さて、ネタがないので今回は拙著『ぼくたちの女災社会』出版の余波などについて。
1.
まずは上の雑誌に掲載された、山崎浩一さんによるレビュー。
お読みいただければわかる通り、拙著では山崎浩一さんの名著『男女論』が大いに引用されています。本田透さん、小浜逸郎さんの著作からの引用も大変に多いのですが、山崎さんに至っては期せずして序論と結論の多くを『男女論』からの引用に依っており、また思想的中核とも言える「正しい差別」論(現代の女尊男卑的状況の本質は、「男は強者だから、叩いていいのだ」という口実で、男の中から弱者を選りすぐって差別することにこそあるということ)すらもが山崎さんのコラムがヒントになっています。
その意味で、このレビューを読んだ時は嬉しさが1/3、恥ずかしさが1/3、パクリがバレたじゃねーかヤベぇというのが1/3といった、非常に複雑な気分でした。
ただこのレビューでは、山崎さんは拙著を評価してくださりつつも、
が、それでも著者が言うほど私個人は女たちに絶望などしていない。
とまとめておいででした。
考えると、山崎さんとしてはぼくに一言、言っておきたかったのかも知れません。何しろぼくは山崎さんの二十年前の文章と現在の文章をコラージュして、「山崎はこんなに女に失望しているのだ」などと強弁していたのですから、極悪です。JARO呼んで来いって感じです。
しかし、とは言え、同時に思うのです。
山崎さんは最近の文章で、
フェミニズムは実は女を資本主義に呪縛し、男を家庭から自由にしてくれる男性解放運動だったのである。
ともおっしゃっていました。フェミニズム運動の結果、女性が婚期を逃して焦りつつある現状を皮肉ってこう書かれたわけです。あまりの痛烈さについ拙著でも引用してしまったのですが、上のレビューにおいて、やはり山崎さんは同じことをそのまま繰り返していらっしゃったのです。
こうまで痛烈な筆致を目にすると、ついついぼくの方まで同じことを繰り返したくなってきます。即ち、
山崎さんが女という存在にいかにほとほと失望しているかが手に取るように分かるではないですか。
と……。
2.
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拙著をモチーフにした動画ですw
何バージョンかあるようですが、youtubeで公開されているものが目下のところ最終バージョンみたいです。レナちゃんがバージョン毎に変わってるのは何か意味があるのでしょうかw
内容としては見ていただければわかる通り、拙著を過不足なく的確にまとめている感じなのですが、白眉はセクハラ冤罪の一例として『ハルヒ』の名シーンが挿入されているところです。
ご存じの方も多いでしょうが、このアニメ(及び原作の小説)ではヒロインであるハルヒが学校のPC部の部員にセクハラ冤罪を着せるぞと脅してPCを奪い取るシーンがギャグとして描かれております。それがこの動画では「女災の一例」として紹介されているわけですね。むろん、『ハルヒ』そのものはフィクションです。そこにインモラルな描写がなされていたからといって、ぼく自身は文句をつける気はありません。そもそもハルヒというキャラクター自身、「清廉潔白な正義の味方」と設定されているわけでは全くありませんし。
しかし、少し考えてみたいのはこれを男女逆転されたらどうか、ということです。少年キャラクターが少女キャラクターに対し、「レイプするぞ」と脅して対価を求めるシーンがアニメで描かれたら、果たして観ている側は「お笑い」で済ませるかどうか。むろん、少女向けの「ティーンズコミック」でなら類似の描写は掃いて捨てるほど溢れていることでしょうが、それはあくまで読み手の少女たちの「性的興奮」のために描かれたものであって、「お笑い」のために描かれたものではないわけです。
ぼく自身は過度にフィクションに文句をつける類の「運動」の仕方はすべきでないと思っています。一つには「表現の自由」が云々といった反論が必ず立ち現れ、問題が複雑化するからというのもありますが、結局は「虚構よりも現実の方が凄惨かつ、プライオリティが高いから」です。
とは言え、上のようなシーンを「お笑い」として捉えてしまう感覚、それがぼくたちの精神内に(プリインストールされているのか「社会からのすり込み」かは知りませんが、とにもかくにも)アンインストールし難い形で刻み込まれていること、それ自体に対してはもう少し自覚的であってもいいように思います。
それはわかります。
ただ、作品は著者の脳内と同時に、世間の流れも反映するものなのです。
ちょっと気分を変えて、新しい記事を書いてみました。
面白い主張がされているものを見つけたので紹介してみたのですが、それが同人ゲームだという……。
ライトのベルやアニメといった「公共性」のある作品では、ある意味そのような「まっとうな主張」が許されない現状があり、それこそがモンダイとも言えるはずです。
僕が拘る理由としては以前コメントされたことの通りです。
女性からの暴力を甘んじて受けなければならない男性像に意図せず世間が影響を受ける不安や、その描写を好む作家の嗜好に対する反感の気持ちです。
実在女性に対してあきらめているわけではありません。
(とはいえ、せっかく現実の女から解放されるはずの2次元でさえ、自分の感情移入先である男キャラが手ひどく扱われているのなら救いようのない話ではありますし。これはあくまで蛇足ですが)
世代の差も大きいとは思うのですが、本当に当時の女流漫画家はウザかったですからw
確かに2ちゃんねるなどでは「萌えアニメ」における「男性差別」に対する議論が非常に盛んですが、ぼくとしては「おいおい非実在女性よりも実在女性のやってることの方が非道いだろ」と思うのです。
ただし、彼らがそこまで「非実在女性」についての議論で侃々諤々していることの真意が、もし「実在女性についてはあきらめましたから」というものであるのならば、それは大変に、それこそ本田透的な意味で痛ましい話だと思います。
掲示板で話題になっている内容は男性キャラの扱いについてなのです。
ただしごくごく最近はマシになってきてると感じています。
美少女キャラも汚れ役をやるようになり男性キャラへの萌えの需要も一般的に認知されてきた部分もあります。そういう意味では平等になっているのかもしれません。
>女性作家がやれば糞ムカつくだけですが。(実際いますからね、露骨にも青年漫画とかに)
女性作家が本当にウザかったのは八十年代後半から九十年代にかけてですねw
内田○菊とか。
彼女らはどんなエゴ丸出しの無内容な作品を連発しようとただ女性だと言うだけでそれは全て「男性へのカウンター」として評価されました。
最近はそういうのがないだけマシだとも思いますが。
男性作家やファンが2次元とはいえそれを受け入れちゃうのはどこか心配です。
女性作家がやれば糞ムカつくだけですが。(実際いますからね、露骨にも青年漫画とかに)
まああくまで2次元の話です。
弱者に恨みはありませんが世論の誤謬につけこむ奴は許せませんね。
結局はそれです。
今の世の中で弱者様に勝てる者はいません。
だから「男性差別」の「根源的な解決」はそれこそ全人類の思想的枠組みのパラダイムシフトでも起きない限りは不可能でしょう。
しかし、それにしてももうほんの少しだけでも風通しのいい世の中にはならないものか、と思います。
そうですね。僕から言わせれば女の子を持ち上げすぎなんですよ。
男性作家にしてみれば同性より異性の方が夢を託しやすいんでしょうけど。
でも男の子が女の子に日常的に暴力をふるう漫画はそうないですから。
女の子ってエライの?ってw
「男は強者だから、叩いていいのだ」ってことなんですかね・・。
>今の男の子の救いのなさを体現したようなアニメですw
レスリングシリーズの名言にこんなのありました。
「救いはない」「この世に救いがないならば俺が救いになればいい」
熱いですねw
>ヒーロー、ロボット物の敗因は各々のデザインが孤立してしまい、萌えキャラと違い共有できるパーツの継承が進まなかったからだと思います。
う~ん、単純に「ヒーロー」物は「萌え」より市場が狭いということだとおもうのですが
(ただ、かつてならスポーツ物、ヤンキー物に流れたような読者が何を読んでいるのかとなると、想像もつきませんが)。
>>男なら生命を賭けて女を守れ!
>美徳としては残ってます。例え守る女の子の方が強くてもあります。
まあ、残っていることは確かなのですが、少しはマシになっているのではと。
いわゆるヲタ向け作品でそれをストレートに出してきたので思い出せるのは『エウレカセブン』でしょうか。
敵と戦うのみならず、ヒロインに取り入るのも一苦労(『ナディア』をイメージしていただくと早いかも知れません)父親役もDQN、と、今の男の子の救いのなさを体現したようなアニメですw
無理ありませんw
父性=男性性そうです。ヒーロー、ロボット物の敗因は各々のデザインが孤立してしまい、萌えキャラと違い共有できるパーツの継承が進まなかったからだと思います。
>男性作家で男性を軽んじるというと、どういう場合でしょう?
主人公も含め男ばかりが散々な目に合う演出の多用。女の子に何されても男の子は同程度にもやり返さない、やり返せない等です。
化物語とかそうでした。クレしんの夫婦が典型です。
僕はどちらかと言えば暴力(精神的なのも含め)や力関係に注意します。
>男なら生命を賭けて女を守れ!
美徳としては残ってます。例え守る女の子の方が強くてもあります。
>それと男の娘に失われた父性が曲りなりにも滲んでいることです。
男の娘は要は女性化願望ですからね。
ただ、父性(=男性性?)はオタク文化の中でもヒーロー物、ロボット物が体現しているように思います。
いずれも死に体と言えば死に体ですが、それなりに頑張っていると言えば頑張っていると思います。
高橋留美子とあだち充の対比は面白いですね。
ただ、ぼく自身はあだち=一般ピープル向け/高橋=オタク向けという印象で、前者に(大袈裟に言えば)敵意を感じていました。
諸星あたるが基本的にダメなやつ(ガールハントはしても、女のために自分を磨こうなどと殊勝なことは考えない)として描かれてる辺りもある意味「男性向け」と言えるでしょうし。
まあ所詮、「女性の絶対性」は保持されたままではありますが。
>とは言え僕がより問題だと思うのは男性作家が女性キャラに手厚く男性キャラを軽んじる心理です。
う~ん、男性作家で男性を軽んじるというと、どういう場合でしょう?
「男なら生命を賭けて女を守れ!」みたいなのは最近では少ないのではないでしょうか?
他のMADは凄いと可笑しい(とか可愛い)くらいなんですがそこが違いですかねw。
男の娘と引き合いに出したのは違う方向からの性としての男性を享受していることです。それと男の娘に失われた父性が曲りなりにも滲んでいることです。
僕はタッチよりうる星の方が嫌いです。鋼錬しかりローゼンしかりです。女性作家の作品を挙げましたが、女性上意主義を感じます。何度ムカついたことか。
とは言え僕がより問題だと思うのは男性作家が女性キャラに手厚く男性キャラを軽んじる心理です。
僕が萌えキャラに自身の理想も委ねることに不安を感じるのは自身の男性性に嫌悪感を憶えだす恐れがあることなんです。
その辺はスタンスが違うのでしょうか?
いや、面白いと思いましたよ。
むろん「ネタ」としての面白さですが、それを言えば「やらないか」の時の盛り上がりだって同じでしょう。「ネタ」ではあるけれど、「ネタ」として面白いと思ったからこそみんな食いついて熱心にマッドを作ったわけです。
それは『チャー研』という「ネタ」アニメへの情熱と、基本的には同じではないでしょうか。
>>そして今の萌え漫画では、ある意味その男女関係が逆転していると。
>そう・・・なんですかね。
あくまでかつてとの比較論です。
しょせんは
「オレも努力すれば南ちゃんみたいな女の子と結婚できる!」と
「どうせモテないしハーレムアニメ見ようぜ」
との違いですけれども。
更に言えば主人公(プレイヤーキャラ)を育成するタイプのいわゆる『ときメモ』型ギャルゲーが衰退した理由はいろいろあるでしょうが、一つには「ノルマを果たさねば恋愛成就できない」という70年代~80年代型の理念が嫌われたから……という言い方もできるかも知れません。
更新の邪魔になってないかと思ったもので。
レスリングシリーズについてどれだけ情熱的な人気があるかはURLの動画を観て頂くとわかるかもしれません。まあ面白いと思わない限りわからないですよね・・・。因みに本人が来日したことでも話題になりました。
>男の子:運動エネルギー
>女の子:位置エネルギー
なるほど。男女関係が常にこの立場を維持されれば問題ですね。
>そして今の萌え漫画では、ある意味その男女関係が逆転していると。
そう・・・なんですかね。ただ最近のアニメでは「聖痕のクェイサー」を見ると主人公の少年も美形設定でヒロイン等もそれほど優遇された扱いでもなく同情の余地もない悪役に女性も配すなど割と格差もなくなってきたという感想を持ちます。雑魚キャラは未だ男性に配されていますが・・。
「充電ちゃん」というアニメでは主人公がヒロインをバットで殴る描写が毎回ギャグとして描かれ一部話題となりました。(作品としてはマイナーなのでごく一部です)
『ディケイド』はつべでRXが出てる話を見ましたがタメ口かよ・・・と思いました。
オレ様はあるいは今で言う厨二病と言われる類かもしれません。
そうですね、ぼくはちょっと「敬愛」とは考えにくいので、スタンスが違うかも知れません。
(レスリングシリーズは三つ四つしか見てないですが、「旨味紳士」や「やらないか」と本質的な違いがあるかというと、疑問です)。
>元祖スポ根主人公の目的が勝つことそのものであったなら恋の成熟はむしろダシに使われたと考えることも出来ます。タッチはその価値観が逆転する過渡期だったのかもしれません。
あだち充自身、『ナイン』辺りまではかなり「スポ根」的な作風でしたしね。
ただぼくがこだわっているのは、つまり『タッチ』において女の子が『桃太郎』でいう「金銀財宝」として扱われることになったことに対する嫌悪感、言い換えれば
男の子:運動エネルギー
女の子:位置エネルギー
となってしまったことへの懐疑です。
そして今の萌え漫画では、ある意味その男女関係が逆転していると。
>仮面ライダーの主人公も努力は減っているかもしれませんが人物としての立場はむしろ格下げされている気がします。(クウガ~555まで見てました)
平成ライダーは、殊にその辺りまでは優男がタカビーな女に顎で使われている感が強いですね。
「主人公より偉い年長の女性」を念入りに配しておく制作者側の抜かりのなさは、見ていて感心させられます。
ただ、ぼくがイメージしていたのは『カブト』『ディケイド』辺りです。この辺りは無敵でオレ様なキャラクターが非常に多いんです。
『テニプリ』とか、ぼくもよくは知りませんが今時は漫画などでもそういうキャラが多いのではないでしょうか。
>人様のブログで意見が長くなりすぎました。もしよかったら続けたいですが・・・。
いえ、別に結構ですよw
レスリングシリーズはマチズモ的でもありますが、ゲイというのもポイントかと思います。
僕が長く見てきた感覚から言えばカウンターとしてのギャグを超えて、どこか本当に敬愛してるような面も目立ちます。
しかしこれについてはあまり共有できる話題ではないので止めときます。
対価について、タッチと例の萌え系での比較は努力を払うか代償を払うかという条件の違いではないでしょうか。(代償というのも大雑把な表現ですが)
努力自体は充実感や自信も得られるし、相手に対して引け目を感じることもないならそれ自体悪いことではないと思います。
元祖スポ根主人公の目的が勝つことそのものであったなら恋の成熟はむしろダシに使われたと考えることも出来ます。タッチはその価値観が逆転する過渡期だったのかもしれません。
一方萌え系は恋の成熟が目的なら、可愛いヒロインと比較して努力しない主人公の負い目が大きい気がします。そこで上下関係が決定されるのではないでしょうか。
仮面ライダーの主人公も努力は減っているかもしれませんが人物としての立場はむしろ格下げされている気がします。(クウガ~555まで見てました)
努力が報われない時代と言われますが、努力の実感が持てず方向性が見出せない時代とも言えそうです。
人様のブログで意見が長くなりすぎました。もしよかったら続けたいですが・・・。
優先順位は現実>虚構と書きましたがそれは実際の運動に関わることについてで、実は個人の興味としては2次元の男女の方にあります。
>用はこんなに可愛いヒロインが付き合ってやってるんだから多少ひどい仕打ちにあっても文句は言えんだろ的な感じですかね。
『ドクロちゃん』や『使い魔』はある種「萌え漫画」「萌えラノベ」の「女難」をオーバーに描写してギャグや(ツンデレという)キャラ立ちにした例ですよね。
>>それだけでも「一昔前よりはまし」という気はします。
>それは対価を払わないで美女に囲われる点のことですか?
そうです。
前に例に出した『タッチ』も今の萌え漫画もどうせ主人公がヒロインとくっつくことは最初からわかりきっているわけですが、昔のラブコメは「努力してヒロインを手に入れるための過程」こそが重要だったように思います。それに比べて上の「萌え系」では女性に好かれるために努力→成功、というストーリーは描かれないわけですよね。
ただ、これは男女関係に限った話ではないかも知れません。
「昭和ライダー」が特訓の末に怪人を倒すのと、「平成ライダー」が最初から無敵状態のオレ様であるのとの違いに近しいかも知れませんね。
「努力」が実にならないことを知らされた世代の一種のニヒリズムという感じです。
本田透さんについては確かに「2次元の少女に萌えることで自己の補完をはかる」のが基本戦略です。
ただ、(近いことをおっしゃっていますが)二次元の少女への萌えは半ば自己愛に近いものだとして、「自分萌え」を提唱していたことがあります。
とは言えこれは雑誌にちょろちょろと書かれただけであまりまとまってなされた主張ではないと思いますが。
レスリングシリーズ見ました。
考えると『チャージマン研』やエロゲのOPをこれに改造したマッドは見た記憶があります。
あれはマチズモというものに対する、ギャグ混じりのカウンターですよね。
ちなみにURLにようつべの自分のページをのせました。こんな奴です。
主人公が積極的に悪に立ち向かう図式が物語の複雑さとともに維持しづらくなった面もあるのかと思います。
アニメの主な視聴者も子供向けから大人向けを意識するようになるりましたし。
>そうなんですか。
自分の知ってる作品を前提に話を進めてしまったことを詫びます。
「CLANNAD」「リトルバスターズ!」「ハルヒ」はまともに見たことがありません。
僕の例は「エヴァ」「ローゼン」「ドクロちゃん」「とある科学」等がよく見た部類で。
詳しくは見ていないのでも「使い魔」「とらドラ」等です。
一部主人公は努力と言うよりは代償を払っている?側面もあります。
用はこんなに可愛いヒロインが付き合ってやってるんだから多少ひどい仕打ちにあっても文句は言えんだろ的な感じですかね。
>それだけでも「一昔前よりはまし」という気はします。
それは対価を払わないで美女に囲われる点のことですか?
>本田透さんは「男の娘萌え」的な「自分萌え」を提唱しています。
えっそうでしたか。僕は2次元の少女に萌えることで自己の補完をはかる方かと思ってました。
>そういったキャラクターが登場してきていること自体はいいことではないでしょうか。
悪くはありません。いいことだと思います。
すいません、レスリングシリーズについて知ってる前提で書いてしまいました。
知ってる人が僕の書いた内容を見て何言ってんだこいつと思われそうで恐縮です。
米国産ゲイポルノビデオを素材にした一連のMADのことです。
ニコ動のタグで検索すれば出てきます。なんと説明すべきか難しいですが結構な人気です。
詳しくは動画をご覧になっていただくしか理解しようのない代物ですが・・・う~ん、少々時間がかかるでしょう。下ネタが大半をしめます。
(妄想に近いかもですが)男の娘萌えのある意味逆説的存在な気がします。
(男にとっての)理想の男性像の喪失による一つの現象のような気がするのです。楽しんでいる当人達にそのような意識は毛頭ないでしょうが。
>僕もそういうの好きですよ。ただ「何の努力もしない」男性キャラは最近少ないのでは?
そうなんですか。
いや、ぼくもそれほど知識はないのですが、『CLANNAD』の朋也にしろ『リトルバスターズ!』の理樹にしろ一応、事件の収拾のために動きはしますが、積極的に男らしい「手柄」を立てようとする感じではないのでは。
いわゆる乙女ゲーのヒロイン(或いはヒロイン的立場の主人公)ですら、その程度のことはするのでは、と思えるのですが。
(余談ですが、これは恋愛ゲームのシステムに多くを依拠している点だと思います。ゲームのプレイヤーキャラは受け身でありながら、何らかの問題の解決を迫られるのが通常ですから。とは言え、『ハルヒ』のキョンにせよ、基本的には受け身ですよね)
80年代的ラブコメの代表である『タッチ』などは少年たちに「南を甲子園に連れて行く」という使命が課せられ、南は明らかにその「対価」として手に入るという図式になっています。
今のギャルゲーでそういったストーリーがあるかとなると、捜せばあるのでしょうがやはり少数派ではないでしょうか。
それだけでも「一昔前よりはまし」という気はします。
>男も女性性を身につけるのはいい事だと思いますが女が男装できるように男は女装できないような心理的な限界も感じます。
本田透さんは「男の娘萌え」的な「自分萌え」を提唱しています。
これはあくまで虚構の世界に限ったことになりますし、万人の男性モデルになり得るものではありませんが、そういったキャラクターが登場してきていること自体はいいことではないでしょうか。
>(某動画サイトのレスリングシリーズの盛り上がりにその反動を見るのは考えすぎでしょうか)
すみません、これは知らないんですがどういうんでしょう?
フィクションの中での男性像について僕は思うところがあります。
文化人センセイに目の敵にされた従来の男らしさを持つ男性主人公はフィクションでもかなり減ってきたかと思います。
男性のヒーロー性は倦厭ぎみで今はヘタレのほうが多く女性に叱咤やビンタされる光景がおなじみです。
男側からすればヒーロー像はリアリティーを保てなくなり逆に弱い人間として描かれた方が受け付けやすいと言うことなのかもしれません。
僕個人も男同士戦い主人公が勝つという昔からありがちな図式には疑問も感じます。
しかしそうした中で現在男性は男性の理想像を喪失しているのではないかと思います。
男も女性性を身につけるのはいい事だと思いますが女が男装できるように男は女装できないような心理的な限界も感じます。
(某動画サイトのレスリングシリーズの盛り上がりにその反動を見るのは考えすぎでしょうか)
そこで僕としては等身大の理想の男性像が今のフィクションに必要じゃないかと考えています。
それがないから萌えキャラに自身の理想も委ねているのではないかと思うのです。
女性向けのエロに関して公には成人向けという認知がないみたいですね。
おかげで女性向けのコミケはやりやすいそうです。僕の地元の話ですが。
>またハーレムアニメなどは主人公の男性が何の努力もしないままに、美少女キャラがその主人公を奪いあう図式が普通となっているわけで
僕もそういうの好きですよ。ただ「何の努力もしない」男性キャラは最近少ないのでは?
命がけでヒロインを守ったり、下僕としても忠誠を誓ったり、何かとどつかれたり、なぜか裸を晒す羽目になったり結構大変な思いをしていると思いますが・・・。
どこか男性作家には罪悪感があるんですかね。
そのへんがある意味男性らしさな気がしないでもないです。
う~ん、マゾっ娘萌えはエロ漫画などでは普通じゃないでしょうか。
もちろん、男性向けのエロは一応(本当に一応ではありますが)裏物という暗黙の了解が成り立っているのに対して、女性向けのメディアはそういった線引きがないことが問題だとは思いますが。
例えば、少女漫画で美青年をペット扱いするのがあり、ドラマ化もされました。
これもレディスコミックで発表され、女性向けのエロDVDのレーベルででも発表されていれば、何の文句もないわけです。
またハーレムアニメなどは主人公の男性が何の努力もしないままに、美少女キャラがその主人公を奪いあう図式が普通となっているわけで、こういった傾向は悪いものではないと思います。
そういったハーレムアニメに対する「低俗だ」との批評ももちろん、一面の真理を言い当ててはいますが、考えるとこれって今までの「一般向けメディア」で繰り返し描かれていた「男女関係」を真逆にしたものなんですよね。
「男性よ、今までの男らしさを脱ぎ捨てて女性性を身につけよ」が決まり文句の文化人センセイたちも、ハーレムアニメの隆盛には草葉の陰でご満悦、といったところでしょうw
某掲示板でも書いてましたがw結局は表現の自由が優先されるべきと考えております。
ただ、それなら男女逆の立場もあっていいと思うのですが
僕が見たところ男を尻にひく女性像がもてはやされすぎている感があります。
そして何かと汚れ役をやらされる男キャラも目立ちます。
2次元には真実の愛があるという話もどこかでありましたが向こうの世界もえげつないナオン教ですよ。
思うに萌えキャラが漫画界のトップに立っていることで残りのキャラにはそれ以下の扱いが強いられている仕組みなのかと思います。マゾっ娘萌えができるか萌え以外の勢力が出て来ない限りこの傾向は続くのではないかと。
(一応男性視点が主流なので女の子の萌えキャラが優勢で、女性もあえて女キャラを汚すような扱いを好まない傾向でしょう)