きのう籠池泰典・森友学園前理事長に詐欺罪などで懲役5年の実刑判決が言い渡されたけれど、また2人目の籠池さんが誕生しそうである。新型コロナウイルスが感染拡大したダイヤモンド・プリンセス号に乗船し内情をリポートした岩田健太郎・神戸大学教授が政府にとって奇矯な人間として社会的地位から抹殺してしまおうという蠢動が始まっているようである。
補助金詐取額よりはるかに大きい財務省の土地払い下げ値引き額に不正の臭いが漂うのに、検察と裁判所が籠池案件だけに絞り、結審判決したのはご都合主義過ぎる。木を見て森を見ないようなものである。それと同様、ユーチューブでウイルス船の防疫態勢が杜撰だったことを告発した岩田教授について、「あの人は実は変な人なんですよ」と貶める奇特な人が現れた。日本は新興感染症に直面しているのだから、「日本人は、危機に直面したときほど、危機そのものを直視せず、誰かを批判することに熱中し、責任論に没頭してしまう」性癖を正し、一致団結しなければならないはずなのは言うまでもない。こちらは真面目に作業しているのだから、横合いから唐変木が余計なこと言いだして指揮系統を乱すな、と言って船外追放するのも、厚生労働省の専権事項だから正しいのだろう。しかし、そんな危険な客船と知って寄港させ、受け入れたのだから内国民に被害をもたらさないよう万全の備えをしなければならない。厚労省が最善の精鋭を引き連れて乗り込んだのだから、いくら日本の専門家レベルでも少しは効果があると一般第三者は見る。ところが事実は中国を除いて世界最大の感染拡大だった。それを横から口を挟むな、俺たちは真面目にやっているのだと胸を張られても、誰も真面目な性格を期待しているでなく、被害最小限の効果を期待しているのである。事実を直視して対処法を立てなければならないのに、プッチーニの歌劇ではあるまいし、誰も見てはならないでは事実の隠ぺいに繋がりかねない。現状を直視しないで逆切れする精神が、被害を拡大させる突破口となるであろう。
それにしても籠池裁判には言葉を失う。公務員の横領、収賄など社会を裏切る悪質な行為でも情状が酌量され、執行猶予が付くケースがよく見られるのに、5年実刑とは歴史的に意義深い事件だと言える。政府の一機関に過ぎない検事総長が、公正より時の政権を維持するため法相の指揮権に従うことはまれ稀には有っても、一応三権分立が保障され、独立機関と一般には見なされている司法裁判所までもが、首相に逆らう者には厳罰という、社会科の教科書通りでない姿勢に驚く。検察庁が徳川幕府を陰で支える柳生一族みたいな役割というのは、ぎりぎり納得できるものの、裁判所が大岡越前守のお白洲だったとは、知らざあ言って聞かせやしょうの江戸時代にタイムスリップした気分である。
19日はピンポン練習などいろいろ忙しかったのに、東京高検検事長の定年延長をめぐって人事院の松尾恵美子給与局長の答弁修正で衆院予算委が揉めたり、いろんな事が重なった日だった。国家公務員の規定は検察官に適用されないという解釈を現在も変えていないという先の答弁を、やっぱり最近法務大臣と相談して既に変えてました、なんて、およそ老人性が発症するはずもない省庁の局長が勘違いするわけがない。『谷効果』だと見る。安倍首相夫人昭恵さん付き秘書官だった谷査恵子経産省職員が森友学園問題についての真相が注目されたとき、急遽イタリア大使館に異動になった。当然、嫌な職務から解放され、待遇も向上する海外勤務のため、論功行賞とも評価できたけれど、常識的には左遷口封じの意味合いであったろう。もっと遠くに旅行でも行きたいと思わないような所に席が空いていますよ、と耳元で囁かれて、消されるよりはマシ、と意地を張る人は滅多にいない。何か世間そこら中に、コロナ菌が渦巻いているような気分になってきた。
もの言はば
なはつき仕置き
もの知らば
遠く島流し
見ざる聞かざる