めいた週刊誌記事もありますが、当然、師匠は憤死寸前で書き連ねます。

痴漢に間違われたことは、男性には屈辱的な体験だったのだろうが、女性が、人違いとはいえ痴漢被害には遭っていたとしたら、この男性の「誰が触るんだ」という罵倒は、被害を告白した当事者の語りを否定する、被害者に対する二次被害に他ならない。
(中略)
この男性とおそらくは書き手もが「スッとした」のは、ここぞとばかりに女性を侮辱し、罵倒することができたからだ。日常生活では言えないことが、痴漢冤罪にかこつけて言えたのだ。
(191p)

 あぁそうですか、よかったですね。
 痴漢冤罪に伴い、ゼロ年代には女性専用車両が普及しましたが、師匠はそれに対しても怒髪で天を突きます。
「女性記者同伴で女性専用車両を視察し、侮蔑する記事が増えた、差別だ」というのです(大意、213p)。
 もう、女性専用車両をわざわざ作ったら作ったでここまで癇癪を起こすその心性に仰天します。

 女性専用車両は、男が排除されており男性にとって差別的であると言われることが多いが、こうした、男の目がなければ野放図になってしまう女を描こうとすることで、男性の女性支配欲求をあらわにし、女性差別が今も続いていることを示してしまっている。
(215p)

 あぁ、そうですか。
 女性専用車両は男性にとっては面白いものではなく、多少のことを言われるのは仕方ないと思うのですが(そして師匠が目を皿のようにして見つけ出しているだけで、実際にはそこまでこうした記事が多かったわけではないのでしょうが)、見ていくと同様の企画は女性誌でもなされており、これは主婦のOLに対する対抗意識が源泉なのかもしれません。
 もう一つ、『犯罪白書』のデータによれば、痴漢示談金名目の詐欺事件は2005年、1512件あったといいます。すごい数です。しかしこれについての師匠の言い分は、以下のようなもの。

被害者の多くのは女性で、高齢者に多く、加害者のほとんどは男性である。
(173p)

 一瞬、意味がわからずぽかんとなってしまいますが、何のことはないオレオレ詐欺ですよね、これ。実際に、参考文献を見るとそうした文字が並んでいます。

 痴漢でっち上げ詐欺と聞いて、女性による男性の被害を思い描く男性誌には、息子や夫の痴漢事件をでっち上げて女性から高額な金を振り込ませる男性たちという現実は描かれない。女性の置かれた状況は、ここでも、関心の外なのだ。
(174p)

 何を言ってるのかわかりませんが、痴漢冤罪については男の妻に対し「あなたも他人ごとじゃないぞ」と言うと発狂するのに、都合が悪くなると「母」や「妻」の被害者を持ち出してくるのだからたまりません。加害者が男だから嬉しくなって、そこで思考が停止しちゃったんでしょう。
 またこういうの、主犯は男が多いとしても、女の共犯者も相当いるんじゃないでしょうか。例えば電話口で痴漢被害者を演じ、「あなたの息子がやったのよ!」とヒステリックに叫ぶなど。オレオレ詐欺って劇団みたいになって警官役、弁護士役とかがいたりするそうですし。

 ――以上、本書は全てがこの調子でページをめくる度に頭がおかしくなりそうですが、それを一気に読み、一気に絶賛し、一気に書かれてもいないことを読み取るパオロ師匠はさすがとしか言いようがありません。
 元はと言えばパオロ師匠がデタラメを書き、ソースを求められてあたふたと東奔西走したことです。初期段階であれば、「無知なため、舞田敏彦師匠の嘘に騙された」でギリ逃げられたものを、言い訳を繰り返したがため、師匠当人が故意にデマを流している、重篤なフェミ信者であることが、明らかになってしまったわけです。
 動画や本稿でご説明してきた通り、フェミニストにとっては痴漢被害を減らすことは眼中になく、もっぱら被害者女性に寄り添うフリをして、「被害者意識」を共有することによるマスターベーションの敢行こそが主目的であることは、もはや明らかです。
 パオロ師匠もまた、そうしたフェミに寄り添うフリをして、これからもマスターベーションに邁進なさるのでしょう。